このところ近所の歴史めぐりに没頭しています。
折しも、ペジェン中心地にある最大級のお寺プナタラン・サシ寺院は
今週から大きな祭事が始まりました。
何でも50年に1回のお祭りだとか。
人生の中で一度きり(運良くて2度あるかないか)という感じのサイクルです。
祭事が始まったのはバリの送り盆クニンガンの日。
クニンガン明けの2月22日に中でも最も重要な祭事があるというのでゴー。
最大級のお寺の最大のお祭りの最も重要な祭事!!
きょうも、ロ~~~~~ングで行きまっせ。
あれ?
人や車でギシギシかと思いきや、お寺の前は空いている。
予定よりも数時間早く始まり、もう終わっちゃったらしい……
まぁ、とにかく様子を見せていただきます。
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ペンジョール(お祭りの時の竿飾り)も特別手が込んでいますね。
ヤシの白い葉の部分を使っていろいろな編み細工が施されている。
日本の七夕飾りに似ているけれど、素材の色だけのたわわにつり下がっている飾りは、とっても立派です。
さて、入りますよ。
人はもう、まばら。
このところ毎日午後はザーザー降っていた雨もこの日は降りませぬ。
広い境内は黄色と白の布で建物のあちこちが包まれている。
この黄色だけでつくられたメルー(五重塔のような祠)のミニチュアは、黄色い布をタックして屋根と壁は米粉をターメリックか何か黄色いもので飾り模様をつけています。
境内の一番奥の方にあったもの。
メルーとは、ちなみにこんな建造物。↓
密教のディメンジョンを感じるような、天へ天へと高くそびえる祠です。
このメルーは寺院の入り口左側にありました。
ちなみに、イジュッという棕櫚の樹皮についているヒゲ(とっても硬い!)を束ねて屋根にしています。
遺跡がたくさん出土するペジェンでは、紀元前の建造物らしき断片もいっぱい出てくる。
張り紙で「星の女王」と書かれているのだけど、このお寺の伝説に関係があるのかも。
パッと見はごろごろした石なのだけども。
その石たちも、最大級のお祭りとあって、黄色と白の衣装を着せられていました。
何だか、嬉しそう♪
プナタラン・サシには紀元前3世紀のものと推定されている銅鼓があって、古代東南アジアの青銅器文化(ドンソン文化)のものと考えられてるそうです。
この銅鼓はおそらくその頃に持ち込まれ、そのまま何かの理由で地中に埋まってしまったのだと思われますが、
「ペジェンの月」という伝説があって、月から落っこちてきたもの、と、人々の間では信じられているらしい。
上の石ころも、もしかしたらその時代に星から落っこちて来たもの???
月と星は月日が経って土の中から発見され、このプナタラン・サシ寺院に奉納された、との事。
境内の一番奥はひと際高い建造物があり、その足元にこれまた屋根がたくさん連なるメルーのミニチュアが。
神様は空高いところにいて、屋根をたくさん重ねれば存在に気が付いてくれるのかもしれない。……、という事なんでしょうか。
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境内に無数に立ち並ぶ供物も「上へ上へ」と背高のっぽ。
普段のお祭りでも
ガボガンと呼ばれる果物をいっぱい乗せた背の高い供え物を、女の人たちが頭の上に乗せてお寺詣でをしますが、
この形がガボガンの原型なのかもしれない。
お花がちりばめられた一番上に扇のような装飾が乗っていますが
私にはこれが神様の電波をキャッチするためのアンテナのように見えてしまって。
お花の下には米粉でつくったクッキーみたいなものが周囲をびっしり埋めているし(笑)。
神様が電波をキャッチしたら、そのままおやつに行きつく、ってわけ
(スミマセン、これ妄想ですから・笑)。
ヒンドゥだからカイラス山のイメージ、影響もありますよね。
このトウモロコシみたいなのは、ひと際“電波塔”に見えるわけで(笑)。
とにかくこうして全体的に空に向かっているものばかりなのです。
トーテムポールも同じような発想だったのでしょうか。
FBのお友達によれば、これとよく似た装飾を台湾で見たことがあるそうです。
日本でだったら何に当たるでしょうか?
上へ…、ということだと鯉のぼりだけど~。
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境内にはメインの行事の後にもお参りをする人が、後から、後から。
女の人たちは主に白か黄色のレースのクバヤを着ています。
お寺の建造物や石に着せられたのと同じ色。
お祈りのための白いレースがまぶしい。
聖水でお清めをする人たちのたたずまいは、まさに聖域。
黄色のクバヤの女性たちも。
お揃いの3人組はお役目のある方々。
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お供え物に戻ります。
これ、ご存知ですか?
バリの獅子舞こと「バロン」です。
本殿の両側に置かれた天然素材のバロン。
顔は米粉、たてがみには籾わらが使われ
ラジャスターン州のミラーワークみたいに装飾部分には光るものが使われています。
このようなデザインをして実際に作る人の制作現場を一度見てみたい。
バリの場合、ひとつひとつの供物や装飾には教科書のようなものがないし、
お寺の供物の場合は終わったら焼却してしまうのでお手本も残らない。
一体どうやって50年に1回の行事の記憶を残していくのでしょう?
“豚の脂身”のもありました。
白っぽいものが切り抜かれた部分は脂身だと思われます。
装飾は繊細だけど、どことなくブラックな感じ。
神様のタイプが異なるのでしょうか。
それにしてもこのお寺のミニチュアのような供物はひとつとして同じものがないのに
いつ見ても驚きとため息で。
カラフルなタイプはシンコ細工のような米粉細工。
迫りくる装飾と色彩!
これが食べられなくてただ献上されているという食べ物なのだから
恐れ入ります。
本気です。(いや、無垢です。)
果物をちりばめたウエディングケーキのようなのもありました。
共通の色彩とモティーフの中に、つくる人のセンスや工夫があちこちに輝いて。
色彩でびっしりと埋められたインパクトある作品。
グリーンが鮮やか。
あぁ、この供物たちをインドからの観光客の人たちに是非見てもらいたい。
同じヒンドゥながら、どんなふうに感想を持つのでしょう。
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祠の中の黒っぽいのが「ペジェンの月」の銅鼓です。
大層大きなもの。
ベトナム辺りの青銅器文化から担がれてきたものなのか、
伝説のように空から落ちてきた「月」なのか。
ラマクという織物(巻物)のような長い装飾は、
天と地を結ぶ階段なんだと今になって気づきます。
この先1か月間、毎夜のように繰り広げられるガムランとバロンとその他芸能。
バロンとランダのお面が鎮座する祠にもたくさんの供物が。
供物のデパートのような西側の壁面。
びっしり積み重ねられた供物に圧倒されます。黄色と白がタマゴのようでいて、違いますね。これは神聖な色の組み合わせ。
オームの昔から、たぶんこの組み合わせ。
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いつもお世話になっているペジェン王室のチョックさん。
藍染バティック工房の主宰者です。
チョックさんの工房が染め献上したという手描きバティックが境内の手前、ワンティラン(集会所のロングハウス)の柱に巻かれていました。
いつもは服にしている布なので、感慨深い。
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境内にはまたさらに入り口の割れ門があるお寺がいくつか隣り合わせ。
その全部がお祝い中。
こちらは分家?
さまざまな供物の複雑さとパワーに見とれてしまう。
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天へ、天へ!
空高く傘を広げ伸ばしているのは、
通りを隔てて寺院の真正面にある夜市の為の広場。
白い衣装を着せられた祠の手前には、
生贄の豚さんの顔と脂身の。
切り込み、編む。この装飾のテオリーがバリ。
神様の為にこれをつくる時間と労力は、まさに祈り。
白い祠が寺院の正面、北向きなら、こちらはその対岸の南側。
黄色い祠。装飾はなくただ色で包囲。
お寺を正面に見て右側、西に当たる位置には黒い祠。そしてその対岸の東向きには赤。
神様たちはこの色のサインを見て、「お、あそこの寺に呼ばれてるから行かなくちゃ!」、と、いそいそ天から舞い下りて来るに違いない。
神様にちゃんと気づいてもらえるように
高~く、空に向かってそびえている。
プナタラン・サシ寺院では、今週また大きな行事があるというので
追っかけまた見に行ってきます!
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遠くで雷鳴がとどろく夕方、お寺の周辺ではこの日雨は降りませんでした。
雨雲の隙間から青空が見えておりました。