2008年1月25日 (金)

誕生日のプレゼント

Photo 1月20日に子供のバースデーパーティーをしました。バリスタジオで 少しずつすすめてきた駐車場の舗装や庭の芝生がほぼ出来上がり『アトリエマニス・バリ』のお披露目も兼ねて。スタッフの家族から子供の学校のお友達、お世話になっている人たち。たくさんたくさん集まりました。総勢約100人。こんなに集まっていただくことが出来て、感謝の気持ちでいっぱいです。いや~、夢のようです。

その2週間前の日曜日、バリで地震が起きるという予言があることを知って、パーティーなんて取りやめた方がいいと思ったのですが、ある人から「是非やった方がいい。ベジで毎日お祈りをしてその水をつかってごはんを炊くといい」、とすすめられました。それでお祈りとパーティーの準備は同時並行。結果、地震は起きずに済み、晴れの日を迎えることが出来ました。(それでもちろんベジの水でお料理をつくりました。)

子供の誕生会なんてささやかなものでいいとずっと思っていたのですが……。

Photo_2 ゲームで盛り上がり(椅子とりゲームの座布団版でした)、ケーキを切って、ご飯も食べて。あっという間に時は過ぎ、大半の人が帰った後のこと。友達が何人か残ってくれて、「プレゼントを開けようよー」と言うので見ると、確かに。子供机の上はプレゼントの山。まー、こんなにもらっちゃってー、と内心驚きと恐縮な子持ちとでごちゃまぜの私。子供の方は、あまりにたくさんの人たちとプレゼントの山とで今日という日にまだピンと来ていない様子。(あー、それにひどい写真ばかりですみません、こんな風にしか撮れてなかったのです。)

友達のひとりチベッタンベル・テラピーのアルンが自前のI-podでBGMをかけ、「さ~、どれから開ける?」と促す。子供は、たくさんの包みの中からまんまるい包みを取る。「それ、僕たちからのだよ!」とアルン。すごいな、この状況。どうして、それを最初に開けるのだろう、と不思議に思いながら一体何が入っているのか私もすごーく気になる。

ところが、中身は新聞紙。剥いても、剥いても、新聞紙。

6回くらい剥いたところで、ようやく中から出てきたもの。それは、ハンモック。

子供は、小さな袋から出てきた大きな布にびっくりしつつも、どこが面白いんだろ~、という顔。そこで、周りの人たちが両端を持って吊るしてみる。怖がる子供に、「じゃ、ママが乗ってみるから見てなー」って、私が実験で乗ってみる(両端を人に持ってもらいながらの体制で。重たい!そりゃそうだ)。それでもまだ解せないようなので、今度は外の木にハンモックを吊るしてくれる。こうやって乗るんだよー、とアルンが自分で乗ってみせる。と、ぱっと目が輝いて、「乗りたい!」って。それ以来、数日たってもずっとハンモックに子犬と一緒に乗りっぱなしの子供……。

時々人の家で見かけながら今まで興味を持ったことがなかったハンモック。でも何て子供にいいものなんでしょう。おもちゃ売り場へ連れて行ってもあまり欲しいものが見つからないし、シンプルこの上ないウチの子供にとって、瞑想の達人アルンからのプレゼントは直に届いたもよう。

手紙にはこうありました。

「いつも君はちょっと問題を抱えてる。お母さんやお父さん、学校や人生や一般常識について。そんな時はどうかこの(瞑想の)ハンモックに飛び乗って、自分を解き放って心とコンタクトしてみて」って。

こんなプレゼント、親の私には思いつかない。ちーちゃん(ウチの子供)、うらやましいぞ。いやいや、そうじゃなくて、いつか私もこんなことをしてみたい!!

このほか数えきれないくらいたくさんのプレゼントのひとつひとつに、たくさんの思いやりが詰まっていて、もうすっごく感激しました≪自分でも、こうした思いやりが人にいつもできますように≫。皆さん、本当に本当にありがとう! 素晴らしいお祝いをしていただけて私もこれからもっとパワフルになれそうです。

さて、今回来場者全員に満足していただけたと思われるお料理。バリ人スタッフの家族と友人向けのブッフェはパダンテガルの名シェフに。移民系(?)私たちには『影武者』のゆみさんからの仕出しをお願いして、それからゆりちゃんとかよこさんに手伝っていただいておにぎりやフライ、サラダをつくりました(しかし私の段取りが甘すぎて反省点ばかりが残ります)。皆さんのおかげでコンプレットなパーティーを催すことができました。皆さん、本当にありがとうございました!

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2007年4月17日 (火)

≪その2≫日本の一時保育

昨日の続きです。

先日うちでお願いしている会計士さんからアドバイスがあって、あと2年で小学校なら今の時点で子供をどこの学校へ入れるかを決めないといけないそうです。もし日本の学校へ通わせる可能性があるとしたら、ということで。

日本の公立は幼稚園からの持ち上がり式だから、小学校就学の時にみんな1からスタートするわけではない。そこに色の黒い子供が入ってきたらまずいじめの対象になりますよ、とおっしゃる。

そこで、考えましたです。

日本語がベースだと、将来日本語の豊富な本が読める。インドネシア語では欧米の流行小説は翻訳で読めるけれど、本がとにかく少ない。となれば、字を覚える小学校はぜひぜひ日本で、とは前から思っていました。

でも今の日本の小学校の様子を知るたびにすこ~しずつ考えが変わってきたのも確か。子供にナビ付き携帯電話や防犯ブザーを持たせるとか、学級崩壊とか。

勉強する環境は確かに大事だけれど、私は自分が子供の頃「良かったもの」は子供にも、と思ってる。裸足で土を踏んだり川で泳いだり、木登りしたりすること。オタマジャクシを手で掬ったり、釣った魚を焼いて食べたり。そういうことで毎日忙しいということ。勉強も大事だけれど、私はそうした体験も大事だったなぁ、と思うのです。そうしたら、字は自分で教えることになる? それもえらく大変そうだナァ……。

あれ、冒頭から話が反れてしまいました。そうそう。きょうは日本に一時帰国中に行っている保育園についてです。

区立や私立の保育園で「一時保育」というのがあるところに通わせています。

その受け入れ先が少ない事から今回は3つの保育園を掛け持ちということに。今週はA、来週はAとBが2回ずつ、その次の週はCとBが2回ずつ、というふうに。子供にとっても「きょうはどこの園へ行くの?」ということになってあまりいい環境ではないです。そして、時々「きょうは予約が入っていませんけど?」なんて言われて。「あ、来るところ間違えましたー」、って、また地下鉄乗って。 一時保育自体“外出の際の数時間だけ預けるところ”という雰囲気があって、何日か続けて行くような考えはあまりないらしい。そのせいかどうか、区立だとひとり月4回までしか受けてもらえません。お弁当が必要な園もあれば、上履きとお昼寝タオル持参のところもある。私立だと1日7時間預かってもらうとホテル1泊分くらいの値段。送り迎えの時間を差し引くと、4、5時間しか仕事ができない。……などなど、結構な出費と忙しさ。加えてネックは、子供が急に体調を壊したとき。バリとの気候の差で朝熱出したりなんてことはしょっちゅうなんですが、一時保育というのは当日キャンセルは50%というところが多い。行かなくても3000円、4000円と払うことになる。

バリ在住の知り合いは「日本へ戻ったら仕事しない」または「バリからベビーシッターも連れて行く」んですって。むむむ。仕事の関係で帰国する私にとって、子連れ帰国はやはりちょいと難しい問題です。

でも、日ごろバリのPGへ行っている子供にとって、日本の子供と一緒に遊ぶ機会はすごく新鮮。だって「誰とでも日本語でお話しできていいね」って。それに、掛け持ちであちこち行くことも楽しめるようで「きょうはどこのスクールへ行くの?」って。大変だけど、子供がそれを楽しんでいるのなら、ま、いいか、と思うのです。

あとは2年後のビジョンですね。 会計士の先生がおっしゃるに、そういうこと(子供をどこの学校へ入れるか)は仕事がどうの、子供本人がどうの、ではないんですって。親であるあなたの考え方で決まりますって。そうなんですかー。それは大変。私たちバリでのんびりし過ぎているのかも知れません。

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2007年4月16日 (月)

≪その1≫バリのプレイグループ

昨年から、帰国するときは毎回子連れです。

子供が小さかったときは2、3週間ならバリで主人に預かってもらえていたのですが、3歳になってからはいろいろあって。バリと日本の二重生活。子供にとってもかれこれ1年、ようやく慣れつつあります。

日本のいいところとバリのいいところをそれぞれ好きな子供は、日本に行きたがり、バリに帰りたがる。羨ましいことです。荷造りや不在中の段取りを組んだりするのに毎度億劫な私は、日本に帰りたくなく、バリに戻りたくないんですもの。

あるバリ在住の日本の人が言ってましたっけ。「バリ人の寛容さと日本人の勤勉さを教えられた子なら将来どこの国へ行っても通用する」って。言葉どおりなら確かにそうかもしれません。そうなったらいいなぁ、と思います。でも、バリの寛容さってイコール甘さですからなぁ。私がいくら厳しくしたとしても私以外の全員が彼に甘いのですから。1人っ子だし、男子が優遇される風習というのもあるし……。勤勉さはきっと無理でも、まぁ、寛容さだけは身につく事でしょう。

なけなしの努力として、つい最近までは子守兼家事を二人頼んでいたのですが、思い切って辞めてもらいました。「親と違って叱れない大人」だと分かると子供がエバってしまうのです。お蔭様で今は家事の大半と子育てが自分に回ってきちゃいました~。

さて、今うちの子供はバリではインターナショナル系プレイグループ(2~4歳向け)に週3回通っています。前は近所のバリ人系PGに週3回、インターナショナル系週2回にしていましたが、ローカル系の方は辞めました。設備が整っていて質のいいプレイグループというとやはり市街地エリアにあるので、車で片道1時間の道のり。うちはバイクしかないので、運転と後ろで子供を支えるために二人必要。朝連れて行って、午後迎えに行く。1日に二人で2往復ということはのべ8時間。お天気にも左右されるし、ひとりの子供になかなか大変なことです。というか、頼める人手があるからいいものの自分だけではとても通わせられません。

大変なのだけど、かれこれ3年近く通ってその甲斐もありました。基本的に英語、分からないときにはインドネシア語。欧米系の子供が半分以上なので英語が分かる子との差がちょっと辛い時期もありましたが、最近ようやく英語でも会話もできるようになってきて得意になっています。いろんな国籍の子供たちと垣根なく付き合うことも身についてきて、有難いことです。せっかくバリにいるのだから、勉強が遅れたりすることはあってもコミュニケーション力はつけてもらいたいですから。

行きたくない、家に帰りたい、と泣くこともどれだけあったか、と思うけれど、子供って成長するものですね。

明日からまた新学期。欧米式なのでこれからの4~7月が3学期です。3月に帰国していた後に休暇期が重なって、子供はもううずうずしています。

今回のお話は少し長いので、続きは明日配信します。

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