作品展vol.77を巡って帰国の記 その2
アトリエマニスをスタートしてから23年。
前半は東京、後半は早11年の京都です。
11年前の引っ越しからコロナ明けの昨年の移動、そして
これから先の1~2年に更なる移動が控えています。
私はこの比較的大きな移動時期を「民族大移動」と呼んでいますが
まだ具体的なイメージがやって来ません。
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今回はその序盤かと思いきや、長年マニスを支えてくれていた私の母、エイコさんが
9月下旬に夏バテまたは薬の副作用で転倒したまま意識を失っていたところを訪問介護の方が発見、病院へ搬送。
そこから、私が帰国する10月末までの入院生活となりました。
健康状態には異常がなく、本来ならすぐ退院できるところだったようなのですが
引き取り、生活面を責任もって出来る身内がたまたまおらず。
作品展が終わって2日後に退院、お家へお迎えに。お待たせしました~
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その前の2日間で外出系の用事を目いっぱい詰め込みました。
まずは奥歯の検診。紹介状を持って口腔外科へ。
汗ばむような10月末。
船橋市の国道沿いを歩いていく。
何となく時間が止まっている。
少し前まではさびれた感じはそれなりに絵になるものと思えたけれど。
新しい時代を迎えた感じがする。
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同じ日、所用で新宿へ。
マルイの1階でたまたま、この日からスマホの販売員のバイトが始まった息子の様子をチラ見しに。
私も新宿マルイでは昔就職した会社の研修でしばらくの間お世話になっていましたが、
まさに同じ場所でしたね。
インバウンドで世界一安く買えるスマホに、売り場は激込み。入店制限になってました。
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右は、マニスの2021,22の年賀状グラフィックをやっていただいた小森ヨシエさん。
母の入院先の近くにお住まいだと偶然分かって、退院前日の打ち合わせ後にお邪魔しました!
波乱万丈のオシャレ美人さん。お家もvillaみたいにおしゃれでした。
次回は呑みに行くよ。
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そして、ハハ退院。
車いすごと乗れるタクシー。
私の買ったばかりのマニス服を貸してあげました!
(フラットカラーのやつです!)
ひざ掛けはタクシー屋さんが用意してくださったもの。
病室まで迎えに来てくれて、自宅のベッドまで。
日本のサービスは本当に素晴らしい。
占めて1万円もしたけど、これ普通ですよね、きっと。
お家に久しぶりに帰ったハハは、大層な食欲です。
病院からは誤嚥の心配からゼリー食を指導されたけど(入院中もゼリー食!)
食べたいものはカレーライス、寿司、おでん。お餅、おせんべい、柿、プリン。
私は思いのほかお三度が忙しくて、合間に郵便局とスーパーに行くだけで一日が過ぎる。
入院中のストレスを発散してエンジョイする~~~w
朝昼晩プラス夜食も食べる。
夜中に活動的になると、介助無しで立って柿を剥いてます。w
ん? 一人で歩けるんじゃない?
ケアマネージャーさんとの相談で、当初3日間の帰宅でしたが
ハハの希望で5日間に何とか延長。
最後の日のランチは握りずしのテイクアウト、3800円でした。
でも夕方には忘れちゃってました~。w
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一人暮らしはもうあきまへん、という医師からのお達しと本人の意向から
その後は初めて施設へ。
まずは近隣のショートステイタイプのところです。
その後は年末年始辺りに、弟がいる大阪の施設へ入る予定となりまして
弟の指示にて、ハハの身の回り品を用意。
ともあれ、言われるがままに用意してみます。
要る、要らない、は、人それぞれだと思うけど、
捨てるの反対派の私がやるので(笑)
荷ほどきする人たちから呆れられないようにある程度見た目も意識。
こういうお見立ては、新鮮で面白いけれど結構頭を使う。
「置物数点まで」のは、置物っぽいものを含め30点くらい入れちゃった。
プチ引っ越しの梱包はヤマトさんが集荷に来る直前にやっと終了。
下の写真が横向きのままで失礼します。
これはショートステイ先へお持ちになるおやつ♡
眠れない病なので、夜中のお供。
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介護の大変さはそれぞれかと思いますが
私もご多分に漏れず、ハハが正気の時に何度も「頑張って!」と繰り返しましたが
きっと本人は「頑張らなくて大丈夫!」と言って欲しいのだろうと思います。
いろんな思いがありますが、
思いやりを尽くすしかないですねきっと。
次回合う時は
もしかしたら私の事が誰だか分からなくなっているかもしれないなぁ、などど思いながら
少しでも、良い思い出を反芻しながら施設の生活に慣れていってくれたらと。
人間は必ず生まれた理由があって、出会う人や出来事があって、
悪い事もたくさんあるけど
最後は悪い事は全部忘れて、良い事だけを心にまとめられるといいです。
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唐突に介護日記でした。
まめ日記、まだまだ続きますので、
引き続きご覧いただけたら嬉しいです!
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