続きがすっかり遅くなりました。
バリはすでにガルンガン(迎え盆)を過ぎて、今週末のクニンガン(お見送り)までしばし平素に戻っているところ。
1月の遺跡めぐりの続き投稿、雨続きのwifiの不具合やらいろいろあって、ついにバレンタインデーも過ぎてしまったじゃないですかー、と、ひとりごち。
昨晩一旦投稿をしたのですが、あれこれはしょって書いているうちに
かえって分かりにくくなったようなので、改めて加筆しました。
それで、余計に長くなったのです。(笑)
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先日の「サムアンティガ寺院」の次にワヤンさんに案内してもらったのは、
こちらのプリセンジャガット寺院ほか2物件です。
冒頭のプリセンジャカッド寺院は
バティックと藍染でお世話になっているペジェンの王室、チョックさんの敷地の隣にあって
以前から何のお寺だろうと思っていたものです。
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プリセンジャカッド寺院
入り口にはちょっと立派なスタジアムのようなものがあって、聞けば、闘鶏場なんだそうです。
何年か前に闘鶏そのものが禁止された頃がありましたが、その頃に「公式」で闘鶏が行える場所として遠方からもたくさんの人が集まったらしい。……、と記憶には刻まれていながら、写真撮ってなかった!
雨の多い季節、
草ぼうぼうの敷地前。
ご一緒の皆さま、熱心にワヤンさんの解説を聞いています。
ここはペジェンの中でも最も古いたぐいの(ということはバリの中でもかなり古い)石像が見つかった場所らしい。
その後11~13世紀ごろお寺として建立されて、出土した石像をおまつりするようになった、とのこと。
お寺はバリ・ヒンドゥの様式ながら中にはいろいろなものが。
門を入ると、
草を刈ったばかりでした(笑)。
ゴルフ場のようにすがすがしい芝生。
ちょいと目を引くのがこれ。
一番下は大地の亀。
ストゥーパのようでいて、どのくらい前の何のものなのか。
境内の北東向きに斜めに建てられ
ている。
このお寺には
数々の不思議な言い伝えがあるそうです。
サムアンティガ寺院にあった石像は何となくミステリアスでもありましたが
こちらにはもっとたくさんいろいろな石像が残されていて
当時は一体どんな人たちがどんな風に信仰をしていたのか、想像が膨らみます。
比較的小さな石像は、無造作に祠の軒下に並べられている。
持っていかれたりするってことはないのだろうか、
いやいや、誰もそんなことする人がいないから無造作なんでしょう、きっと(笑)。
でも、これなどは風化されるがままって感じなんですが。
いいんでしょうか?
もはや石ころにしか見えないけれど。
プリセンジャカット寺院の界隈は
広々と田んぼがあるのみ。
ワヤンさんによれば、売ったり建てたりできない保留区のようになっている。
(あぁ、その土の中にはもっとたくさんの歴史が眠っているに違いない!!)
界隈には、紀元3世紀ごろのもの(11世紀という説もあるのけれど…)と言われている銅鼓(あるいは銅鑼なのかも、資料により異なる)が奉られているお寺もあり
これは、ベトナム辺りが発祥のドンソン文化(紀元前~紀元1世紀ごろに栄えた初期の青銅器文化)の影響ではないかと言う人がいます。
ヒンドゥも仏教もまだの時代に、マレーを経てジャワを経て、バリまで伝わった文化が?
土の中から出てきたものをバリの宗教が取り上げておまつりしているのは、神話が今の神社に結びついている日本の史跡と同じように、何かしらの必然を感じます。
ちなみに銅鼓(銅鑼?)はバリよりもさらに東の島々でも見つかっているそうです。
さて、
このまあるい物(コラム・マヤと言う)の中は、目では見えないけれども祭事の時には水で満たされて、その水は海までつながってペニダ島まで至るのだとか。
ペニダ島はバリの東にある小さな島で、あの世の場所というか、
「向こう側」の見えない領域の例えとして考えられているのですが
その信仰がこの古いお寺に廃れず残っている。
実は数十年に一回と言われるこのお寺の大きな祭事が今月(2016年2月)にあるのですって。
境内はすでにその準備が着々と進められていました。
お祭りの日にもう一度行って、またご報告が出来ればと思います。
うちから歩いて行けるくらい近い場所は、
深い深い歴史のスポットでした、そのことだけは今回にて納得。
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お次は、更なる秘境です。
こんな狭い道の両側は田んぼだけ。
遺跡周辺のペジェンの景色。
私たちの場所はすでに両隣ギシギシに建物が建っているけれど、
こんな場所の両側が手つかずであることに。
きっとずっとこのままでありますように。
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ゴア・ガルバ
次なる物件(秘境)は、「神様の足跡」。
ゴア・ガルバ。
こちらは、巨人伝説とつながりがある。
昔むかし。クボ・イワというとても大きな肢体の、いわゆる巨人がここに暮らしていたという。
(クボ・イワについては、詳しい人から近いうちに話が聞けるかもしれないのでまた改めます。)
渓谷に沿う斜面の一部に遺跡がある。
何ともプリミティブな。
岩の斜面にレリーフのように彫り込まれた祠のようなもの。
屋根の部分に何やら梵字のような象徴の模様が彫り込まれているけれど。
遺跡に降りるための危なっかしい石の階段。
登ってみると、かな~~りきわどい。
石の階段はどれも浸食がすすみまぁるくなって、ガタガタ。
門をくぐってさらに上ると、白い柵に囲われた石段がひとつ。
これが「神様の足跡」なんだそう。
石段は、左右に補強されて。
そうね、このままだったら崩れ落ちるだけ。
一体どのくらい昔の石段でしょう。
クボ・イワの時代って一体どんなだったんだろう。
この界隈には、近々、日本の星のやリゾートがオープンするそうです。
世界遺産にも登録されている地域ということで
ゴア・ガルバの手前には、その資金によって整備されたらしい(?)立派なお寺がありました。
ゴア・ガルバ。
日本の史跡だったら、きっともっと詳しい解説が広められ、関心とともにたくさんの人が訪れそう。
でもここは、何日も誰も来ていないかのようなサンクチュアリ。
濃密な空気に一人飛び込んで、神さま伝説とのコンタクト。
ちょっとした隙間の偶然のような時間。
いやいや。
これも必然。
世の中、すべて必然ですから。
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ゴア・ガジャ
長くなりましたが、
こちらは昨年も一度ご紹介をした、ゴアガジャです。
今回初めて気が付いたのですが、パーキングエリアから寺院のある窪地へ降りる手前にあるこの木。
瞑想の洞窟の真上に生えているのでした。
そして瞑想の洞窟には、なんだかんだ言って今回初めて入りました。
リンガが祀られている場所は、思っていたよりずっと落ち着く空気。
インドではシヴァ神のエネルギーの象徴とのことだけど、
洞穴の中の、暗闇の中に、黒く光っているリンガは、
祈りの塊のようで。
祈り。
ひたすら、祈り。
今の時代の目に見える大きな事変と目に見えないたくさんの小さなストレスに。
不変でパワフルで、絶対にぶれないシンボルは
これかな?
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うん。
長くなりましたので、この辺で。