2018年10月 8日 (月)

またもガベン

こちらの投稿、

写真だけ仮アップのまま

もうだいぶ前となってしまったので、手帳を確認したら

8月16日の事でした。

8月といえば

行事三昧の間、きっつぅぅーーーい歯槽膿漏が来ていて

クバヤサロンと歯医者の繰り返しというひと月だったような。

(↑バリの正装上下のことです。)

あぁ、こうして手帳をひもとくと連日なんだかんだやっていたことが分かります。(ほっ!)

地震もあった。(ロンボク島の)

余震なのか自分の眩暈なのか、揺れ続けました。

ヨカッタ、うかつにやり過ごしていたわけではなかった(フローレスの後、もうひとつのイカット産地へ行こうとしていたのに行けなかったので一体何をしていたんだ!と落ち込みそうになっていたのでした。)

余談ですが、歯槽膿漏の痛さはすごいものですね。なんと熱まで出ましたが

日本からお取り寄せした「ナスの黒焼き歯磨き」のおかげですっかり良くなりました。

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乾季のはずの8月ながら雨が多い。田んぼは蒼く空は低い。

気温が低い朝が多くて、家にいると冷えるのでスニーカー履いて犬の散歩。

(10月の現在は雨がほとんど降らない30度越えが続いています。)

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そうそう、お客様から預かったすごい紬を切りました。

スーツ作りました。

あまりにもビシッとした紬、裁断するのがさすがに手ごわかった。

裏地を付けないで、着心地を楽しめるようにしてみました。

デザインお任せだったのでちょっと心配だったのですが、とても気に入っていただけて。
ヨカッタです!

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京都・静原在住のピンホール写真家、鈴鹿芳康さんの写真展がマスのビダダリ・ギャラリーで開催されました。
室内のギャラリーには、和紙にプリントされた自然景観のピンホール写真。

鈴鹿さんはお茶の名手でもあるそうで、ふと、杉本博司さんを思い浮かべる。
 
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下の合掌の作品群は、天窓から光が差す円形のバレに展示されていて、圧巻でした。
日本、バリの高僧やキリスト教の宗教家の大写しの合掌が大パネルで8点余り。
天窓の下には、ジャワの古木から切り出されたという荘厳な柱。
ラッキーなことにビダダリのオーナー、日本語堪能なスディアナさんがいらして
ご案内いただきました。
日本の由緒あるお寺にも数々の作品を送られているビダダリギャラリーは今年大がかりなリニューアルをされ、ますます意欲的。

しかし、この合掌の写真に象徴されるように、祈りの心をとても大切にされています。

私は、この掌(てのひら)と掌にあるもの、その只者ではない空気について

想像を膨らませ見ていました。

祈るとき、なぜ手を合わせるのでしょう、って。
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以上、前置きが長くて恐縮です。

えっ、そうなんですよ。ご存知ですよね、まめ日記。(笑)
お時間のある方はぜひ、本題の「またもガベン」(以下)もお読みくださいませ。
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バリの儀式連載・3本目は、
住まいのあるペジェンのドゥクグリヤ村でのガベン(合同葬儀)のこと。

7月には実家のパダンテガルでのガベンがありました。
その時は、UBUD中心地の裕福な村なので大層豪華でしたが
ドゥクグリヤのご葬儀は、また格別でした。

クバヤサロンでスタンバイし、仕事場でそのまま裁断しながら合図を待つ私。
合図、というかLINEで来る実況報告from村人であるスタッフDedut。

「まだまだ」、というのが写真入りで2,3回来たのち、

「今、スタートしました!」     キタキタ!

門から出て1分足らずの村の通りに出てみると、おおお!

いつもノンビリ、ダラダラとした通りにびっしりと村人。

それも、いつもの顔ばかりながらいつもじゃない。
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向こうからガムラン隊とともに、バデ(牛のはりぼて)が次々とやってくる。

今年のバデは、4~5体。

(先日のパダンテガルでは数十体でした。)
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白いテントの前の黒い傘の人たちの手前、写真には写っていませんが、

埋められていたご遺体が掘り起こされ、一度村に帰ったものがお神輿で運ばれてきてバデ=牛の乗り物に移し替えられているところです。

テントのようなお隠れになる最後の屋根の向こう側には、カップ麺やらスナックを売る仮設のワルンがあったりして、
なかなか良く出来ています、全体。
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待つこと2時間。

着火されました。
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通りにあふれる人々。

煙がたちこめる。
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村人総出の合同葬儀。今回は11人のお見送り。

写真は極々絞り込みましたのでこれまでですが、

散骨にサヌールの海岸へ出向き数日にわたって後儀式を行いました。

(私は行きませんでしたが)
この丁寧さに、人の命の重さと見送る人の思いをしみじみ感じます。
バリでは牛の張りぼても層々たる供物も、業者任せや出来合いのものはなく
全てが手作りなんです。

その手間といったら、家族はもとより村全体が当番制で1か月前からの準備。
亡骸とともに全部を一気に燃やして、灰を海へ流すのみ。
残るものはありません。(たぶん)

墓地にも家にも。

肉体が旅立った後、土の中に眠らせて、数年ごとに合同でおこなう葬儀。
ご遺体の葬儀の方は、もっと簡単です。

その日のうちにパパっとやっちゃう。

バデに乗って魂がちゃんと魂のみなもとの国へ戻れるように、

そのための儀式がこれほど壮大なのです。

一人ずつやるのは大変すぎるから、こうして数年間に一度に共同でやるようになったようです。

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しばし忘れかけていた大切なことに
今こうして向き合えることに感謝!

そして、バリという土台に乗っかっていられることに
深く感謝。

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さぁ、もう10月。
作品展に向けて自分も濃厚になってきています。

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2018年9月 5日 (水)

ポトンギギ

9月になりました、早!

バリは相変わらず涼しい日々が続いていますが、

台風21号、凄かったですね。

京都御所の倒木の映像を見て、停電の様子をFBの投稿で見て、

想像以上の被害だったことに胸が痛みます。

今年は本当に天も地もめまぐるしい。

この流れの中には、きっと、ひとひらのきっかけ、インスピレーションがあって

新しい時代につながってはずだと思っています。

バリの地震も相変わらず続いていて、揺れるたびにスタッフが屋外に飛び出します。

これまでほとんど揺れたことのない土地ですから、

知識よりイメージで行動している感じ。w

でも、鉄骨のウチでも屋根瓦がずれて大量の雨漏りに見舞われていますから

ほかの住宅は、、、。

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さて、こんな折ではありますが、儀式のお話し再びです。

ちょいと遡り、8月某日。

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8月頭から居間のテーブルにi-pad。

いつもは自室で寝ても起きても肌身離さずだったのに。

ゲーム三昧の夏休み40日間をようやく反省したのか。w

行きつ戻りつしながらも、やっと平常心を取り戻しつつあります。

(すみません、冒頭からまたも子供の件。)

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それでですね、

もうじき儀式が、、、という某日の朝。

C:「ママっ!!!歯が欠けた!!!」

は???

C:「歯!前歯!」「明日、歯医者行く!!!」

どこどこ?

何でも、下前歯の付け根が欠けたらしい。(そんな場所がいきなり欠けるんかい??)

口開けて見せてもらうも、よくわからなーい。

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歯医者に駆け込んだところ、

欠けたのではなく、歯石が取れただけでした。(笑)
ついでに他のところの虫歯っぽいのを治してもらう。
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その2日後が、

期しくも、ポトンギギの儀式でした。

バリ伝統のイニシエーション。歯削りの儀式です

どさくさ紛れに虫歯も治療したし、もう万全ですね。(笑笑)

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集合時間、朝4時半。ってことは、起床3時半。
えー、まさかー、と思ったが、一応言われたとおりに行く。
そしたら、ほらね。
まだほぼ誰も来てませんでしたよね

しかも雨。さむー。
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それはさておき、何でしょう。この規模。

向こう側が霞むくらいの広大な会場は、モンキーフォレストに新しくできた駐車場の一角。

壁も屋根も、全部が仮設です。


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パダンテガル集落の300人を超えるポトンギギ。合同の成人儀式です。

各所帯ごとに白黄色の傘を手前に立てて、

祭壇をこしらえているのが、ずら~っと200以上。

圧巻です!

(我々住まいの村はペジェンですが、子供は本家というか主人の実家のパダンテガルの方で儀式をするのです。私も婚礼の前日にやりましたけれど、最近は合同葬儀の後に続けてこの成人割礼を合同でやることが多くなってきているみたいです。)

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6時、ようやく雨がやんで空が白んできました。

(繰り返しますが写真の建物、全部仮説です。立派すぎます!!)


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やっと始まりました。

黄色と白で埋め尽くされた(着飾られた)参加者たちが、マントラを唱えてもらいます。

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あ、いたいた。

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一人ずつ高僧からお清めを受ける。

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お清めの後、
ずらーっと20人くらいずつ。いよいよ、歯削り!

なんだかんだと、もう10時近く。(C:お腹すいたー、でも歯削りだから飲食はご法度。)

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大工道具のヤスリみたいなものでギコギコ音を立てて、削られるは犬歯。

あくまでも儀式なのでそれほど本気には削らない。けれども、結構脳天に響く感じがするのですよね。

削っているところの写真が取れませんでしたが、

無事に終わりました。

いとこのワヒユと一緒の参加。

C:気持ち悪かったーーー。

ま、歯、治しといてよかったねーーー。(笑)

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なぜか男子ばかりの親戚の子供たち。

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黄色と白は親もだったのね、そこまで聞いていなかったので、会場内でほぼ一人ピンクのサロンだった私でした。義妹はヘアメイクもばっちりの別人でした。(笑)

いつもこんな風にダメな母です。(笑)


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その後も続く、いろいろな儀式。

勝手が分からないので、ほぼ義妹任せ。

私は役に立つことがほぼないので、ただただ付き添い。

親切な叔母たちが全部手伝ってくれる。

叔母もスマホを買ったというので、LINEで繋がったりしてにぎやかに過ごす。

それにしても何かと待ち時間が長いので、Cを預けて、私は許可をもらって、ちょっくらコーヒー飲みに外へ出る。

11時からという次の儀式に戻ると、、、、

すでに始まっていたりする。(朝は遅延して長かったのにーーー。)

祈祷中は入っていけないので最後尾で見学組。(もう、ホント、読みが難しい!)

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お昼の時間の高僧さまたち。

20~30人くらいはいただろうか、遠方からいらっしゃった方々も多かったそう。

これほどたくさんの高僧さまが並ぶ機会は、なかなかないことだと思います。

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米粉に着色したものでつくられた見事な供え物。雨で一部が落っこちてしまっていたけれど。

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会場の外側。向こう側の黄色い布の奥が仮設会場なのでした。

モンキーフォレストの潤沢な収入で知られるパダンテガル。このポトンギギは参加費無料でしたけれど、一体どれだけのお金がかかっているのだろう。

一家ずつでこの儀式をやる場合は10万円は下らないと思います。


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午後、一度帰宅を許されてしばし気を取り直し、また夕方前に来場する。

3時半集合、と言われ、これまた3時半に駆け込むも、ほとんど誰も来ていなかった。

4時過ぎにトイレのついでにもう一度場外に出て、4時半前に戻ったら
これまた儀式が始まっていてもう中に入れなかった。(笑!)

なんでこう、合わないのかしらわたしって。
バリだと、その辺が本人任せであまり気にする人がいないのも、いいような悪いような。

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最後の写真は、お昼時のもの。

前を歩いていた親子。右が親。

こういう風に髪型もエクステ使って飾りをつけて行くのですね本来は。

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何年バリに住んでいても、言葉も習慣もちっとも上達しないままだなぁ。

しかし家族の支えのおかげで、こうして本格的儀式に(ずれまくりながらも)参加させてもらうことができました。

儀式はとっぷり暗くなるまで続き、

終了した途端また雨が降り出し、
3日後にまた実家での儀式があると聞いたときは、ちょっとクラっとなりましたけれども。

この丁寧さ。

波打ち際のように、大きな波の前後に小さな波を繰り返す。

祈りの向こう側の領域と繋がったあとのフェードアウト。

日本のご葬儀も初七日、四十九日、一周忌、三回忌、、、と繰り返すことを思い出しました。

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今回もまた長くなってしまいました。

儀式関係、次回も続きます。


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2018年8月27日 (月)

フローレスの翌日。

もう8月も後半となりましたが、

まだまだ暑さが厳しいとのこと。
皆さま、残暑お見舞い申し上げます。
インドネシアではロンボク島の大型地震の余震がまだ続いておりますが
環太平洋どこでも今は揺れる時期のようで
どさくさ紛れというか、時折バリ近海沖震源地という揺れもあります。
火山(アグン山)の方はこんな時、噴煙が収まり静かなものです。
ご心配くださった皆さま、

この場を借りて、ありがとうございました。
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遡りますが、
7月のフローレスの旅の翌日は、
実家があるパダンテガルの集落での4年に一度の合同葬儀でした。
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なかなかハードなスケジュールでしたが、朝からクバヤ着てサロン巻いて参列です。

集落には潤沢な観光収入があるため、
各家庭での負担は一般に比べかなりエコノミーみたいです。

(それでも、結構かかるものです!)
UBUD近隣の王室の方々も長時間に及びながら参列されて、

バリの中でも屈指の豪華な葬儀かもしれませぬ。
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きょうから3回にわたり、いつものように手前味噌で拙い文ではありますが
バリ伝統儀式系レポートいたします。
詳細はたくさんの方がほかにいろいろ書かれているので省かせていただき、
感想文のみ。
めくるめく行事に追われ、8月までがあっという間。
何をおいても儀式に抜かりないバリの一面を再確認するひと月でもありました。
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バリのお葬式は、亡くなられた方をお見送りするのにとても大がかりな儀式をするしきたりがあるので、
その費用と労力を軽減するために葬儀を合同でやるケースがこのところ増えています。
故人を一旦お墓に埋葬して、ご葬儀の時にはまた掘り起こしてお出ましいただき
迷うことなく天へ旅立たれるよう、お見送りするのです。
7月後半から8月は、
バリ全体でたくさんの合同葬儀がありました。
パダンテガルの埋葬&火葬場はモンキーフォレストという有名な観光地の中にあります。

おサルたちも木の上から見下ろしていたはず!
(この日はさすがに近寄ってくるおサルはいませんでした。)
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赤い張りぼては、バデ。
一体ずつそれぞれが手作りです。
ずらーっと並ぶさまは、まさに出発、臨界を感じます。
時空を超えてはるか遠くまでの旅立ち。100人超えの。

ウチはおばあちゃんと義父のふたりを、ひとつのバデに乗せて。
上の写真は、高僧が聖水をかけて弔いのマントラを唱えているところ。

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お見送りする親族が祈祷します。
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これ、日本のお盆のお神輿の感じに似ているかもしれません。
威勢よく、右に左に揺れながら火葬場へ担がれていきます。

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朝から夕方までこの密集度。(実際には儀式は深夜に及ぶほどらしく!)

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おばあちゃんとお義父さんが乗ったバデ。

ご遺体と遺品、供物などをバデの背中に家族で詰め込んで。

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この後、次々と着火され、
夕方、我らはキリのいいところで引き揚げさせたもらったのだけど
人々はその後散骨のために海辺まで。

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凝縮された空間と喧噪にクラクラしつつ
あくせく労働しないけれども何かしら潤いがあり、こんなにも盛大に時間と手間をかけてこしらえた供物を全部燃やし
祈る。

また、祈る。
バリという特殊な文化の中にいる。
この奇跡のような大がかりな祈りの中にいる自分が、これまた奇跡だな。
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翌日。

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久しぶりに戻った仕事場が、
しみじみと見えてしまった。w
日常の一見空白のような「いつも」の時間の中には

実は相当、

積み重ねてきた奇跡があるのかも。(軌跡ではなくて!)

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ローカルなお話が次回も続いてまいります!

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2016年11月 9日 (水)

ピンクの儀式 続き

まめしんぶんが間に入りましたが、
今日はピンクの儀式の続きです。

ピンクの儀式とタイトルしたのは、
バリの暦では誕生日が7つの曜日、7つの色に決められているらしいのですが、
ウチの子供の暦が何とピンク色の日であり、
今回の儀式では頭にかぶるウダンからシャツ、サロン、スレンダンまで全部ピンク色を着なければならない事から。
そう分かった途端、私も家族もスタッフも、
やー、これは厄介な事になったな、と。
ただですら難しいお年頃。
少し前まで黄色いTシャツも着ていたが、最近は白、ブルー、黒しか着なくなった。(⌒-⌒; )

「着るかな、ピンク?」
「当日まで内緒にしてた方がいいかも」
「当日の儀式のドタキャンはもっと厳しいよ」
「ひとまず内緒にしておいて、タイミングのいい時に知らせた方が」

とりあえず、水面下でマニスの生地ダンスから選んだ様々なピンク生地にて、ウダンと腰巻き作り。
いつもなら作品展の前はこんな事やる余裕は全くなく自分で縫うしかないのだが、今回はたまたまお手伝いスタッフが一人加わったので、ラッキー。

あとはシャツだ。
サイズが合うパターンがないし、これだけはどこかで買わなければならない。
ラルフローレンのポロならメンズもあるかとわざわざ行ってみるも、1回しか着ない服に1万円は釣り合わない。
スタッフが、スカワティの観光客の行くお土産市場に行って見て来てくれて、デザインはイケてないけど500円のTシャツを仕入れてくれた!



皆で着れば怖くない。
別段抵抗なくピンクを着てもらえた事に一同安堵。
それにしても、他の皆さんもなかなか苦労して揃えて来てますね。女子はまた着る機会があるからいいかもしれませんが。




ここまででまだ半分でした。

禊、ピンクに続き、
今度は供物の前での祈祷です。
もう2時間経過。
ジリジリ直射日光、体力のない私は適度に休み休み参加。




供物には、子豚の生け贄もあります。







やれ、賑やか。




16種の聖水を入れた素焼きの入れ物は、禊の後地面に叩きつけ割ります。
インドのチャイみたい。
チャイも確か飲んだ後のカップを地面に叩きつけ割ります、伝統的には。




終わりました。
ペジェンに戻り、ピンクは速攻着替えて、
供物の子豚さんを切り分け、
皆でお昼。



やれやれ。
最後にいい写真が、撮れましたよ。





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2016年11月 8日 (火)

ピンクの儀式

この前、ムチャル、浄化の儀式を終えた後に、スタッフのDedutが「そう言えば、ちひろは何歳? バリでは12歳と17歳のバリ暦の誕生日に儀式をやる事になってるんだけど?」、って。

早速実家に聞きに行くと、「あー、本当だ!(忘れてた)」^_^;
義妹がバリ暦のカレンダーを取り出し計算するに、
「次回の吉日は11月3日だな。マンクさんのところに儀式をお願いしに行くのは、えーと、10月25日」、と。

何てこっちゃ、帰国前の忙殺されている時期に、また儀式!

しかし、ま、やるしかありません。
体力に自信がない今だと言うのにダブルブッキング。

しかも。
10月後半からは、友人の整体師がバリに来ていて、片道2時間の島の南端まで3日おきに治療に通い始め。
トリプルになりまする。

まず、10月25日。
マンクさん宅に伺い、儀式のブッキングに。
待つ事1時間半。
供物一式を作っていただく事も含め、段取りが決まる。予定通り11月3日が儀式で、その前日に一部の供物を主人の実家のさらなる実家に供える事などなどスケジュールが組まれる。
思いのほか大掛かり!

さて。
帰国もあと数日と言う11月2日。


マンクさんのところで、前儀式の為の供物を受け取りに。
素材の一部がまだ揃わないからと待ち時間。
やっと呼び出され、供物の説明を受ける。当然のこれながら私は何が何だかなので、全部を義妹が引き継いでくれる。

その足で、実家の父の家系の山奥の家へ。

初めて行った実家の実家。
もう。本当に質素で。



供物を捧げる準備を待つ間、家のお嫁さんが室内から写真を剥がして見せてくれた。
主人と私の結婚式のときの写真で、2001年と打刻されている。15年間、この家にずっと貼られていた写真。
私もアルバムのどこかに同じ写真があるはずだけど、15年多分一度も見る事もなかった。
そうしているうちに、今度は一家のアルバムを出して来てくれる。
一見質素極まりない家にストックされた写真は、力強く、写真家でもなかなか撮れないようなカットが多数。
こんな人生もあるんだ。
家族の縁は、何て深いものなんだろう。
私のこれまでの出来事なんかまだまだ軽い。
このページは、一家のお父さんの葬儀の時のもの。
参りました。



さて、実家の実家の後は、住まいにて前儀式。
家の前にたくさんのチャナンを供え、翌日に向けてお祈りです。

この後、ちょっとしたハプニングあり。
(≧∇≦)
後日機会があればまたご報告いたします(笑)。

やれ、当日。

親族と友人と8名が集まり、儀式に向かう。

今回の儀式は必要な聖水が複雑な為、マンクさんの敷地での合同型。
うちの他に10人が一緒。



バリ各地の聖地16箇所から集めた聖水でお清めするのです。これを各家庭で用意するのは、確かにかなりハードルが高い。



供物もかなり複雑。
マンクさんのお宅の家寺にひしめくこの日の供物は、その場の時空がゆらぐ位みっしり隙間なく。



さて、やれ、うちの息子の禊の番が来ました。



素焼きの器に入れられた聖水は、もう、遠慮なくアタマからジャバジャバと!



ナゼか途中から、カゴを被せられる。(笑)



その後、敷地の台所で更に禊。
台所は火の神。
毎日必ずチャナンを置きお祈りをする場所でもあります。

この後まだまだ続く儀式。
続きはまたご報告いたします!

その前に、まめしんぶんが予定アップされます。

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2016年4月30日 (土)

4月のペジェンはまたお祭り!

こんばんは。
4月も最後の日となりました。
黄金週間は何と台風ですか??
せっかくのお休み、早く気持ちの良いお天気になるといいですね。
バリは次第に乾期の風が近づきつつありますが、
まだまだ蒸し暑い日が続いています。
4月21日から10日間、
ペジェンの端っこ、ゴアガジャ近くにあるサムアンティガ寺院で大きなお祭りがあるというので、
23日(土)の晩に行ってみました。

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夜空に傘がライトアップされてる!
神様はもう来ていらっしゃる気配。
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境内の中央はビックリたくさんの人!
何でも、このお寺の場合はバリ中から人々がお祈りに来るそうです。
少しまえにその様子をご紹介しましたが、サムアンティガ寺院は
かつてバリのアニミズムと仏教、ヒンドゥ教とがさまざまな争いごとののち、
一緒にひとつの信仰にしていきましょう、という話し合いが
はじめておこなわれた場所らしい。
建立は11世紀。
1000年の歴史がある場所です。
中央の祭壇の前の広い敷地は、
パーテーションが張り巡らされていて、何百人かが交代でお祈りに入る。
残念ながら私は入れなかったので、外側から撮ってみましたが
ん~~、よく見えなくて残念。きっとすっごく凝ったお供え物が中に鎮座している。
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回って裏側には、ありましたね。トウモロコシ。たくさん!(笑)
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こちらは「田んぼ、お金、海の3つ神さま」の前でお祈りする人たち!
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先ほどのパーテーションの中は、わ~~~~、
もっとたくさんの人たち!
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このクリスマスツリーのような、ランダのような、もけもけしたお供え物は
ちょっと暑苦しい感じがするのだけど、
ヤシの葉を1枚ずつ切り細工。迫力があります。
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もけもけのお供えがあったのは、
確か、紀元前~紀元300年と推測される出土品が奉納されている長屋風のバレ。
ここにも神様がいるんですね。
敷地内にどれだけの神様がいるのか不明ですが、
あぁ、だって、ここはバリの神様のデパートみたいなお寺です。
全部にご挨拶してお祈りをするのはかなり時間がかかりそうだけど
でもきっと皆さんきっとクリアしている。
しかも、あんまり頑張ってない感じなんですよ。
エネルギーの出し方がガイジンの私とはずいぶん違うかなぁ。
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何しろ、その晩はチャロナランという夜通し徹夜の芸能も披露されるとのことで
UBUD近辺あちこちから賭博をしに来る若い衆も群がり、
何でもうちの息子と同じ年のいとこのワヒユも来ていたらしく、
ほか、「なーんだ、あなたも来ていたの?」、って人にも何人か会い(笑)。
バリの人たちは決してお祈りだけに熱心に来ているのではなくて
そこに含まれるいろいろなお楽しみがね、なるほどね。
どっちかというと、その余興の方にエネルギー注いでいるかな~。
当たり前か。(笑)
在住10年以上ですが、まだまだ未知の領域ばかり。

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2016年3月 6日 (日)

ガルンガン&クニンガンとウチのごはん

もうお雛祭りを過ぎて3月最初の週末となりました。
日本からは次第に増える春めいたお知らせ、に続き、またも「寒い、寒い!」というお知らせ。春が、押したり引いたりしてお迷い中のようですね。
バリは相変わらず雨の多い日が続いております。
久しぶりにまとまった時間が出来ましたので、溜まっていた写真を整理して
順次ブログアップしています。
そして、
長い投稿ばかりでスミマセン!

2月は、バリのお盆に当たるガルンガン(迎え盆)とクニンガン(送り盆)があり、

スタジオも連休。
前の投稿のプナタラン・サシ寺院のお祭りは、順番としては
このガルンガン&クニンガンの後でした。
きょうは遡っていきます~。

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ガルンガンは、このところまた機嫌が難しい
息子は「行かない!」という事で、
私と主人だけがお寺参り。
私も実家の方のお寺は、自分の結婚式以来(!)行ってないかもしれないんですが、
12月にお父さんがあちらへ行ってしまったものだから、丁寧にお仕えしたいと思いまして。

この小さなサンガ(祠)のお寺は、黒魔術系のお寺。
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悪いものから皆をお守りください、と、主人がお祈りする。
(マンクさんから聖水を頂いているのはうちの主人です。)
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学校も1週間休みだし、スタジオも4連休だし。
一連のお寺周りが終わると、早速、ふだん手が付かないような家事に没頭しまする。
まずはキッチンの棚の奥。冷蔵庫の中。食器棚の下の方に眠る使わないもの多数。
それからバスルームの棚の中、タンス、収納室。
2~3日かけて要らないものを処分し、汚れたものを洗い、棚を拭き、
そして、少し前からやっと整理し始めた書棚の整理。

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もひとつ、5年前からの写真データを整理してプリントアウト。
もうこの辺りからはスマホで撮っているから日付データも残っているので、ついでに日付もインデックス。

痒いところに手が届く、家事三昧のガルンガン休暇!(笑)
我ながらなんて働き者なんだろうっ、って(笑)。

でも、何がどこに入っている、これはもう買ってある、あれが切れそうだからそろそろ買わなきゃ、みたいな記憶の整理ができるというのは、何ともスッキリするものですね。
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そういうわけで、クニンガンの連休には
もう何もしません(笑)。
クニンガン前日は
日本からの友人が遊びに来て、うちでご飯作ってくれました!
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何もしないという贅沢は、やはり貧乏性な私にとってはあまり馴染みがないんですが
雨も毎日結構降るし、出かけるのも止めて、家でゴロゴロ。この日から3日間は友人がうちにお泊りだったから(そのせいにするんだけども)、昼間からビール飲んだりも久しぶりにいいもんです(笑)。
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クニンガン当日は、友人と我ら3人一家でお寺参り。

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モンキーフォレストの中にある、プラダラムは

大勢の人が集まっていました。

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お寺周りの後に実家の家寺にお参りをして、お母さんのご飯をいただく。

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ペジェンの家に戻ってから、今度はうちの家寺でのスンバヤン(お祈り)。
朝8時から11時半まで。
雨が降る前に、友達をベジへ案内。
かなり急こう配の階段を下りていくので、帰りは息がハァハァなんですが
村人たちはほぼ毎日ここを下りてマンディしたり洗濯したり。
雨期のせいか水の量はたっぷり。
天然のプールの水はいつもとても澄んでいて、
私は子供のころからこういう澄んだ水の場所がなぜかとても好きで
たぶんそれでここを選んで住むようになったんだな、と、今になって気が付きました。
この天然水の沐浴場(ベジ)にはお寺もあり、村人がいつもとても大切に守っています。
そしてこのお寺には、何やら精霊のようなものが棲んでいる。
私には見えませんが、きっとずっと昔からお住まいなのだろうと思います。

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夜ごはんはいつもの定番メニュー、つくりました。手前の白いのは、バンクワンという根菜です。日本の梨のような味。お酢とおしょうゆで。

手前から2番目のは、揚げナスに自家製ラー油を和えてパクチー乗せたもの。

その向こうの2皿はお豆腐。サンバルマタのと、刻みシソ&刻みガリ(ショウガの酢漬け)&オリーブオイル。

どれもいつものカンタンメニュー。

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クニンガン明けの翌日も、何だかお天気が怪しいから、結局お出かけもせずに家でダラダラ。
お泊りに行っていた子供が早めに帰ってきたので、じゃ、カレーでもつくろうか?
雨降りの午後、出来立てのあったかいカレーを食べたら、あらま、何か機嫌が戻ったね?
久しぶりに息子のおしゃべりタイム。
それがですね。ゲーム三昧ながら、方やハマっているのがクラシック音楽。
ベートーベンのソナタが気に入っているらしく、ネットでいろいろ聞かせてくれました。
クラシックに興味持つなんて、いったい誰に似たのだろう???

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お料理の写真が出たついでに、1月のお茶会の写真も。
ニュークニンのステキなヴィラにて。
私はお客様からの頂き物のとらやで参加。


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あっ、もう食べちゃってますが、左はご存知「春巻き」です。
こちらではルンピアと呼ばれていて、主にスナックの類です。青唐辛子を少しずつかじりながら食べるんです。
右は米粉のクレープ。ダダール・グルン。中にヤシ砂糖とココナッツの下したのを混ぜたものが入っています。それと、ココナッツのおもち。

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お茶会、といえば、最近つくってみてなかなかよかったのが「ダイコン餅」です。
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レシピはネットで拾いましたが、ダイコン餅の作り方って、実に千差万別。
粉は上新粉から小麦粉、片栗粉を混ぜるの混ぜないの。
具も至っていろいろと(笑)。
バリで売っている小さい干しエビを入れてみたらちょっと苦くなったので、2回目はシイタケとネギだけに。
冷蔵庫に入れておけばパッと焼くだけでおかずにもなるし、たくさん作っても一人で完食できました。お茶会の時は、しかし人気にて残りませんでした(笑)。
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最近、サンバルマタのようにオイル漬けのものを比較的多く作ってしまいます。
保存が多少効くから、傷みやすいものに向いてますよね。
上のはジェノベーゼソースっていうんですか? バジルの葉っぱとにんにくをブレンダーで撹拌して、オリーブオイル&アーモンドのみじん切り、塩で漬け込んだもの。
色がとにかくきれいだし、朝のパンにジャムをつけるよりはこれの方がいいかな、って作ってみました。
しかし、どうやらこれにアンチョビをいれたものがすごくおいしい。
昨日イタリアンのサラダを食べて、気づきました。
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ではでは、キリがありませんからこの辺で(笑)。




















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プナタラン・サシ寺院の妖精たち

次から次へと行事が重なる日々です。

バリヒンドゥの神様4原色の「傘」。

プナタラン・サシ寺院の一番奥に、ひと際高~~~い位置で。

なぜ傘なのかについては今のところ私には分かりませんけれども、

とにかく神様のお出ましの際には「傘」のようなんです。

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先日は行事のタイミングを逃しましたが、

お祭りが始まって4日目。そろそろクライマックス。

この日は比較的時間通りの行事を見ることが出来ました。

白いレースのクバヤと黒いサロンの妖精たち。

沖縄のおばあたちのような?

お寺の中を何度も回りながらゆる~く踊りがはじまりました。

モノトーンの皆さん、真剣な顔。

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10周も回って、まだも続く。


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そのうち境内の一角でワヤンクリも始まる。
お寺の前ではバリ流のお笑い芝居も始まっている。
ワヤンクリは夜にはスクリーン越しの影絵芝居なのだけど、
昼間だとスクリーンなし。
バナナの幹の丸太を舞台に、ラーマヤーナの神たちが次々と出てくる。
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ワヤンクリ舞台の後ろには、かなり古い様式と思われるガムラン(演奏隊)が。
奏者たちは若手ばかり。なかなかに楽しそうに奏でている。
役目だから仕方ない、なんて思っている気配は境内にごった返す大勢の人たちの中に微塵もない。
神様のためにたくさんの時間とお金をかけてお祭りをすることに、
皆さんむしろ、幸せそう。
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境内中央の「神様は今まさにここに来ている」と思われる場所(神様たちはたくさんの芸能を堪能しているに違いない・笑)には、
ロンタルにいろいろな切り込みを入れた細工のお供え。

こうした一連の細工。50年に1度のお祭りに際して、どうやって記憶されているのかが一番興味深いのだけど、たぶん、きっと、誰かしらがメモを残していますよね?としか、思えないのですが、しかしバリはガムランに楽譜がないように、お供え物にもきっとマニュアルはないんです。マントラはヤシの葉に書く習慣があるようですけれども。
……本当に不思議です。

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この米粉の細工なんかは、
柔らかいうちに円柱型のカーブに合わせて取り付けていると思う。
今の時代にもこれほどの手作業で神様をお迎えしているという、すばらしさ。
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さて、妖精たちの踊りはまだまだ続いている。

重たい荷物やお供え物をあたまに乗せる習慣があるだけに、女の人たちはみな
背中がまっすぐ。美しい。

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やがて、素材だけの(色彩のない)供物を持った一隊が列に加わる。
全員白です。男性が乗せているのは、豚の頭!
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白いクバヤが映えます。
境内中央ではマンク(司祭)さんたちの祈祷が始まりました。
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ここで一旦お祈りのための静寂。
沢山の人がお寺の外側で待っている。
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中もこの通りぎゅう詰めです。
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マンクさんに合わせて何百人もの人たちがお祈りをします。

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長い長いお祈りが済むと、もう終わったのかなお祭り?
たまたま居合わせたバリのお祭りに詳しいCHIEちゃんが、
「この後ぺんぺんするやつがあるはずだからもう少しいれば?」、って。

しかし、妖精たちの踊りだけで1時間、お祈りで1時間。すでに2時間経過です。
ちょっと飲み物でも買いに行くか~、って外へ出ようと思ったら
始まりました!

若い衆の「花いちもんめ」!笑!
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手をつなぎ境内をぐるぐる。皆、手が切れないように必死で走ります。
何度か回ると、今度は女性部が再登場。
その最後尾にいた黄色いクバヤのお母さんが、若い衆に包み込まれていく~~~。
踊りはいつも間に手のひらをヒラヒラさせるものになって、これは楽しそう!
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涼しい顔してたお母さん。若い衆がちょっと本気で近寄ってくると、だんだん、苦笑い。
それにしても、この踊りが
お母さんと若い衆によるところが、何ともいい感じ。
青年の部はエネルギー発散にちょうどよさそう(エネルギーほとばしっていました・笑)。

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さぁ、踊りがいったん終わりました。
境内で女性部がお祈りしている。
その上を徘徊する、リモコン空撮(笑)。
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お祈りの後は、ロンタルの葉を持ってフリーダンス。

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お次は青年部。
やや?? だんだん雲行きが怪しくなってきました。
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お祈りが済むと、やんちゃな青年部は
思いっきり暴れます。
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CHIEちゃんが言うぺんぺんはこれだね(笑)。
私が居た場所は報道陣の生垣じゃなくて人垣。皆さん、前へ前へとにじり寄るも
ぺんぺんされてまた引き下がる(笑)。
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最後まで雨は降りませんでしたが、終わって間もなくザーザー雨が来ました。
実はお祭りの時間は雨に当たらないように微妙に調整されているらしい。あるいは、雨の方がお祭りの時には降っちゃいけない、と、調整しているらしい(笑)。
とにかく、最中には降らないのが普通なんだそうです。
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いやいや、本当に素晴らしかった。
練習を重ねて難しい演技をして、豪華に着飾る芸能の踊りばかりを見てきていたので、
こんな風に上手い下手問わず皆白を着て、ナチュラルにお寺のまわりを楽しそうに踊るというピュアさ加減にすっかり引き込まれました。

50年に一度のお祭りのクライマックスは、自然素材と白い衣装だけの世界でした。

日本の神社や沖縄、朝鮮半島のアニミズム系の儀式も、こんな風に素材を染めずに使うものが中心という印象があるけれど(そうじゃないものもあるけれど)、

前回の本ブログのように、
バリのお祭りといえば、とにかくてんこ盛りの色彩と装飾ですから!

そのクライマックスが「素」で「無」ですから! 
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最後の写真は、
すべてのお祭りが終了し、すべての神様がお帰りになる日。
(つまり全部で3回行きました。)
また行列が見れるかと行ってみたのですが、この日は予定よりも早く終わってしまったらしく。
境内の一角には、すべてのお供え物を埋めるための大きな穴が掘られていました。
そして、最初は気が付かなかったけれど、こんな石像もここには埋まっていたんですね。
これはインドの古い時代のブッダ石像にも似ているように見える(顔の表情がやわらかい)、銅鼓よりは新しい時代のもの?
銅鼓が紀元前300年として、この石像はいつ頃のものなのか。
ペジェンの一連の遺跡は紀元8~14世紀にこの土地に栄えた王朝のもの、と地球の歩き方に書いてある。


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ジョグジャカルタのボロブドゥール遺跡は、
紀元8~9世紀に建てられた大乗仏教の寺。
それが密林の中から発見されたのは
あのラッフルズ(当時のジャワ総督)たちの調査から、だという。
ペジェンに残る古い仏教遺跡も土の中から出てくる。
誰もそこに埋まっていることなど記憶していない。
……となると、ジャワもバリも、仏教時代の遺跡は、
イスラム勢力がやってきて壊される前に皆埋められたという説が、
何となく妥当な気がしてきます。
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きょうもまた長くなりました。
お読みいただきありがとうございます♪

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2016年2月24日 (水)

プナタラン・サシのお祭り

このところ近所の歴史めぐりに没頭しています。

折しも、ペジェン中心地にある最大級のお寺プナタラン・サシ寺院は

今週から大きな祭事が始まりました。

何でも50年に1回のお祭りだとか。

人生の中で一度きり(運良くて2度あるかないか)という感じのサイクルです。

祭事が始まったのはバリの送り盆クニンガンの日。

クニンガン明けの2月22日に中でも最も重要な祭事があるというのでゴー。

最大級のお寺の最大のお祭りの最も重要な祭事!!

きょうも、ロ~~~~~ングで行きまっせ。

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あれ?

人や車でギシギシかと思いきや、お寺の前は空いている。

予定よりも数時間早く始まり、もう終わっちゃったらしい……

まぁ、とにかく様子を見せていただきます。

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ペンジョール(お祭りの時の竿飾り)も特別手が込んでいますね。

ヤシの白い葉の部分を使っていろいろな編み細工が施されている。

日本の七夕飾りに似ているけれど、素材の色だけのたわわにつり下がっている飾りは、とっても立派です。

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さて、入りますよ。
人はもう、まばら。
このところ毎日午後はザーザー降っていた雨もこの日は降りませぬ。


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広い境内は黄色と白の布で建物のあちこちが包まれている。
この黄色だけでつくられたメルー(五重塔のような祠)のミニチュアは、黄色い布をタックして屋根と壁は米粉をターメリックか何か黄色いもので飾り模様をつけています。
境内の一番奥の方にあったもの。


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メルーとは、ちなみにこんな建造物。↓
密教のディメンジョンを感じるような、天へ天へと高くそびえる祠です。
このメルーは寺院の入り口左側にありました。
ちなみに、イジュッという棕櫚の樹皮についているヒゲ(とっても硬い!)を束ねて屋根にしています。

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遺跡がたくさん出土するペジェンでは、紀元前の建造物らしき断片もいっぱい出てくる。
張り紙で「星の女王」と書かれているのだけど、このお寺の伝説に関係があるのかも。
パッと見はごろごろした石なのだけども。
その石たちも、最大級のお祭りとあって、黄色と白の衣装を着せられていました。
何だか、嬉しそう♪
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プナタラン・サシには紀元前3世紀のものと推定されている銅鼓があって、古代東南アジアの青銅器文化(ドンソン文化)のものと考えられてるそうです。
この銅鼓はおそらくその頃に持ち込まれ、そのまま何かの理由で地中に埋まってしまったのだと思われますが、
「ペジェンの月」という伝説があって、月から落っこちてきたもの、と、人々の間では信じられているらしい。
上の石ころも、もしかしたらその時代に星から落っこちて来たもの???
月と星は月日が経って土の中から発見され、このプナタラン・サシ寺院に奉納された、との事。
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境内の一番奥はひと際高い建造物があり、その足元にこれまた屋根がたくさん連なるメルーのミニチュアが。

神様は空高いところにいて、屋根をたくさん重ねれば存在に気が付いてくれるのかもしれない。……、という事なんでしょうか。

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境内に無数に立ち並ぶ供物も「上へ上へ」と背高のっぽ。

普段のお祭りでも
ガボガンと呼ばれる果物をいっぱい乗せた背の高い供え物を、女の人たちが頭の上に乗せてお寺詣でをしますが、
この形がガボガンの原型なのかもしれない。
お花がちりばめられた一番上に扇のような装飾が乗っていますが
私にはこれが神様の電波をキャッチするためのアンテナのように見えてしまって。
お花の下には米粉でつくったクッキーみたいなものが周囲をびっしり埋めているし(笑)。
神様が電波をキャッチしたら、そのままおやつに行きつく、ってわけ
(スミマセン、これ妄想ですから・笑)。
ヒンドゥだからカイラス山のイメージ、影響もありますよね。

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このトウモロコシみたいなのは、ひと際“電波塔”に見えるわけで(笑)。
とにかくこうして全体的に空に向かっているものばかりなのです。


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トーテムポールも同じような発想だったのでしょうか。
FBのお友達によれば、これとよく似た装飾を台湾で見たことがあるそうです。
日本でだったら何に当たるでしょうか?
上へ…、ということだと鯉のぼりだけど~。

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境内にはメインの行事の後にもお参りをする人が、後から、後から。
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女の人たちは主に白か黄色のレースのクバヤを着ています。

お寺の建造物や石に着せられたのと同じ色。

お祈りのための白いレースがまぶしい。
聖水でお清めをする人たちのたたずまいは、まさに聖域。

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黄色のクバヤの女性たちも。
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お揃いの3人組はお役目のある方々。

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お供え物に戻ります。

これ、ご存知ですか?
バリの獅子舞こと「バロン」です。
本殿の両側に置かれた天然素材のバロン。
顔は米粉、たてがみには籾わらが使われ
ラジャスターン州のミラーワークみたいに装飾部分には光るものが使われています。
このようなデザインをして実際に作る人の制作現場を一度見てみたい。
バリの場合、ひとつひとつの供物や装飾には教科書のようなものがないし、
お寺の供物の場合は終わったら焼却してしまうのでお手本も残らない。
一体どうやって50年に1回の行事の記憶を残していくのでしょう?
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“豚の脂身”のもありました。
白っぽいものが切り抜かれた部分は脂身だと思われます。
装飾は繊細だけど、どことなくブラックな感じ。
神様のタイプが異なるのでしょうか。
それにしてもこのお寺のミニチュアのような供物はひとつとして同じものがないのに
いつ見ても驚きとため息で。

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カラフルなタイプはシンコ細工のような米粉細工。
迫りくる装飾と色彩!

これが食べられなくてただ献上されているという食べ物なのだから
恐れ入ります。
本気です。(いや、無垢です。)

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果物をちりばめたウエディングケーキのようなのもありました。
共通の色彩とモティーフの中に、つくる人のセンスや工夫があちこちに輝いて。


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色彩でびっしりと埋められたインパクトある作品。
グリーンが鮮やか。

あぁ、この供物たちをインドからの観光客の人たちに是非見てもらいたい。
同じヒンドゥながら、どんなふうに感想を持つのでしょう。

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祠の中の黒っぽいのが「ペジェンの月」の銅鼓です。
大層大きなもの。
ベトナム辺りの青銅器文化から担がれてきたものなのか、
伝説のように空から落ちてきた「月」なのか。

ラマクという織物(巻物)のような長い装飾は、
天と地を結ぶ階段なんだと今になって気づきます。

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この先1か月間、毎夜のように繰り広げられるガムランとバロンとその他芸能。
バロンとランダのお面が鎮座する祠にもたくさんの供物が。

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供物のデパートのような西側の壁面。
びっしり積み重ねられた供物に圧倒されます。黄色と白がタマゴのようでいて、違いますね。これは神聖な色の組み合わせ。
オームの昔から、たぶんこの組み合わせ。

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いつもお世話になっているペジェン王室のチョックさん。
藍染バティック工房の主宰者です。
チョックさんの工房が染め献上したという手描きバティックが境内の手前、ワンティラン(集会所のロングハウス)の柱に巻かれていました。
いつもは服にしている布なので、感慨深い。

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境内にはまたさらに入り口の割れ門があるお寺がいくつか隣り合わせ。
その全部がお祝い中。

こちらは分家?
さまざまな供物の複雑さとパワーに見とれてしまう。


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天へ、天へ!
空高く傘を広げ伸ばしているのは、
通りを隔てて寺院の真正面にある夜市の為の広場。
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白い衣装を着せられた祠の手前には、
生贄の豚さんの顔と脂身の。

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切り込み、編む。この装飾のテオリーがバリ。

神様の為にこれをつくる時間と労力は、まさに祈り。

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白い祠が寺院の正面、北向きなら、こちらはその対岸の南側。
黄色い祠。装飾はなくただ色で包囲。

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お寺を正面に見て右側、西に当たる位置には黒い祠。そしてその対岸の東向きには赤。

神様たちはこの色のサインを見て、「お、あそこの寺に呼ばれてるから行かなくちゃ!」、と、いそいそ天から舞い下りて来るに違いない。

神様にちゃんと気づいてもらえるように

高~く、空に向かってそびえている。

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プナタラン・サシ寺院では、今週また大きな行事があるというので
追っかけまた見に行ってきます!

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遠くで雷鳴がとどろく夕方、お寺の周辺ではこの日雨は降りませんでした。

雨雲の隙間から青空が見えておりました。

 

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2015年6月14日 (日)

休日のデンパサール

そういうわけで(秋なので・笑)

スーパーに「これ」も売っています。Img_5427今年はひときわ糖度が高くて。

朝の活力は今、コレ!(笑)

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先日、祭日のとある日に首都のデンパサールへ行きました。

デンパサールは平日のビジネスアワーはかなり渋滞するので、一工夫。

祭日だとずいぶん空いていて快適でした。

Img_5319_2信号待ちのひとコマ、家具屋さんの前にて。

バイクの人も秋の装い!(いえいえ、バイク紳士たちはなぜか年中この格好なんですw)

Img_5340ブルーが目に沁みる!

この屋台、まるごと欲しい!!!

(これはUBUD近くの町にて。夕方になると開店するタイプのw)

いや~、それにしても、

雨期が去ってからというもの、光がまぶしく目がチカチカするこの頃です。

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いつもの生地屋さんの近くにあったレース生地のお店。

バリの女の人たちが儀式の時に着るクバヤはこのレースで今もお仕立てが基本。

つまり、出来あいのブラウスはなくて、生地で選んで仕立てるのが今も普通のバリなのです。

外の色彩も艶やかながら、蛍光灯のクバヤ生地の店内も相当なものです。

Img_5322きれいにかかっていたレースを私があれこれ引っ張り出したものだから

一部がスカスカですが(笑)

毎年いろいろに移ろうバリの流行のなかで、今年はこのプラナカン風のカラフル刺しゅうが大流行りしているもよう。

久しぶりに私もバリの皆さんとともに燃えています。

こんな風に同調できるのも久しぶりです。

昨年は腰巻のサロンは草木染風伝統柄が流行でしたが、ブラウスのクバヤはあんまり大きな波がありませんでした。

さぁ、このレースで何つくるか!

お試しに買って来たものの、

悩んでいるうちにあぁぁ、時間切れ、これは日本の「秋」に!

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忘れてはいません。

お腹もちゃんと空く(笑)。秋だもの。

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途中の食堂で、サクリング・ピッグ。

豚の全部を使っているバリ料理・バビグリンです。

たまには肉でも、って。

運転してもらっているうちの旦那さんに便乗しました。

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(^_^)/~

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