2023年4月20日 (木)

ジョグジャへ再び 2023.2 おまけ編

ジョグジャ2回目訪問の第二話はおまけ編です。

週末をはさんで月曜日にならないと開かないお店の案件にて

最後の一日は一人で動く。

そのお店とは、ルリックというシマシマを織るところで

前回2022年12月に注文したものが一向に進んでいないのと

ワッツアップでやり取りしても全然のんびりしているので

どのように作業をすすめているのかを見せてもらおうと。

結果的に分ったのは、私が選んだデザインは全部草木染で糸染めに時間がかかる事と

織り手が地方に分散していて様子が時々しか分からなかったことでした。

もう一度直接お話ししたら、お互いにすごくスッキリと理解できて

今月までに全部の布が仕上がってきました。

ルリック、面白いです。シマシマの世界を広げてくれています。



さて。

今回滞在したジョグジャのホテルはプラウィロタマン通りというところにある

ギャラリーというホテルで、場所も価格も含め全体的にとても良かったです。

いいホテルって、紹介するには個人差がありますが。

近くにインディーズなタイプのお店や骨董店があって

探検気分に浸ります。

Img_9467

いろんなご当地の手仕事を使っている雑貨たち。

一番下のはルリックですね。

ひとつ向こうの通り沿い。

ボリュームがあってバターたっぷりの焼き菓子が120円前後。

思わずアソートでいろいろ買ってしまう。

バリブダの焼き菓子にちょっと似ています。

隣りのレストランも有名らしい、Via Via Bakery。

Img_9525

まみさんに教えてもらったTugu地区のインディゴ染めだけで作っているバティック店には

Grabのタクシーで。

ジョグジャのインドネシア語がやや分かりにくい自分、標準語もですが(笑)

おっ、日本人? 日本のおすすめの曲を入れて!って

乗ったらいきなりスマホの音楽アプリを渡されたので

えっと、藤井風とか選んでみた。(笑)

知らな~い、よね? 

※そんな折、風さんは今年7月にジャカルタでのコンサートが決まったみたいです!

バティック店がある敷地内には高い木があり木陰でお茶するスペースもあり、

今風のカフェでもあり、という組み合わせが新旧で不思議ながら

違和感なく長居してしまいました。カプチーノおいしかった!

母屋はコロニアル風のお屋敷です。

バティックは素敵なものがいくつもあって、結構高価ではありますが

買ってしまう&注文もしてしまう。

Img_9494

古いお屋敷を利用したバティックギャラリー兼カフェスペース。

Mustokoweniという物件の中にあります。

Img_9510

木陰になっている中庭のカフェスペース。

隣りに大きなホテルがあるせいかオアシス感覚。

Img_9513

ヘリテージ風物件&インディゴ染めバティックギャラリー&木陰カフェの入り口はこちら。

Img_9522

最後にもうひとつ。

こちらはまみさんが集めているユーズドのバティックを使った試作。

腰巻として着用されているので部分的に強く引っ張られ弱くなっていますが

繊細な手仕事のバティックが何度も洗われてこうした色合いになっている。

着古した感覚はあまり気にならず、このままが面白い布でもあります。

丁寧にダメージをチェックすると弱い部分も確かにあるので、

リバーシブルの裏に使うのが良いかも、と。

今後もいろんなフロムインドネシアを開拓させていただけるといいです!

Img_8967

Img_8965

ではまた。

次回はジャカルタレポートになる予定です。

 

| | コメント (0)

2023年4月18日 (火)

ジョグジャへ再び 2023.2

もう4月も半ばですが

2か月前のジョグジャ訪問の記録を残そうと思います。

1月の投稿でも触れましたが、

わたしたちは今年に入って以来生地の輸入が出来ないままの平行線をたどっています。

それがきっかけとなりインドネシア国内での布探しが再開しています。

昨年末にカパスの事を調べたくて訪れたジャワで

いつか使おうとモノの試しで注文した生地は

結果的に即、今春の服になりました。

まだ連携プレーがうまく取れていなくて

ほぼ納期も内容も間違えだらけで(笑)

2月にまた様子見がてら訪れたのでした。

空港のアートがなかなかなんですよ、

コロナ中に移転したジョグジャ新空港。

市内からめちゃ遠くて驚きの。(都心から成田よりも遠いかも、、)

はい、もう。この前来たばかりだけど

ただいま!ジョグジャ!

Img_9275

ターミナルを出るとマリオボロ通りが再現されたショッピングエリアがあります。

あ、これ、ルリック。

こんな風に着ているんですね。

袖が裁ち出しなところがポイントですね、参考になる~

Img_9284

今回もフライト遅延しましたが、

昼過ぎに何とか到着。

まみさんと再びお目にかかって、

せっかくだから空港から市内の間にあるバティック工房を一つ見ていこうか、と。

私はいつも前のめりだから、たとえ30分でも、遠路はるばるでも、

布をやっているところなら見たいヒト。

お訪ねした先に到着した途端豪雨となり結局2時間近くの滞在に。

見せていただいた自作は、こんなに手の込んだ作風でした。

写真がピンボケで申し訳ないですが、パカロンガン風の濃淡のある草木染で

シックな配色の中に描かれているクプクプバロンみたいな大きな蝶が華やか。

バティックの世界って腰巻サロンをキャンバスにした芸術表現でもあり

伝統、地域色を崩さない中に流行もあるような

本当にすばらしいジャワの産物。

Img_9293

雨が上がったタイミングでまみさんの友人宅へ移動。

また豪雨となり宅配で夕食をオーダー。

地元の若い芸術家の作品を敷地内で経営しているレストランで展示したりしている夫妻で

こんな雨の夕暮れ時に突如訪ねて行っても普通のおしゃべりが延々と続く。

その豪雨の中、暗がりからまた別の訪問者が来るという、不思議空間。

(↑展覧会の打ち合わせに来た若者たちでした)

宅配は小雨になってから、忘れた頃にやっと来た~。

Img_9298

ここからがまだ長かった一日でした。

宿に行ってからの試着大会、ね。

ジョグジャって日暮れと共に寝ちゃうバリと全然違う! 

夜が長い感覚はむしろインド的、かも。



翌日は、まみさんが高評価している

琉球藍を栽培し染料を製造しているshibirufatのイプンさんをお訪ねする。

Img_9312

琉球藍はこの中部ジャワの山麓に適していて

現在では60ヘクタールを超える栽培地域を契約しているという。

農薬も肥料も不要。

異物があると色に差し障るそう。

自然派志向のバティック作家はじめ

バリ島の藍染工房もこちらの染料を御用達にされているらしい。

お訪ねすると、

自作の藍染料を使ってさまざまな作家からの注文品を染めていました。

アトリエマニスからの注文品も実はすでに入っているのですが

しばし難航中。

無地染め、もしかしたら一番難しいのです。

たまさかイスラム教の休暇が重なり今期の服に間に合うかどうか微妙ですが

頑張っていい色合いに仕上げてくださるといいです。

Img_9313_20230323221601

糸染め、布染め、製品染め、いろんな注文を受けながら

イメージを膨らませるイプンさんです。

なかなか良い出会いでありました。




午後また豪雨にて

イプンさんのところで藍の畑を見せていただくのは断念して

帰り道。

マゲランの街にあるスタバに寄ってもらいました。

スタバって飲み物はたぶん共通なんだけどスイーツやサンドイッチは結構地域色。

バリ島よりも安くて豊富なショーケースに興味津々!

そういえば昨日土器さんのインスタにアメリカではサンドイットが29ドルで売られている写真が出ていたけども。

私のはこの後、ジョグジャ市内で予約していた宿泊先へ。

たどり着いたのまたも夜9時半。

Img_9361




3日目の記録。

クラテン。

雨が迫っている中、山あいのバティック工房へ。

Img_9389

まみさんとの旅が続いています。

お互い目的は異なれど布にはそこそこ深いので、

道中良い刺激を受けています。

着いたらまた豪雨。

車で行くのがギリギリな感じの細くくねった道の途中で、

集落の人たちが集まって

手描きチャンティンをやっていました。

たたずまいがただひたすら美しい。

やっている人たちはたたずまいなんて全然気にも留めてないでしょうけれど。

奥には薪で染料を作っている作業場があり、母屋の中では小さな子供たちが元気に遊んでしました。

最高に素敵な集落だったけれど残念ながら服地に向く布が見つけられず

手ぶらでした。

Img_9396  

本当にジャワはバティック王国。

丁寧で時間がかかる手描きバティックがまだまだ昔ながらの手法で行われていて

外国からの生地輸入を差し留めにされるのが

この人たちの糧を邪魔するからという理由なのは納得できます。

でも、染に使う布がね、鎖国状態なんです。いったいいつ開くんだろう、早く黒船来て欲しい。




クラテンからの帰路は夕焼けバンザイ。

ジョグジャ近郊にある面白い物件に連れて行ってもらいました。

名称不明ですみません。

Img_9416

畑地の中に、こんなものを作った人がいる。

インドネシアの好景気ぶりがよく分かります。

おやじっぽくない若い感覚の物件が増えていくという事。

Img_9424

1階はモールみたいな店舗や雑貨店。

Img_9426

2回はカフェレストラン。

Img_9436

自然派なコンセプトで敷地の奥には園芸店もありました。

まぁ、こうしたところでアルアルなんですが、

空間はクリエイティブでモダンなのだけど扱っている商品や食事のクオリティーが

全然かけ離れてしまっているのがバリ島でも見受けられるローカル資本の物件です。





4日目。

日曜日はどこもお休みなので、

まみさんと朝のウォーキング at ボロブドゥール。

珍しく良く晴れました!

Img_9444

犬がいない(ジャワ島は犬が少ないかも)歩きは久しぶりです。(笑)

タピオカでチップスをつくっているイブのところをお訪ねして

お茶をご馳走になりました。

まみさんはごく自然に人のところにあちこち立ち寄る。

アポなしで朝とか夜とかでも訪ねて行って、おやつつまみながら

ゆっくりおしゃべりできるっていうのが

私には驚きです。

「ここまで来たら顔見ないと」って感じらしいのですが、

ゆったりしていてもちゃんと経済が回っている。

Img_9454

タピオカ屋さんでゆっくりお茶した後、朝ご飯に立ち寄ったリゾートホテル。

このバティック柄のようなセメントタイルがジョグジャ近郊では大流行りしているようで

ジャワ風と言えば確かにそうなんだけど、南仏っぽさも感じます。

ソレイヤード風というか。

昔最初の家のキッチンを作った時に入れたセメントタイルと比べて

色やデザインが格段に進歩しています。

輸出もされていそうですね。

Img_9456

4日間のジャワ。

クラテン、ボロブドゥールなどなどを端折って記録しました。

旅先から直接Facebookに投稿しています。


もう少し続きます!

| | コメント (0)

2022年8月14日 (日)

インド行きました 2022.5 その5

お疲れ様です!

最終回です。


・・・・・・・・・・


冒頭ですが余談を先に入れます。

インドの入国条件について。

ビザはオンラインで申請しカードなどで料金を支払い

送られてくる書類をプリントアウト。

出発前のPCR検査陰性証明を

政府指定のサイトにアップロードし

返信で送られてくる書類をプリントアウトすればOKです。

2022年5月時点ではワクチン接種の有無は問われませんでしたが

現在(2022年8月)は必要になっているようです。

注射不可の私としては5月に行っておいて良かったのかも。

これから出かけようとしている皆さんは

「その1」も一応読んでみてください。


・・・・・・・・・・

5月18日(水)

運転手のシュルジートさんが、またとんぼ返りでヒマーチャルへ行くというので

その体力に驚きながら5日間本当にお世話になったお礼を言って

さよならしたんですが、

夜になって、やはり私の体調と翌日のスケジュールを気にしてくれて

ヒマーチャルへの出発を夜にし

朝から夕方までの運転をまたやってくれるという。

何という強靭さ!

Img_4304

というのも、私、インドネシアの再入国のために

「出発国の国立病院の医師の診断書」が必要。

デリーの国立病院=AIIMS(エイイムズ)に行くことにしたんですが、

シュルジートさんは反対意見。

でも、必要なのだから行かなければならないと主張したので

付き合ってくれたわけです。

結果は彼の言う通りで、

AIIMSはローカーストの人たちが無料で医療を受けられるような施設らしく

アメリカのERみたいに物々しく、

入り口に直接緊急車両がどんどん入ってくるようなところ。

猛暑のせいで倒れたのか

その人たちは担架に乗せられたまま入り口前の屋外にずらりと並べられており

まるで野戦病院みたいなところでした。

「内科の受付」を訪ねても、

Img_4328

「内科?はぁ、あっちで聞いてみて」みたいに

誰もがひっ迫している様子で、

はい、これはもう、無理ですね。

行ってみて納得でした。

いい勉強になりました。


Img_4321

AIIMSに行く前に少し時間が取れて久しぶりハウスカーズ・ヴィレッジへ行ってみました。

入り口付近にあるOGAANというアパレルブランドの上階、Coast Cafeというところです。

何を食べたのか、メモしてなくて

今となっては説明しがたいのですが、

おわん型に湾曲したアッパムという白いパンとココナッツミルクベースのアジア風カレー。

それに3種のチャツネが付いてきて

ピンク色のはビーツの色だとか。

久しぶりのカプチーノ、でしたが、やはり薄い。

この冷房空間でスタンバイしておけてよかったです。




シュルジートさんのすすめで

ホテルの人にAIIMSでの件を話すと、

どんな書類か見本があれば頼めるかもしれないとのことなので

試しにお願いしてみました。

写メで公立病院の医師に書類を送り、1日待ってみました。

が、やはり断られたとのこと。

もう書類無しのままインドネシアに再入国するしかありません。

(バリ島での私立病院の診断書は持っています。)

ちなみに前の「その4」にちらっと書きましたが

PCR検査はホテルまで来てくれました。

普通に私服の人が検査キットだけ持ってきました。

2回ほどアポの時間が変更になり面倒でしたが、

結果はホテルに送られてきてプリントアウトしてくれました。

費用は1500ルピー。




翌日。

5月19日は外出前に近くのお寺に行ってみました。

グルドゥワラ・シュリ・バングラ・シャヒーブという広大なパレスで

シーク教の礼拝所だそうです。

敷地内はどこかクリーンで清々しいエネルギーに満たされているような気配。

さすがに宮殿まで入るのは作法などもありそうで憚られ、

回廊をぐるっと散策。

食事がふるまわれるらしく、入った場所は大きな厨房の脇でした。

Img_4339

たくさんの人が歩いているから通り抜けの道なのかと思ったら

中に学校などもあるそうです。

この日も午前中から43度くらい。

Img_4342

お寺の前にある売店。

布がどんなのか見たかったのですが、、

Img_4347 




この日から別のドライバーさん、マンジートさんに。

英語があまり通じないけど真面目なので

どこか涼しいところにいて終わったら連絡するから来てね、といっても

駐車した場所で車の外で待ってるので

私が生地選びに没頭してると待ってる間に溶けちゃうかもしれないから

生地は一回に全部まとめて買わずに

2日に分けて同じところへ行き、待機時間を減らす工夫をしましたよ。

ふぅ。

46度ですからね。

Img_4357

私も帰り道にちょっと涼みにカーンマーケット。

ここはマンジートさんにお金渡して1時間ほどどこかへ行っていてもらう。

やっとカフェラテにありつき、ついでにおっきなスイーツも頼んじゃう。

(けどお持ち帰りにした~)



その翌日も同じパターンで

同じカフェでレバニーズ・プレートのランチ。

ファラフェルがスパイシーでした。

マイフェイバリット、タートル・カフェ。

Img_4390

マンジートさん、最後の日の早朝出発にも

時間バッチリで来てくれて。

5分前に「前にいますよ」、とワッツアップメッセージ。

本当に真面目で良い方でした!

Img_4423_20220806235501

カウンターでの手続きでえらい時間がかかりお金をたくさん払わされることは

夜な夜な夢に出てきて覚悟をしていましたが、

ホントその通りになりましたね。

荷物超過チャージが今は1キロ3200円もしますから。

だから事前申請で割引価格にしたかったのに、

オペレーションがごちゃごちゃで。

インドからの生地がインドネシアでは受け取れないという税関の掟があるために

いつもカーゴで一旦日本へ送り、日本からバリ島へ送るものと

こうして超過荷物で運ぶものと半々なんですが、

今回は帰りゼロ円チケットのせいか、帰りのチケット代を普通に払うのを越える

重量超過料金になりました。

それでもって、

デリー発シンガポール航空にやっと乗り込むと満席でした。

ふぅ。

Img_4424

シンガポールではこれまたゼロ円チケットのせいで

16時間待ち。

注射してないので空港から外へは出られずに

物凄く高いエアポートホテル(しかも常時混んでいるので早めの予約必要)、にしました。

実際は空港内の床に寝ている人もたくさんいたので、それでもよかったのかも。

まずはホテルに入る前にエアポート屋台村でハイナンライス!

Img_4430

シンガポール空港内ではほぼキャッシュレスになっていて

こうして自動支払機でクレジットカードなどをピッとかざすだけでOK。

両替をする手間が不要になったのはいいけれど

今やレートが悪すぎて、コーヒー1杯600円とかしてしまうのに泣きながら

あちこちでぴ、ぴ、とやってしまう。(笑)

Img_4432_20220806235501

ホテルに入ると、何と12時間滞在というパッケージで2食付きでした。
(すっかり見落としていました)

翌朝はミール利用したけど、なかなかちゃんとした内容でした。

ターミナル1のエアロテル。

昔SARSの時も一度泊ったことがありますが

値段が上がった分、室内もサービスもグレードアップしていました。



バリ島、上等なお天気!

バリ行きフライトには前日デリーから一緒の便だったインド人の人たちがちらほら。

インドが私に付いてきてくれてるみたいで何だか楽しい。

Img_4440

さぁ、

ココから先が「証明書なし」の私に通せんぼがありませんように。

しかもアプリに不具合があり書類のアップロードも出来ていない。

荷物をまた税関で呼び止められ全部出して見せるのも勘弁してほしい。

今回最大の難関がインドネシアの再入国なのであります。

Img_4441

そしたら、何と

全部スルー出来ました。

最後は完璧!




最後の写真は、

作品展も駆け抜けた後

友人の子供たちの卒業式で

ヌサドゥアへ行き

ボートゥリーのスミちゃんと合流し

ビーチで寛いだときの。

Img_4710_20220806235501

ここまで

駆け抜けた後、ガルンガン&クニンガン休暇だったのは

本当に有難かったです。

・・・・・・・・

最後に一つお知らせです。

8月28日(日)12:00~17:00

久しぶりに京都oko manisオープンデーです。

私の京都inに合わせて1日だけなんですが

作品展の時のように関西の皆さまのお直しご相談も承ります。

お時間がある方、お直しをお考えだった方は

是非いらしてください。

| | コメント (1)

2022年8月12日 (金)

インド行きました 2022.5 その4

バザールの日曜日の午後に

1件だけ仕事場を見せてもらえるところがありました。

クルの川沿いにあるインダストリアル・エリアから

車と徒歩で傾斜地を上がった場所。

お休みの日だけど職人さんが一人だけ来てくれてました。

Img_4237

ここもショールが中心。

比較的真新しい機が並んでいます。

製品は街の方にあるショールームで見せてもらいましたが

ローカルシープよりも輸入のメリノウールを使うものが多いみたいです。

Img_4234

写真はメリノですが、

ヤクやローカルシープの産地はアップルバレーという場所で

クルからマナリへ行く途中にあるそうです。


この工房の社長さんはデリーにいるそうで

見学しかできなかったのですが

後日この社長さんがデリーの出先に訪ねてきてくれて

見本をいろいろ見せてもらえました。

その様子ったら、日本のアパレル生地屋さんそっくりで

在庫数もすぐに分るし、見積もりもその場ですぐ!

(インドなのに・笑)

私はその商談時間をお昼に充て、チャーミエン食べながらで

失礼しました。

さらに驚いたことに

試しに選んでみた生地が翌日の午前中に届いたんですよ。(笑)

クルの街からの夜行バスにこうした荷物を運ぶサービスがあるらしく。

まぁ、届いた内容が注文と大幅に違っておりましたけれども、

インドなので。オチはあります。

社長さんがホテルに生地が届けに来た時間とPCR検査がこれまた重なって、航空会社との電話も重なって

多めに支払い釣りはいらんと手を振ったら

不思議そうな顔をされました。

本当に失礼ばかりしてしまいました。

・・・・・・・・・


ここからはまた話しと時間を巻き戻し、

5月16日(月)です。

早朝からの下痢と熱で起きれず、

11時ごろの出発にして

途中の道沿いで教えてもらったウール屋さんへアポなしで訪問しました。

なかなか大きな工房です。

ここでは糸から織りまでを一貫して行っていて

入り口にはショールとツイード(服地)を並べる店舗もありました。

Img_4269_20220806222201
ジャワ島トゥバンの織工房でもそうでしたが、

リズミカルな音楽を掛けながら

リズミカルに織っています。

30代くらいの若い社長さんですが

職人さんたちが皆ニコニコしていていい感じ。

織っているのは全部ショール。

Img_4272_20220806231701

チベタン風のお母さんも。

Img_4273

ヤクの天然色です。

Img_4279_20220806231801

Img_4278_20220806231701

下は寄りを掛ける前の糸。

写真がありませんが、緯糸はチャルカ(糸車)を使って作業されていました。

Img_4288

こちらは経糸を巻き取っている作業場です。

Img_4283

織りあがった布の整理をしているおじいさん。

Img_4286

店舗からいくつかのツイードを選んで車に乗せたら

荷台も助手席もパンパンです。

やはり時間がかかっても車で動くのが私には合っていますね。

行き当たりばったりの買い付け派だから。



この後は運転のシュルジートさんの意見で

チャンディガールまで一気に戻ろうという事に。

デリーから4~5時間ほどの都市で空港もあるし。

しかし

途中の山道でまた長い渋滞。

桃源郷みたいな場所の渋滞に綿菓子売りに来る青年たち、

一体どこから来るのでしょう??

その先私はほとんど寝落ちていたのですが

チャンディガールに着いたのは夜10時近くだったかもしれない。

シュルジートさんが薬局で

この「電解水」の粉末を買ってくれて

これ飲んだら治るよ、って。

水に溶かしてね。

飲んでみたら、あ、ポカリでした。

Img_4298_20220806231801

翌朝には熱が下がり、

体力も少し戻ってきて助かりました。


翌日はwifiも快調でデリーに入る前に

あれこれ予定を立てられました。

先ずは直接カーゴ会社へ。

車の中は出発時と同じ、スーツケース1個だけになって

またコンノートプレイス近くのホテルに。

夕方は元気を取り戻し

また徒歩で生地を買いに出かけたりして。

あぁ、デリー。暑いです!


・・・・・・・・・・・


次回最終回は・おまけ編

デリーとシンガポールの「まめたび」です。

お時間がありましたら

また引き続き眺めてみていただけたら嬉しいです!

| | コメント (0)

2022年8月10日 (水)

インド行きました 2022.5 その3

おはようございます!

書いていたら、久しぶりに消えました

気を取り直して

また書きます。もうね。予定を返上して

朝から書くよ、今日は。

(昼ごはんはテイクアウトにしよっと。)

・・・・・・・・・・

 

5月15日(日)

ヒマーチャルプラデーシュ州2日目、

デリーを出発してから3日目です。

日曜なのでウール屋さんたちも休みだし、

(1件だけアポ入れてもらえた以外は)

選んだホテルは街のど真ん中だし、

歩く気満々。

標高2000mほどというクルの朝はそれほど寒くなくて

なぜかしらと思ったら、インド全体が記録的な熱波の日だったそうで

この日はデリーが49.2度。クルも午前中から30度越え。

そうとは知らず歩き回ったあと

フラフラになって

今までほとんどNGとしてきたローカル屋台のものを食べたら

当たってしまって

翌明け方から丸一日、熱と下痢でした。

インドでは同行人の人たちがローカルフード食べて寝込むケースを何度か見てきて

私は誘惑に負けないようにとこれまで気を付けてきていたんだけど。

お陰で、翌日はダラムシャラーまで行けるかな?なんて薄っすら期待をしていたのも

全部取りやめになりました。

ダライラマさんが、出直してくるように、っておっしゃったんだわきっと。

・・・・・・・・・


インド人は朝遅く夜遅いんですが、

10時半過ぎに敷地から出てみると

バスロータリーの広場でバザールが始まっていました

日曜日だからかな?

下の写真はバスロータリーの前に並ぶ果物屋。

Img_4215_20220807204901

日よけクロスと地面のマットもある。

これが無いと厳しいのが実感できます。

キョーレツな日差し!

乾物、日用品、雑貨品、化粧品、衣料品。

Img_4209_20220807204901

色とりどりのカーペットは化繊かも。

中国製かも。

量がすごい。

Img_4210

カットゥのショールもあります。

が、

上の2点は何とプリント。

バリ島でも浮き織のソンケットをプリントしたサロンが流行っています。

Img_4249

下の写真は

夕方のもの。

もうこの頃はフラフラしていた。(笑)

午前中よりも倍くらい店が増えていて

もう一回見に行かなきゃで。

お馬かわゆし。

子供が小さかったら

買って担いで帰ったかもしれない。

Img_4251

インドのソウルドリンク、さとうきびジュース。

北の国にもありました。

Img_4245_20220806222201

これ探していたんですよ。

ローカルマーケットで売られている

ヒマーチャルウール。

全て製品化されていて

生地や糸がなくて残念でしたが

一般の人たちがこの風合いとクオリティを身に着けて暮らしていると分かって

嬉しかったです。

 

Img_4242_20220806222201



バザールとは反対側のスペイン坂みたいな坂道に

お店が並んでいたので

行ってみる。

売られている雑貨品は観光客向けのものは乏しく

中国製っぽいリュックやらウエストポーチ、スニーカーなどなど。

クルはヒマーチャル水晶の有名な産地らしいのだけど

クリスタルには出会えませんでした。

もう数時間北にあるマナリーはバックパッカーのアジトみたいなので

そちらの方にいろいろあるのでしょうか。

Img_4218_20220807204901

あっ、ヒマーチャルウール着ているおじさんを発見!

カットゥの伝統的な帽子もかぶっている♡

Img_4225

遠目ですが、

右側を歩いている人はヒマーチャルのコスチュームを着ています。

モンゴルっぽいチュニック。

Img_4219

山あいの住人たちはバスで町へ降りてくるのでしょうか、

バスがたくさん。

Img_4223

野菜はこっち側エリアで売られていました。

茶色の大きな建物は市場なのかも、閉まっていましたが。

道端で売られているは

オクラ、ナス! 

上のはマンゴー、ココナッツ、パパイヤ、チェリー。

Img_4229


こちらは橋の上の「場外」です。

苗を売っている!

レシピが知りたくなりますね。

Img_4227


種を売る人も。

暑そうです~

Img_4226


チベタン・モモのお店。

Img_4231_20220806222201

「ファーストフード」店が意外と多い。

ちゃんとしたレストランは意外と見ない。

ヒマーチャル風ファーストフードは

トゥクパ、モモ、チャーミエン。

トゥクパは小麦粉の麺と野菜にヨーグルトやスパイスを使ったスープのスープヌードル。

モモはネパール料理にある肉まんまたは餃子みたいなあれですね。

チャーミエンは焼きそば。

ホント、今回は焼きそば三昧です。流行っているのかもしれません。

Img_4233

・・・・・・・・・

インドの連休だし日曜日だし

郊外にはラフティングのポイントもあって、なかなか賑やかな一日。

冬季は積雪もあるしどんな感じなのでしょう、

ウールの産地ですからね。

この街クルは小さな町ですが、空港もあります。

フライトは天候に左右されやすいそうです。

・・・・・・・・・

キリが良いので一旦区切ります。

続きはまた!

| | コメント (0)

2022年8月 8日 (月)

インド行きました 2022.5 その2

続きますと言いながら、

2か月もあいてしまいましたが

再開です。

 

まずは日本の皆さまへ

暑中お見舞い申し上げます。

インドで49度の日が1度ありましたが

日本とは暑さの質が違いますから

のんきに外歩きしてました。

毎年暑さも寒さも天候の振れ具合もどんどんギャップが大きくなり

斎藤幸平さんのような革新的な主張がやっと出てきましたが

どうか間に合いますように。

いえ、あの、きっと間に合うんですが。

 

この夏休みは、世界中の人が待っていた夏休み。

行きたかった、我慢していたところにやっと行くんだ!

シャンパンの泡がはじけるようなピチピチしたエネルギーが

感じられるのは私だけでしょうか?

 

日本のこの夏の感染拡大、

私の中では

スペイン風邪の時のオーストラリアみたいな印象があります。

世界中がパンデミックで大わらわな頃には封じ込みができていたのが、

他国ではそろそろ集団免疫がついて再開する時期になって

感染が激増するという?

(スペイン風邪の頃のオーストラリアはいち早くロックダウン、鎖国をしたので当初は流行らなかったが世界で終息に向かう頃にパンデミックに陥ったそうです。)

しかしこれ、日本だけではない可能性も。

人々はコロナへの恐怖心、警戒心が薄くなり、「もうそろそろ終わりにしようよ」という空気感になり

熱が出ても検査してないだけ、って気がします。一先ずバリ島ではそんな感じです。

かくいう私も知らず知らずのうちに罹っていて

出国72時間前のPCR検査で陽性が出てしまったんです!

ピークシーズンゆえ日程変更の差額は高額ですが

これはもう仕方あるまい。

8月2日からの帰国予定を3週間延期することにしました。

 

8月をまるまる開けようと6月下旬から秋物試作に取り掛かってきたので

制作はもうスタッフだけで進行できるようになっていますし、

「延期」により予期せず時間の棚ぼたが訪れたので

さっそくブログの更新をば。

表題の「インド記」を続けます。

 

・・・・・・・・・・

 

2022年5月14日(土)

インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州の拠点、マンディの街から出発

車からの写真しかありませんが、川を挟んで両側に美しい景色が広がっています。

山の緑も青々と美しく、気温はデリーより10度も低い。

Img_4090

この日は、

ずっと前から連絡を取り合っていたマンディ郊外のHimachal Textileというウール工房からスタートです。

ヒマーチャル州のウールは

素朴で安定しているので

毎度あの手この手で取り寄せていましたが

いつか見に行かなくては、と思いながらのコロナ中断でした。

娘さんのアンシュルさんが案内してくれました。

Img_4093

まずはこの作業から。

山になっている原毛からゴミを取り除いています。

Img_4101

傍らには、乗っても凹まないくらいパンパンに硬い袋が山積みされています。

1袋は100キロですって。

何匹分の毛だろう?

地域では、

インド政府の繊維省のサポートを得ながら

原毛になる家畜(羊、ヤク、アンゴラなど)を飼育する生産者、

繊維製品をつくる生産者がいて

大きく二手で分業しているそうです。

織り手は(家畜生産者と同じ人たちの場合もあるかもですが)

桃源郷の住民たち。

紡いだ糸を支給し

政府から支給された織機で

産地特有の手織りウールを作っています。

紡績には機械を使いますが、それでも大変な手間です。

大学で繊維学を学んだアンシュルさんは機械の調整もお手のもの。

お父さんの代から

機械は買うのではなく、自分たちで作ったのだという。

Img_4095

原毛はまず種類別により分け、洗います。

そしてコーミングするとふわふわの太い紐のような状態になります。

脂ぎっていた自由奔放な原毛はこの過程で空気を含み

一気に素晴らしい素材に変身します。

Img_4111

下は、

撚りを掛ける前のローカルシープの毛。

天然のままの色だそうです。

(※メリノウールも広く使われていますが、オーストラリアからの輸入です。)

Img_4104

撚りを掛けるのはアンバーチャルカと呼ばれる機械。

作業はオートメーションではなく

全て人の手により管理されています。

Img_4115

出来上がった糸は織り手へ分配される。

下の写真の女の子は織りの研修生です。

工房では、

足にハンディキャップがある住み込みの職人さんも抱えていらっしゃるそうですが

地域の山あいに契約している織り手は200人にのぼるそう。

織りあがったものをまた買い取り、

インド各地や海外で政府が奨励する販売会を通したりして

販売している。

政府が管理、支援していることから

多くの人々にとって買いやすい価格にもなっていて

ある程度の数量が売れるから

たくさんの職人を抱える事が出来る、というわけです。

Img_4118_20220806155601

これはカットゥと呼ばれる模様織。

ヒマーチャル伝統のウール織物は主にショールで

両端にこのカラフルな織柄が入っています。

ナチュラルなローカルウールにカラフルな市販の毛糸を織り込みます。

Img_4124

今回はアトリエマニスの服地用に、

ナチュラルカラーの圧縮ウールとヘリンボーンを買いました。

こうした服地は総じてツイードと呼ばれていて

ヒマーチャルの男性のジャケットに使われているようです。

手織とのことですが一部は機械織のようです。

Img_4126

さてさて。

授業終了。

アンシュルさんが

ひよこ豆の炒ったのとプラムを出してくださったけど

時間が無くて。おみやげに包んでいただきました。

Img_4134

幹線道路に面しているショールーム。

不便な地域ではありますが、興味がある方はこの写真を参考に

ネットで調べてみてください。

この方がアンシュルさんですよ!

Img_4133

先を急ぐ私を察して

Himachal Textileから少し先まで彼女に同行してもらい

地域の事などをさらに教えてもらいました。

エアコン車だから助かったものの、ホコリがすごい!

Img_4137

下の写真は、マンディ地域の中でも風光明媚といわれる

ビューポイントです。

よく見ると

山の上の方まで家々が点在しています。

住民たちは主に自給生活なのだそう。

冬の間は備蓄食料と薪だけで籠る。

水は川から山の上の方までポンプで引いている。

「これだけあれば安心、モノが多すぎると逆に不安ですよ」、って。

8月辺りの雨期には緑が生い茂るのでしょうけれど、

私の知っている人が暮らす場所とは

ハッキリ言って程遠い。

これでも数日前まで豪雨だったのです。

「モノが少ない方が、いつくらいまで暮らしていけるって具体的にわかるから安心するんですよ」

Img_4135

どうでしょう、この景色を見て豊かだと思えなかった私の貧しさと言ったら。

この風景の中にたくさんの家庭があり、若者も、子供たちもいるんですね。

幸せって、すごく近いところにありますね誰にもきっと。

(はい、私はいつも最高に幸せですけれども。笑)

Img_4147

アンシュルさん&ショールームのスタッフさんとランチ。

彼女たちはこの後、灼熱の幹線道路で

どのくらい待ったのだろう、路線バスで帰宅していきました。

(自家用車もあるのに倹約家なんだなぁ、と思いながら)

こんな場所でも道が渋滞していたのは丁度ウエサク祭休暇だったから?

この後、ホコリまみれのまま

渋滞にはまりながら

クルの街を目指します。

Img_4148

Img_4150

道路は少し前と比べたらすんごく改善されているそう。

次に来る頃には山間の長距離トンネルも開通して

デリーからの所要時間が半分になるよ!って運転のシュルジートさん。

それにしても、、

ずっとこの乾燥した景色が変わらぬまま。

地球がどれほど乾燥し暑くなっている事か。

Img_4154

これ、滝なんだって。

干からびて見えるけれど、

確かに周囲に緑があるからそうなのかも。

Img_4170

わお、もう日没の時刻。

渋滞その他で2時間も遅くなりましたが

それでも待っててくれたおじさんと息子さん。

右のワンコは何とルビー!

(ウチのわがままゴールデンと同じ名前)

Img_4183

ここはヒマーチャル州の観光地、クルという街の郊外にある

ウール産業の特別区。

作業場はさすがに時間的に見れませんでしたが

素敵な在庫を購入できました。

Img_4185

一日が長い事といったら。

前日のホテルでwifiが使えなかったことから

この日の宿がまだ予約されていなかったのを思い出し、

下調べしていたホテルに

もう時間的に直接行きまして。

そしたら、、

すごく素敵なお宿でした。

エコノミークラスは分かりませんが、wifiが使えるのは

ワンランク上のみで

そしたら、、

villaでした。けど、予算内の価格、です。

コンクリだけど伝統建築でリビングスペースもあって

Img_4188_20220806155801

バルコニーからの夜景が

何とも素敵でした。

Img_4195

子供たちの声や車の音が

山間こだまして

幸福度高かったです!

いやはや、

実は

今回は

短期ながら旅程が未定という初めての体験。

 

ヒマーチャルのふところにダイブしています。

・・・・・・・・

続きます!!



過去最高に長かったかも。(笑)

読んでくださって本当にありがとうございました!

 

また続きも読んでいただけたら!

| | コメント (0)

2022年6月19日 (日)

インド行きました 2022.5 その1

今日はバリ島はクニンガン、送り盆の休日です。

滑走もひと段落して久しぶりのブログタイムです。

Img_4852


・・・・・・・・・

5月の作品展から3週間経ちました。

今回もとっても充実した作品展になりました。

お買い上げくださった方々、お越しくださった方々、

フラスコの日野さん、運営部の皆さん、京都の皆さん

大変お世話になりました。

Ghvw4397 Gzph8906

今回もLINEビデオからのリモート参加でしたが

ネットの具合が良好で会場のご試着をかなり拝見できました。

東京時代にずっとお世話になっていた加藤希久代さんが

お直しご相談係で来てくださったり、

懐かしく楽しく、あっという間の3日間でした。

次回秋も予定していますので、

またよろしくお願いいたします。

マニス巡回展の方は、今週は大磯の布うさんで夏服展開催中です。

https://www.instagram.com/fuu.oiso/

・・・・・・・・

5月はコロナで引き籠っていた2年ののち

自分的にここまで出来るのかなと自信が持てないところもありましたが

予定通りに駆け抜けて

しっぺ返し的な体調不調も今のところなくて元気に次の予定に入っています。

4月下旬から準備を始め、

出発前日ギリギリまで作品展に送る服のチェックをして

不在中に作っておいてもらう服の指示を決めて。

2年ぶりのインドへ行ってきました。

今日から少しずつインドのレポートを書いていきますので

どうぞお付き合いください。

・・・・・・・・

今回のインドは、私が体質的な問題からコロナワクチンの接種が出来ていない事で

この時期に海外へ出れるのかが最初の難関でした。

私は19年前の出産を機に一切の薬を飲むのをやめたので

歯医者さんでの麻酔注射はじめさまざまな化学薬品にちょっと敏感体質になっています。

インドは不接種の人は2日以内のPCR陰性証明があれば入国できるとの事ですが

問題はインドネシアの再入国。

必要条件が政府の最新通達と利用航空会社とで異なりました。

結果からして、各国の入国条件がどんどんアップデートされているのに航空会社の方が間に合っていなくて

チェックインカウンターでの対応が「少し前のもうちょっと厳しい条件」の方に合わされいる為

私の場合は「5日間の隔離ホテルの予約バウチャー」とか「出発国の国立病院の診断書」とかが必要。

ところがこの診断書が現在医師の間でNGになっているようで、どこを聞いても断られる、というものでした。

ホテルも、今ではコロナ隔離なんてもう大昔。

フツーの観光客がPCR検査も無しでOK。

以前のように到着ビザで簡単に入国でき自由に行動できる現在のバリですから。

ですので、今月バリへ渡航予定の方は、航空会社の規定をよ~く確認してから飛んでください。

iImg_3914

現在、航空会社のオペレーターさんたちもかなり混乱しており、

円安と燃油高もあるのでコロナ前の簡単で安い旅行ではなく

噛み合わない情報の中からグッドチョイスを見つけるような

宝探しみたいな感覚でしょうか。

で、

私の場合は

往路が以前の2倍の価格で復路が無料という掘り出し物が現る。

そんなのアリ??かと2日間アタマいっぱい迷って、よっしゃ、チャレンジ。

航空会社の直接サイトですが「復路0円」というチョイスがあるなんて、マジですか?

今まで見たこともなかったけれど。

結果は後日書きますので乞うご期待。(笑)

・・・・・・・・・

話しは変わって。余談をひとつ。

下の写真は、私が戻った後の食卓テーブル。

毎日これ食べてたのか息子よ、冷凍庫のコロッケも全部なくなっておるよ、

ご飯を炊いた形跡は無し。

ゴハン代に置いていったお金は全部使ったという。

(笑)

Img_3947

因みに、インドネシア人はミー(麺)をすごく食べる。

小麦粉はウクライナかららしく、この先供給不足になる不安から

国産小麦のプランテーション計画も出ているとの事。

私はコメ派なのであまりピンとこないけれど

じわじわと食糧の不自由さが来るのかもしれない。

2か月ほど前はパーム油が全国的に品薄になりパニックが起きました。

一時は3倍近い価格になり、そののち政府が輸出規制をしたので現在は店頭にもまた出回っています。

コロナとバイバイすると同時に、また別のサバイバル感が増してきました。

以上、余談でした。

・・・・・・・・・・・


……あれあれ、もう一つ余談。

こちらはUBUDのカフェ「KAFE」のインディアンプレートです。

先週ガルンガン休暇に入った初日に真っ先に行ってしまった。

本場インドでは外国人はほとんどまだ入ってきていなくて

インド人ばんざーい、って感じでしたが

移動が多かったせいかゆっくりインド料理を楽しむ時間が無くて

埋め合わせしました。

このヒトサラがコロナの間に何度助けてくれたことか。

インドから戻ってまたここにお世話になるとはこれ如何に。

(前置き長すぎで、すみません。)

Img_e4793

・・・・・・・・・・・・

5月11日。

やっほー、2年ぶりのデリーに到着です。

搭乗者はそこそこいたけれど

外国人ほぼ皆無。

イミグレの列がすっからかんでラクラクの入国です。

Img_3991

・・・・・・・・・・・

 

5月12日。

今回滞在のデリーのホテルは

コンノートプレイスという中心地から徒歩圏内にある静かな高級住宅地。

こんな場所があるなんて不思議です。

インドの5月は酷暑期。

今回は記録更新で49度まで上がりました。

Img_4009

Img_4010

デリーを徒歩って、素晴らしい。

SIMの購入が意外と押してお昼ゴハンは午後3時。

通りがかりとしては高級すぎるけどユナイテッドコーヒーハウス。

そうだった、そうだった。

こうしたレストランは何を注文しても2人前のボリューム。

焼きそばを頼んで半分をお持ち帰りして夜食に。

コレが気に入って今回は焼きそば率が高くなりました。

Img_4007

 

・・・・・・・・・・


5月13日。

ホテルの朝食はシンプル。

早朝出発のため早めに用意してもらう。

Img_4019

今回の旅は、まだ訪れたことがなかったインド北部、

ヒマーチャル・プラデーシュ州。

国内線も無くはないけど、NOワクチンだと航空会社によって面倒かもしれないと思い

デリーからの陸路で。

ドライバーさんと二人で5日間の旅になりました。

これでも最短、片道16時間だから行きに2日、帰りに2日なんです。

デリーから6時間くらいは整った高速道路、その傍らにたくさん現るは「ダバ」。

ハリヤナ州、パンジャブ州の言葉でレストランの意味らしいのだけど、

場所によっては広い駐車場に満杯の車。

5月の酷暑期に北部へ向かう国内観光客のラッシュでした。

Img_4021

8時出発、12時半。

お昼ご飯はその人気店の一つに。

インド人しかいない。

しかも、エーゴ通じない。

Img_4023

メニュー盛りだくさんながら文字だけで良く分からないので、

ミールス(いろいろ盛り合わせプレート)にすると

キタコレ。

この辺りはまだwifiが快調で、京都の清水さんと作品展準備の連絡を取り合いながら

片手でチャパティをちぎる。

チャパティのほかにライスも付いていて

明日まで食べ続けられそうな気がするも

チャパティのお代わりを聞きに来る給仕に

ことさら大きくNOと言う。(通じてヨカッタ。)

Img_4028

更に3時間ほど行き、もう一回休憩。

パンジャーブ州。

Img_4035

エアコンの店内には入らず、外の席でコーヒーを頼んだところ

なかなか、なかなか

出てこない。

Img_4039

時代がかったカウンターにコロナ的なバリアガラス。

Img_4040

やっと出てきたコーヒーの薄さに泣く。

ネスカフェであることは間違いないが、たぶんカビている。

それを微妙にカバーする砂糖入り。

もうこの先はコーヒーは諦めようと思う。

(実際はメニューにあれば諦めずに何度も頼んでは何度も泣く羽目に。)

Img_4043

ここを出たのが15時半、その後のグーグルマップで

この日の宿泊予定地まであと4時間。

Img_4045

ヒマーチャル州マンディには19時頃着いた。

けど、ホテルの場所が街から少し離れていて

結局20時近く。

途中からのゴツゴツした山道と、何度も上ったり下りたりする勾配とヘアピンカーブに

転がらないようにぎしっと掴まっていたせいで腕が痺れてしまう。

ホテルの部屋の静かさはバリの田舎並み、ココ本当にインド??

(通常は泊り客のドアの開閉やしゃべり声、テレビの音などに包まれます。)

おまけに前日までの豪雨でwifiダウン。

久しぶりの静寂と、

デリーの灼熱を忘るる涼しさなのに、頼んだビールが凍っていたよ。

・・・・・・・・・・

続きます。

| | コメント (0)

2021年5月 1日 (土)

マニスの旅・2020年2月 その7

バリではガルンガン&クニンガンの休暇が終わり、

この先はしばし仕事集中モードにスイッチオン。

前と若干違うのは(世界的な観光地のせいもあり)、

集中できる仕事があるということに

ありがたさが感じられることかもしれません。

日本はおこもりの黄金週間が始まっていますね。

皆さま、是非ゆっくりと充実した時間をお過ごしくださいますように。

まめ日記、今回は

1年前の懐かしいインドをひもとく最終回です。

最後はデリー。

いやはや、その後1年出来事のひだが深すぎて

ピンボケでも何でも1枚1枚の写真にじわっと来てしまいます。

・・・・・・・・・・


2020年2月24日、デリー。

バンガロールのホテルから空港行きを頼んでいたアニル氏が、40分も遅れてやってきたので

絶対に間に合わないと覚悟していたフライトが

何の問題もなかったのは昨日のことのようだけど、

(本当にすっごくいい人なんだけども頼んだ時間に来ることはついぞ一回もなかったんです。(笑))

デリーの写真を見ると、あぁ、これは遥か彼方。

インド門の周辺ガラスキです。

確か同じ日のもう何時間か前に、寅さんがデリーinしていたため、

空港はじめ都心の交通規制が解除されたばかりの。

Img_1624

このインスタの写真はモディ大統領の。

328万いいね!に自分もポチっとしているところ。

昨年投稿した自分のFBによると、この時デリーの学校は3日間休みだったそう。

今、モディさんは不休不眠かもしれませんね。

Img_1617_20210304201701

デリーの高級住宅街にあるすっごく素敵な宿泊施設をKさんにご紹介いただきました。

私はあまり長期滞在しないので

利便性重視のコンノートプレースに近いホテルがほとんどだったので、

こんな落ち着き払ったデリー滞在は初めてでした。

Img_1614_20210304201701

オーナーはイギリス人女性でインド人と結婚された方だと聞きました。

朝食スペースにいくつかの日本からのグラフィック。

Img_1636

室内も隅々まで行き届いていて、テンションアゲアゲ。

・・・・・・・・・・・・・

到着後の夕方、散歩がてらのディリハート。

敷地内にある店舗スペースに一定期間で入れ替わりでインド各地の布と工芸品の出店が並ぶところで、

各国のバイヤーはここでの産地との出会いが多いのではないかと思います。

昨年2月はラダック州(レーという町が中心地)の展示があり、はじめて山岳地帯の人々に会えました。

ちなみに北部のカシミール人、ヒマーチャル人はデリーには結構多くて、

インド旅行では敷物、天然石、ショールをカシミール人から熱烈に勧められること多し。(笑)

ヒマーチャル人はタクシードライバーやホテル従業員など出稼ぎ者多し。

ラダックの人たちはアジアモンゴル系の顔立ちで、彫の深いカシミール&ヒマーチャル人とはまるで違う。

Img_1616_20210304201701

宿に戻り、ディナーを用意していただく。

同じテーブルに同じ頃食事に来ていた別室のゲストが、いまどき珍しいクラシックなマダムで

彼女のインド話しを聞いていたら

映画の世界に迷い込んでしまいそうだった。

コロニアルを持ち込んだ方の視点は今もコロニアル的でした。

Img_1629

テーブルクロスのプリントが懐かしい。

Img_1630

2月のデリーは結構冷える。

宿では残念ながらあまりお湯が出なくてブルブル震えながら

クローゼットに入っていた全部の布類を引っ張り出してもまだ寒かった。

Img_1619

朝、またコロニアル主義のマダムとご一緒。ネスカフェじゃないコーヒーがあって嬉しい朝!

Img_1631_20210304202601

・・・・・・・・・・・・・・・・・

2泊だけの慌ただしいデリー。

午後には手持ち荷物のパッキングをして夕方には空港へ。

これがまた寅さん渋滞に引っかかりましたが、予定時間にチェックインでした。

Img_1628

搭乗前のラウンジでは、薬局に長蛇の列でした。

その時既にバリ島では入手困難になっていたサージカルマスクやサニタイザーが山と積まれていました。

ついでにコロナ効くという結構値が張るサプリを何本も抱えて列に並ぶ人々。

街中ではまだ「コロナって中国の風邪のこと?」ってくらいの人も多かったので、

緊張感が一気に募ったのを覚えています。

・・・・・・・・・・・・

2020年2月27日、バリ帰島。

雨。

翌日は大量の洗濯物やら月末支払いやら。

その後の2日間はクニンガン休暇でスタッフは休み、自分はしかし休む間もなくいろんなことをやっていた記録が

アジェンダに残っています。

今からすると、すんごく忙しくやっていた。

Img_1641_20210304202601

・・・・・・・・・・・・・・

インドは、4月に入ってから二重変異株の急増で

この数日は新規感染者数が35万人超え。

布産地の人たちにお見舞いのメッセージを送ると

「自分にも家族にも症状があって家から出られない」

「各家庭の半分が亡くなっている。自分も母親がコロナで亡くなった」

「自分の地域はまだ大丈夫だけど心配で仕方ない」

など、とても深刻な事態になってきているようです。

返信が来ない方もいて、それが一番心配でもあります。

どうかインドの皆さんが1日でも早く安堵できるように願わずにはいられないし

この波が他の国へ伝わりませんようにとひたすら祈るばかりです。

・・・・・・・・・・・・・

ゴールデンウィーク、今年もまだまだ落ち着きませんが

皆さまにとって良い休暇となりますように。

まめ日記でまた近日中にお目にかかりましょう。

| | コメント (0)

2021年4月18日 (日)

マニスの旅・2020年2月インド その6

しばし時間が空いてしまいました。

2月に完結したかった1年前のインド編、何ともう4月も半ば!

あともう少し続けていきます。

その前に、来月5月に予定している東京での作品展は

運営のお手伝いをしてくださる方々がまとまり、今回もたかはしはリモートで皆さまと繋がりながら

開催することになりました。

インドへも日本へも行けませんが、バリ島からさまざまな布づくりの地域と人々にお力添えをいただきながら

布を探す旅から布を作っていただく事にシフトして

これまでになかった連携プレーが生まれています。

今日は、ウールの産地ラダックのコミュニティの方とワッツアップで繋がり、

一つ先のシーズンに向けて手織り制作がスタートすることになりました。

バリ島ではバティック作家の植田有加さんとの共同制作で試作・制作が進んでいます。

作品展には、素敵なお取り寄せとWSがお願いできる事も決まり、

全てが楽しみになってきました。

ではでは、以下

2020年2月のインドの続編です。

・・・・・・・・・・・・・

前回の地域、

カルナータカ州メルコテにて。

・・・・・・・・・・・・・

布づくりの現場を見せていただいただけでも胸がいっぱいだったが

ドライバーのアニル氏がソワソワしているし、

メルコテの遺跡は只者ではないのかも、と、

ちょっと欲を出して駆け足で見学です。

(今、改めてメルコテを検索すると自分が見た遺跡がごく一部だったことが分かりました!)

ここは一つの聖地になっているような印象です。

丘の上に立つ寺院は小さなカイラスのような雰囲気すらあります。

その「丘の上」が今グーグルマップを見ながらもなかなか特定できない。

お寺が多すぎて、なかなか名称が確定できないという、意外な事態。

まずは、この中腹にあるスタジアムのような建築と中央の池は

トリップアドバイザーに投稿がいくつかあって名前が出てきました。

Img_1573

池を取り囲む回廊。その中央に池。メルコテ・カイラニ。

Img_1574_20210223004301

なかなかに大きな池です。

泳ぐ輩は見当たりませんでした。

釣りをしている人もいなかったので魚はいない??のかも。

池が芝生だったら、テニスの公式戦スタジアムという感じ。観覧席風階段で囲まれています。

何のために使われていたのかが今になって気になりますが、

ネットで探してみたものの直ぐには出てこないようで、ますます気になる~。

けど、お寺の一部らしいのでやはり沐浴場でしょうか。

Img_1578

そして「丘の上」にあるのはヨガ・ナラシムハ寺院という有名なお寺であることが分かりました。

寺の中の様子が紹介されているYouTubeがあり、

これはありがたかったです。

(ご興味がある方は、こちらをご覧ください。)

マスク時代前の三密インドでにぎにぎしく、カネをたたく男たちがネアカです。

Img_1579

池のほとり。現場は押さえなかったが、下たる水に証拠あり。

という訳で泳ぐ輩はゼロではない。

・・・・・・・・・・・・・・・・

そのホーリーな面持ちの「丘の上」にはいささか時間が足りず、

近くの別の丘にある寺と遺跡へ行きました。

それでも、十分すぎるくらいの見ごたえ。

Img_1581

シェリナラヤム・スワミ寺院(だと思われます)。

昼休み中で中には入れず。

(昼休みが長い!)

Img_1583

あっ、友達が!
(バリの我が家を基準に。)

Img_1585

友達はさておき、建築の美しさ。こうして見るとヒンドゥ文化は仏教とは結構異なる印象。

サドゥのような人たちもいました。

Img_1586_20210223004301

付近の住宅の入り口。

(バリ島目線でこれを見ると、この吉祥柄はチャナンのよう。)

Img_1588_20210223004301

もう一つ近くに池があるから見に行こうよ、とアニルがすたすた前を行く。

この人、なかなか歴史とか遺跡に詳しくて。

ウーバー(ネット手配タクシー)からの個人折衝という経緯ながら最適じゃない?

アニルの後ろにいるのはこの近所に自宅があるというヤナパダのスタッフさん。

一緒に案内をしてくれました。

これはもうご褒美ですね。ほくほく。

Img_1589

大きな石の前の素敵なカフェ。同行者がいなければそのまま通過しなかったんだけど。

ここであの南インドコーヒーが飲めたら最高だっただろうな。

Img_1591

もう一つの池は小さいながらも神秘的な場所でした。

アニル氏によれば、

昔この土地を支配していた王族の

双子の王女のミステリアスな伝説。

そっくりな2つの池はなぜか水の色が違う。

先ほどのヤギさんがまったりしていた池とは雰囲気も違う。

Img_1592

古代ヒンドゥーの遺跡はパワスポのような独特の静けさでした。

ぐるり一周して、先ほどのサルの一家に会った建物の反対側から

元の場所へと戻っていきます。

パースペクティブが美しいのは、当時の建築の美意識だったと思うけど

今の直線的建築では逆に作れないような柔らかさが溶け合う美しさ。

日帰り強硬スケジュールの中でここが見られて本当によかったです。

Img_1595

・・・・・・・・・・・・・

午後3時半、メルコテを出発。

やや西に傾いた太陽を右側に見ながらバンガロールへ戻りました。

沿道にコーヒーショップがたくさんあったので

夕刻のブレイクタイム。

Img_1597

インドの旅先でコーヒーが飲めるなら、たとえ甘すぎても結果オーライです。

・・・・・・・・・・・・・・・・

Img_1599

7時半ごろにホテルに戻り、向かいのコロニアルな別のホテルのレストランで

チャイニーズ。

絶対に食べきれない量が出てくるから1品しか頼まない、インドでのチャイニーズ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

Img_1600

翌朝。バンガロール最後の朝のコーヒー。

この後、空港までのハラハラがこれまた忘れがたいのですが、

アニル氏何と45分も遅れてやってきて、これじゃ絶対飛行機間に合わないと思いきや

全然余裕で間に合ったという。笑笑

インドネシア国内線で2度も乗り遅れた自分としてはなぜ間に合うのソレ、と

未だに摩訶不思議。

・・・・・・・・・・・・・・・

2020年2月のインド、次回は最終回です。

| | コメント (0)

2021年3月21日 (日)

マニスの旅・2020年2月インド その5

2020年2月のインド・回想録的連投の続きは

カルナータカ州。

令和2年2月22日は、

初めての南インド、バンガロールの一日、

その翌日はメルコテという遺跡がある古い町で手つむぎのコットンを作っている

ヤナパダ・トラストをお訪ねしました。

・・・・・・・・・・・・・・・

2・22は土曜日。一般の布関係も営業しているので

何件かお訪ねしてみました。

ええと、そうですね、

何かその前にありました。

あ、そうそう。

この街、バンガロールは現在はベンガルールと言いますが、

これまで知り合ってきたインドとは何かが違います。

「コーヒーください」→「はい、マダム」→「ん? これ、チャイですか?」→「はい、マダム」→「コーヒーはありますか?」→「はい、マダム」

みたいな会話が多い。

何というか、要点に行きつくのにいろは坂を通るみたいに行っては戻り、直線で行けない。

また、

「明日行きますからね」→「はい、とても楽しみにしていました。しかし、私は明日いません」→「え、どうしてですか?」→「今ムンバイ行きの列車に乗っているからです」

1週間前にブッキングしていたというのに。

「明日9時に迎えに来てね。」→「了解です。では、明日9時に」→

この先、もうお分かりですよね。

9時に来てる確率は低い。けど、8時半にもう来ていたりする!!

しかし、インドのシリコンバレーと呼ばれる街でもあります。

(大丈夫なのか、それ?)

タミール系の人々が多い地域ですが、この性質はタミール的なのかどうか。

バリ島から来た私には比較的あるあるですが。w

Img_1479

布関係を回って早めの夕方。Rain Treeというショッピングコンプレックスへ。

アノーキーなど大手ブランドのほか見たことないブランドのものも多数。

Img_1481

中にカフェもあって、にぎわっていました。

あまり自分に向くものがなくてがっかりしかけたところ、

このガンジーアイコンな刺繍のブラウスを見つけて、即買いました。

見てみて、この可愛さ♡

Img_7535

SALT WARKとNO TAX、SALT MARCHは

1930年代にマハトマガンジーが英国の塩の独占に対し非暴力で行った「塩の行進」のこと。

インドの心はいつもガンジーと共にある。

Img_7534

赤い刺繍部分の裏には当て布があって、その間の三角部分は1枚仕立て。

Img_7533

生地は縁が緑色のドーティ(男性用腰巻)を使っていて、

初期のアトリエマニスを思い出す雰囲気もあって、

運命の出会いのよう!

コロナ時代前、このブラウスが最後の買い物だったな~、なんて

大切な思い出の品となりました。

・・・・・・・・・・・・

その翌日は遠出です。

片道3~4時間のメルコテへ行くので早朝出発です。

冒頭にて触れましたが、

バリ島からメールで訪問日を再三伝えていたと思うのに、責任者不在という、アレです。w

代わりの人が迎えてくれ案内できると言うので予定通り行くことに。

朝7時に開くというホテルのカフェテリアがまだ開いていなかったりすることには

もう驚かない。

出発ギリギリまで粘ってこれだけの量を平らげるワタシって、どう?

Img_1487

テーブルがタイルだった件が懐かしい。w

Img_1488_20210223000801

カルナータカ州の土地は、メイソールと言うかつてインドの王国の中でかなり勢力を持っていた地域。

この土地では綿の栽培がおこなわれており、メイソールコットンと呼ばれています。

(原種綿かどうか正確には分かりませんでしたがそのようなお話しでした。)

サバンナ的な乾燥地帯をひた走り3時間。

メルコテは小高い丘の上の小さな古い町。

坂道の途中で長いおさげに花をつけた女性たちの群れ。礼拝の帰り道だったらしい。

Img_1492_20210223000801

着きました!

Img_1493

まずは「チャイorコーヒー?」→「コーヒーお願いします!」

コーヒー出てきました。パチパチパチ!

南インドコーヒー! ネスカフェじゃなくて!

けど、ミルクと砂糖はたっぷり。w

Img_1494_20210223000801

ヤナパダ・セヴァ・トラストはガンジー思想に基づき60年前から引き継がれて来た社会的組織。

メルコテはインドの中でも古い聖地のひとつで、観光客も多数見かけましたが

決して全面的に観光に依存するような街ではなく、そのことがフロムバリの私には印象的でした。

……自立しているのです。

(ヤナパダのプロジェクトが貢献している部分は大きいのかもしれません。)

そのひとつは孤児の養子縁組です。

ここには孤児院があり、訪問した時には確か十数名の子供たちがいました。

生まれたばかりの赤ちゃんもいて、支援者からの寄付で良好な環境と施設の中で生活していました。

つい最近(当時)、一人の子供が海外の里親のところへ行ったばかりだと聞きました。

写真の門の中に孤児院と、そしてもう一つの社会事業のカディコットン生産で作られた布の在庫室があります。

Img_1495

下の写真は、テキスタイル部の在庫室で買ったもの。

キッチンクロスのようなチェック柄。

あるだけ出してもらって品質を見て選ばせていただきました。

Img_1506_20210223000801

館内の仕事場に掛けられていたマハトマガンジー。

亡くなった時に1枚のドーティとメガネと履物だけしかなかったという事から

カディコットンを扱う仕事場の多くでこの絵写真を見かけます。

西洋画のようでそうではない描き方にも惹かれます。

Img_1508

縫製室。

織られた布でいろいろな商品を縫って販売しています。

Img_1511

ミルクメーカーからの注文で、おじさんがつくったバッグなんだって。

フランスのクリームチーズ、「笑う赤い牛」のようなマークじゃありませんか?

Img_1514

Img_1515

孤児院は写真不可だったのだったので載せられませんが、

LIONという映画(ご存知でしょうか?)の切なさを思い出して

インドの暗闇というか、見えないけれど実際にある断片を思うと

何か泣けてくるのでした。

Img_1519

最初の、コーヒー頂いた場所に戻ってお昼をいただくことに。

Img_1520

電線の向こうに見えるのがメルコテの遺跡。

写真の左側が孤児院&在庫室の敷地で右がその上の写真(扉の)建物です。

街の中心地ながらとてものんびりとした雰囲気の場所。

Img_1526_20210223002001

お昼ごはん!

素朴でおいしかった!!

Img_1528

午後は、そこから数キロ離れた布の工房を見学です。

Img_1532_20210223002001

敷地は広くて、研修センターや宿泊施設も。

Img_1534

経糸のセットをしていました。

生成のカディコットン。

Img_1537

産地によってさまざまな巻き取り機。

作り方、使い方もさまざま。

Img_1540_20210223002301

布のクオリティはこの仕事の質によってかなり決まってくる。

Img_1556

使い込まれた道具たち。

Img_1542_20210223002301

織機にセットされた図。

Img_1543

茶綿を使っているものも。

Img_1548_20210223002401

織姫が作業をしている。

Img_1554

手紡ぎのせいか糸の不均一が味わいになって。

Img_1557_20210223002401

糸巻、チャルカはガンジーさんの象徴でもあり、実際にインド各産地ではほぼ同じ形のものを見かける気がします。

Img_1558

カーディの思想を忠実に受け継いでいるかのような、こんな無垢なコットンがサリーとして織られています。

Img_1560_20210223002601

こちらは染場。染める前の糸と布。

Img_1564_20210223002601

染められた糸。すべて天然染料によるもの。染料になる草木は敷地内でも栽培しているそう。

・・・・・・・・・・・・・・・

Img_1568

案内いただいた後、

インスタにビデオを掲載するから何かしゃべってください、と唐突に言われて

口から出まかせでハッタリ英語でしゃべりましたが

あまりの恥ずかしさに自分でそのビデオを見ていません。

いや、ひどすぎて主宰者が消している可能性大。w

ただ、

ここにある布づくりの基本はかけがえが無い遺産だと思った事、

それをどのようなプロダクトに使うかを多くのデザイナーが知恵を絞っていくべき

未来につなげていけるようにと

しゃべった気がします。

旅の恥もかき捨てにできない、ネット時代の意外な落とし穴に遭遇。w

ちなみにこのヤナパダを主宰しているサントシュさんは、不在ながらも

リモートであれこれ手配してくれていて

ムンバイの行き帰りの列車から何度も連絡をくれて

ここで既にコロナ時代になっても全然大丈夫という予行練習が出来た気分でした。

「で、なぜにあなたは今ムンバイ?」→「娘がインド舞踏家でその舞台を見に行くので」→「はぁ?」→「すべてはスタッフに委任してあるから安心して来てください!」→「はぁ」→「あなたに会えなくて本当に残念!」

結果的に全部、サントシュさんの言葉通りでした。

経由地点はいろは坂でも、同じところに行きつく。

・・・・・・・・・・・・・

次回もメルコテ続きます。

せっかくなので観光もしてみた編です。

 

| | コメント (0)

より以前の記事一覧