皆さま、あっという間に日が過ぎて
日本は秋本番ですね。
私はあまりの慌ただしさに10月23日の予定を一日伸ばして24日にバリへ戻りました。
バリはすっごく暑いです! 秋の落ち着きからいき
なり真夏に飛び込みました!
今回もたくさんの皆さまにお世話になりました。
台風18号の影響で一日遅れの帰国だったので、結果的に行きも帰りも延期という
今回でした。
帰国の翌日は、これ、バッチリ見えました!
今日からしばし遡って、帰国中の様子をまとめて行こうと思います。
最初の今日のご報告がいきなり長~~~くて、恐縮です<(_ _)>
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京都オフィスのお昼ごはん
関空からいつものようにMKスカイゲートシャトルで寺町通りのマニス事務所へ直行すると、
待機してくれていた新スタッフの岡田喜美子さん。
一日遅れの帰国ゆえ、バタバタと荷解きをして間もなくお昼。
SMSで「玄米のおにぎりつくっていきまーす!」、と知らせがあったものの、
わ~~お!
まさかのおもてなし。
こんな素敵なお昼を用意してくれました。
自家製梅干しにシンプルで滋味深いお総菜各種。
野菜は共同栽培している畑から収穫したものやお取り寄せの産直が中心なんだそうです。
少し前には、玄米断食なる食事療法を1週間トライしたそうで、
育ちざかりの子供たち3人のお母さんながら、手抜きなし。こだわった食生活を実践。
私は自分のごはんと子供のご飯を一人分ずつ別に作ることすら時にしばしば挫折して、
子供の方に合わせてついつい肉食になってしまう方だから、
こうしたごはんを小さな子供たちにも食べさせているって事に敬服してしまいます。
下は東京~ほか遠征から戻って、バリへ戻る少し前。
手前のわたしの二段重ねのタッパー弁当はお見せできないけれど(>_<)
岡田さんからのおすそ分けは畑からの野菜サラダととうがんのスープ。
やれば出来ると言えばそれまでだけど
、安いお総菜やらカンタンレシピのおかずがたくさん売られている日本ですから、
ちょっと油断すると「ま、いいか~」、になってしまいそうなのに、
す
ご
い
!
私も今回は移動が多かったから(移動中はほぼ外食だったので)、
京都では前向きにミニキッチンで自炊。
万願寺は季節のせいかちょっと大振りで固かったけれど、
千枚漬けに使う大きなおかぶは
(かぼちゃのように大きい!)
あっという間に炊けて、甘くて柔らかくてブラボー。
お出汁はインスタントながらベトナムのカンホアの塩を少々。
未体験の京野菜はまだまだたくさんですが、少しずつ制覇していきますよ~。
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YDSギャラリーさんで佃眞吾さんの木工を
着いた2日後はもう東京へ。
新幹線に乗る前にこちらへ(荷物ごと)お立ち寄り。
YDSギャラリー。
http://takahashi.typepad.jp/yds/2014/10/%E4%BA%8C%E4%BA%BA%E5%B1%95-%E9%AB%98%E4%BB%B2%E5%81%A5%E4%B8%80%E9%99%B6-%E4%BD%83%E7%9C%9E%E5%90%BE%E6%9C%A8%E5%B7%A5-%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BC%91%EF%BC%94.html
もう、何度来てもしつらえがすばらしく、見逃せません。
今回はお盆(作品展で早速使いました!)を買いました。
今回は企画展のほかに
高橋周也さんが仕事場の上の階につくられた「常設」のコーナーも見せていただきました。
企画展の和の空間とはちょっと違った気さくな雰囲気の「常設」のお部屋。
でも、集められているのはいいものばかり。
京都へ行かれる方はマストですよ、
YDSギャラリー。
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台風直前の作品展!
遅ればせながら、以下
作品展のご報告です。
10月11~13日、
台風19号の影響もありましたが
無事に終了しました。
心配なお天気の中、
今回もたくさんの皆さまにお越しいただき、
ほんとうにありがとうございました。
初日に来てくださった皆さまには
お会計が混雑して
ご迷惑をおかけしました。
2日目は、
ジコンカの西川さんが、
お花のお教室で生けられたハスを
飾ってくれました。
京都の岡田さんも急きょ出かけられることになり、
日帰りで来てくれました。
(帰りの新幹線は大混雑だったそうです!)
お天気が怪しい中、
川越から、
インド仲間のAさんがご家族で。
左から二番目は、
今回お会計のお手伝いをいただいた
諸山朝子さんです。
ちょっとランプが逆光過ぎてしまった写真ですが、
皆さんいい顔してます♪
3日目はさすがの台風の影響で早めの撤去。
お手伝いにきてくれた版画作家の尾関立子さんが、
撤去の時1本だけ抜けなくて困っていたハンガーラックのポールを、
時間ぎりぎりに抜いてくれました!
快挙!!!
雨の中、皆で早めの退散でしたが皆無事に帰宅出来ました。
お越しくださった皆さま、
お手伝いくださった皆さま
ほんとうにありがとうございました!!!
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岩立さんの講演会へ
今回の東京は、滞在期間が短かったのですが
作品展の設営の後に岩立広子さんのミュージアムへ伺いました。
岩立さんにもちらりとお目にかかれましたが、どうやらお加減が優れなかったようす。
翌日(作品展初日)の夕方、
日本民芸館での岩立さんの講演会に滑り込みました。
フシギな事が重なりまして。
作品展の時間帯からして無理だと思って申し込みをしていなかったのです。で、その時間に友達と約束をしてしまっていたのですが、急にキャンセルになったのです。
で、一か八かで行ってみましたら、空席がいくつかありました。
私は時間的に大分遅れて入りましたので、全体の様子は分かりません。
岩立さんが今回出展されているコレクション約80点が展示されている展示室でのお話し会でした。
主だったお話しは、民芸館が発行している雑誌「民藝」に掲載されています。
ここに少しだけ抜粋しておきます。
「それは、バングラデシュが独立した年で、カルカッタには多くの難民が国境を越えて押し寄せてきて、町なかはごった返していました。こんなところに美しい布とかクラフトなんかがあるのだろうかっていう疑問が頭から離れない時に、この布に出会ったのです。あまりにも素晴らしい今までに見たこともない布がいきなり目の前に出されたのです。」
「カンタは、使い古しの布を数枚重ねて縫い、糸も使い古しの緯糸(サリーやドーティの)を抜いて使ったと聞きました。その当時、女の人はお金を全然持たされず、野菜やサリーに至るまで男の人が買いに行っていたそうです。女の人の大半は外へ出ることもなく、……使い古しの布や糸だけが、自分の自由になるものだったのです。それを使って贈り物にする刺し子の布、男性には旅に出るときのブランケット、娘には、婚礼用の豊かな模様のカンタを作り、生まれてくる子供のためには、おくるみの代わりになる布を、心を込めて刺したと聞きます。」
「よく、これを作るのにどれくらい時間がかかるのでしょうか、と聞かれますが、一生かかったものもあるかもしれませんし、時間で計ることはできませんが、手を動かして、その時間に我を忘れているときは、恐らく最高の時間だったのではないでしょうか。その時代、女の人の地位も低く、家事も多く、決して楽しいことがたくさんあったとは思えませんが、布を手に取り縫う時間は、その人にとって夢のような時間だったと思います。
手元から自分の夢の世界が生まれていく、それが完成した時の幸せ感は、創造の喜びに満ちていたことでしょう。」
「先日、望月さん(日本でカンタの普及に尽くされている大変稀有な方)が、3・11の震災の時、なんで針と糸を持って駆け付けなかったのだろうと話しておられました。手を動かして、布を縫うことで人の心を静め、針を動かすことによって、落ち着けることができるのにと、しみじみかたっていらっしゃいました。
……村の人々も単調な時、つらい日常の暮らしのなかで、手を動かして何かを作り出すということがどれほどの励みになったかしれません。」
以上、「民藝」741号からでした。
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では、また続きマース。