2016年10月30日 (日)

ムチャル

この大掛かりな儀式は、
お金もそれなりにかかりまして
どんなもんだろうと
思う事もありましたが、
結果オーライ。

住まいと仕事場のクリーン化はしっかりとできました。何より気分がサッパリとして、要らぬ心配が無くなったのはスゴイ。
儀式の威力、意味を改めて知る。



このような供物が全部で9つ。



敷地の北東角にあるプラ(家の寺院)の前で、
マンクさんが祈り始めました。



お天気に恵まれたせいか、光が一際美しい。



駐車スペースでガムランの楽器をニギニギしくたたく。



薪木に火を入れて、煙をたくさん燻だし、敷地から煙とともに悪いものが出て行く。
お母さんたちが敷地内をぐるぐると周りながら
声を上げ、



敷地の入り口に向かって追い出す。

いろいろ具体的なので、本気で邪気が追い払われる感じがするw


建物の前でも同時に供物を取り壊しながら
音と煙とマンクさんのマントラと!

わたし自身も、もう、ヘトヘトに。


儀式の後は、
供物に使った地鶏の燻製をさばいて
タマネギ、レモンを和えてお昼ご飯に。



餅米のロントンとココナッツと野菜の和え物と。


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ありがとうございます。

いただきまーす(^o^)


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2016年10月25日 (火)

ベジの神さまにご挨拶

10月12日にお盆の竿飾りペンジョールを取り払うと、それから先やっと平素の儀式が出来るようになる。

私が体調を崩した事もあるけれど、庭の真ん中にあった木が倒れてしまった事もあり、一度敷地内をクリーンにするムチャルという儀式をやる事にしました。

村のマンクさんに尋ね、吉日を選んでもらい、
1カ月掛けてスタッフのDedutの一家が供物作りをしてくれました。

儀式の前日、私も少しだけお手伝いをさせてもらいにDedutのお家へ。


Dedutの娘、アユが私の前で踊ったり歌ったり。(笑)
ちなみに手前のが私がやらせてもらったお供え物です。



まぁ、つかの間のお手伝いとしては、やった事がない供物作りより、アユのお相手してた方が、忙しい一家には一番のお手伝いだったりする。(笑)

さて、翌日。
すんばらしいお天気に恵まれて、子供も学校をお休みして、スタッフも近所の方々も集まり、マニスバリスタジオの邪気払いの儀式がはじまりました。

まずは、
敷地のすぐ下にあるベジのお寺詣。


急階段を降りて行く途中で、子供が教えてくれました。
この場所は遺跡なんだと。
確かに、壁面に人工的なレリーフが。
そうだったのか!
この地域は仏教やヒンドゥーがやってくる前からのアニミズム的な遺跡があちこちにあるけれど、まさか自宅の下にもあるなんて。



そして、ここ。
この清らかなお水がある事に何となくご縁を感じて、今のマニスバリスタジオを作りました。
そして丁度10年くらいたちました。
お水は相変わらず清らかで柔らかい空気の中で静かに湧き上がっています。



ベジとは聖水が湧く泉の事。
村の人たちがとても大切にしている聖域であり、行水や洗濯に使い、生活水を汲んでいる場所。
その泉の奥に祭られたベジのお寺に、ムチャルの儀式の前のご挨拶に。
清らかな空気の中でお祈りしていたら、この場所は天国のようだな、って思う。


このプールが行水と洗濯の場所。



急階段の途中から見下ろすベジはいつもキラキラした光に包まれ、深い緑に守られています。



お供え物を持ち帰る、マニススタッフ。
急階段の登り道だって何だって、
いつだって前向きに頑張る!

さ、この後、儀式がはじまりましたよ。

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2016年2月16日 (火)

ペジェンの歴史巡り 2

続きがすっかり遅くなりました。

バリはすでにガルンガン(迎え盆)を過ぎて、今週末のクニンガン(お見送り)までしばし平素に戻っているところ。

1月の遺跡めぐりの続き投稿、雨続きのwifiの不具合やらいろいろあって、ついにバレンタインデーも過ぎてしまったじゃないですかー、と、ひとりごち。

昨晩一旦投稿をしたのですが、あれこれはしょって書いているうちに

かえって分かりにくくなったようなので、改めて加筆しました。

それで、余計に長くなったのです。(笑)

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先日の「サムアンティガ寺院」の次にワヤンさんに案内してもらったのは、

こちらのプリセンジャガット寺院ほか2物件です。

冒頭のプリセンジャカッド寺院は

バティックと藍染でお世話になっているペジェンの王室、チョックさんの敷地の隣にあって

以前から何のお寺だろうと思っていたものです。

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プリセンジャカッド寺院

入り口にはちょっと立派なスタジアムのようなものがあって、聞けば、闘鶏場なんだそうです。

何年か前に闘鶏そのものが禁止された頃がありましたが、その頃に「公式」で闘鶏が行える場所として遠方からもたくさんの人が集まったらしい。……、と記憶には刻まれていながら、写真撮ってなかった!

雨の多い季節、

草ぼうぼうの敷地前。

ご一緒の皆さま、熱心にワヤンさんの解説を聞いています。

ここはペジェンの中でも最も古いたぐいの(ということはバリの中でもかなり古い)石像が見つかった場所らしい。

その後11~13世紀ごろお寺として建立されて、出土した石像をおまつりするようになった、とのこと。

お寺はバリ・ヒンドゥの様式ながら中にはいろいろなものが。

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門を入ると、

草を刈ったばかりでした(笑)。

ゴルフ場のようにすがすがしい芝生。

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ちょいと目を引くのがこれ。

一番下は大地の亀。
ストゥーパのようでいて、どのくらい前の何のものなのか。
境内の北東向きに斜めに建てられ
ている。
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このお寺には
数々の不思議な言い伝えがあるそうです。
サムアンティガ寺院にあった石像は何となくミステリアスでもありましたが
こちらにはもっとたくさんいろいろな石像が残されていて
当時は一体どんな人たちがどんな風に信仰をしていたのか、想像が膨らみます。
比較的小さな石像は、無造作に祠の軒下に並べられている。
持っていかれたりするってことはないのだろうか、
いやいや、誰もそんなことする人がいないから無造作なんでしょう、きっと(笑)。
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でも、これなどは風化されるがままって感じなんですが。
いいんでしょうか?
もはや石ころにしか見えないけれど。
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プリセンジャカット寺院の界隈は
広々と田んぼがあるのみ。
ワヤンさんによれば、売ったり建てたりできない保留区のようになっている。
(あぁ、その土の中にはもっとたくさんの歴史が眠っているに違いない!!)


界隈には、紀元3世紀ごろのもの(11世紀という説もあるのけれど…)と言われている銅鼓(あるいは銅鑼なのかも、資料により異なる)が奉られているお寺もあり
これは、ベトナム辺りが発祥のドンソン文化(紀元前~紀元1世紀ごろに栄えた初期の青銅器文化)の影響ではないかと言う人がいます。
ヒンドゥも仏教もまだの時代に、マレーを経てジャワを経て、バリまで伝わった文化が?

土の中から出てきたものをバリの宗教が取り上げておまつりしているのは、神話が今の神社に結びついている日本の史跡と同じように、何かしらの必然を感じます。

ちなみに銅鼓(銅鑼?)はバリよりもさらに東の島々でも見つかっているそうです。
さて、

このまあるい物(コラム・マヤと言う)の中は、目では見えないけれども祭事の時には水で満たされて、その水は海までつながってペニダ島まで至るのだとか。
ペニダ島はバリの東にある小さな島で、あの世の場所というか、
「向こう側」の見えない領域の例えとして考えられているのですが
その信仰がこの古いお寺に廃れず残っている。
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実は数十年に一回と言われるこのお寺の大きな祭事が今月(2016年2月)にあるのですって。
境内はすでにその準備が着々と進められていました。
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お祭りの日にもう一度行って、またご報告が出来ればと思います。

うちから歩いて行けるくらい近い場所は、

深い深い歴史のスポットでした、そのことだけは今回にて納得。

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お次は、更なる秘境です。

こんな狭い道の両側は田んぼだけ。
遺跡周辺のペジェンの景色。
私たちの場所はすでに両隣ギシギシに建物が建っているけれど、
こんな場所の両側が手つかずであることに。
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きっとずっとこのままでありますように。
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ゴア・ガルバ
次なる物件(秘境)は、「神様の足跡」。
ゴア・ガルバ。
こちらは、巨人伝説とつながりがある。
昔むかし。クボ・イワというとても大きな肢体の、いわゆる巨人がここに暮らしていたという。
(クボ・イワについては、詳しい人から近いうちに話が聞けるかもしれないのでまた改めます。)

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渓谷に沿う斜面の一部に遺跡がある。
何ともプリミティブな。
岩の斜面にレリーフのように彫り込まれた祠のようなもの。
屋根の部分に何やら梵字のような象徴の模様が彫り込まれているけれど。
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遺跡に降りるための危なっかしい石の階段。
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登ってみると、かな~~りきわどい。
石の階段はどれも浸食がすすみまぁるくなって、ガタガタ。
門をくぐってさらに上ると、白い柵に囲われた石段がひとつ。
これが「神様の足跡」なんだそう。
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石段は、左右に補強されて。
そうね、このままだったら崩れ落ちるだけ。
一体どのくらい昔の石段でしょう。
クボ・イワの時代って一体どんなだったんだろう。
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この界隈には、近々、日本の星のやリゾートがオープンするそうです。
世界遺産にも登録されている地域ということで
ゴア・ガルバの手前には、その資金によって整備されたらしい(?)立派なお寺がありました。
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ゴア・ガルバ。
日本の史跡だったら、きっともっと詳しい解説が広められ、関心とともにたくさんの人が訪れそう。
でもここは、何日も誰も来ていないかのようなサンクチュアリ。
濃密な空気に一人飛び込んで、神さま伝説とのコンタクト。
ちょっとした隙間の偶然のような時間。
いやいや。

これも必然。

世の中、すべて必然ですから。
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ゴア・ガジャ
長くなりましたが、
こちらは昨年も一度ご紹介をした、ゴアガジャです。
今回初めて気が付いたのですが、パーキングエリアから寺院のある窪地へ降りる手前にあるこの木。
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瞑想の洞窟の真上に生えているのでした。
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そして瞑想の洞窟には、なんだかんだ言って今回初めて入りました。

リンガが祀られている場所は、思っていたよりずっと落ち着く空気。

インドではシヴァ神のエネルギーの象徴とのことだけど、
洞穴の中の、暗闇の中に、黒く光っているリンガは、
祈りの塊のようで。


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祈り。
ひたすら、祈り。
今の時代の目に見える大きな事変と目に見えないたくさんの小さなストレスに。
不変でパワフルで、絶対にぶれないシンボルは
これかな?
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うん。
長くなりましたので、この辺で。

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2016年2月 5日 (金)

ペジェンの歴史巡り 1

バリスタジオがあり私が暮らしているペジェンという地域は

バリの神話と深いつながりがあります。

この場所に定住してからかれこれ10年弱。

直感で決めた借地はプタヌ川という清らかな渓流に面していて傾斜地です。

ここを整地することから始めメインの建物を建てて、何だかんだと住み始められるまでに1年あまり。

その後はこの川の音を聞きながら過ごしてきた10年弱ともいえるでしょう。

 

最近やっと少し余裕が出来て

この土地、ペジェンについて視野を広げ始めています。

 

ペジェンには「発掘された」遺跡が多く、その中には仏教の系統のものも多々あることが最近分かってきました。

あれ?

バリはアニミズムとヒンドゥのミックスだとばかり思っていました。

いつ頃どんなふうに仏教???

というわけで、そこに疑問を感じてしまった以上自分で動いて調べないと気が済まないんです。

あー、はじまっちゃいましたー!

なぜならば、日本のように歴史的物件や神話が整理されていない。

なかなかあっちの話しとこっちの話しが照合しない。

自分で動いて聞きまわる方がずっと早いのです。

 

1月最後の日曜日。

京都から来ているヨコベ夫妻を引っ張り込んで

遺跡巡りのツアーに出かけました。

、と言っても、本当に。その気になれば徒歩でも行ける場所ばかり。

 ペジェン文化に詳しいアパ情報センターのワヤンさんにガイドしてもらう。

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まずはワヤンさんのレコメンドでサムアン・ティガ寺院へ。

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おお!

ここは確か20年くらい前に取材で来たことがあったかもしれない。

それにしても立派なお寺。

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11世紀、バリの中でずっと途絶えなかった宗教観の争いを調停するため

この場所で当時の仏教の高僧とバリのアニミズム系の代表者とがはじめて顔を合わせたそうです。

チャンディ・ブンタル(割れ門)から先は聖域。
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そしてバリ信仰の源流はどうもこの辺りにあることが垣間見える。

門の左手にある大きな木。

この木の下に祀られているのは豚、象などの偶像。

すごく大きなパワーがあるな、と思っていたら!
撮った写真にスペクタクルが映り込んでいました。

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ウェルカム、ってことなんでしょうか?

この木の下に立つと勢い大きな風が吹いて、たくさんの木の葉が落ちてきました。

そうして間もなく稲妻と雷雲が近づいてくる。
境内中央にもすばらしい木が。

こちらの木の向こう側には川と泉があり、奥の院というか更なる聖域のような場所でした。
それにしても見事な木!

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この木の傍らで子供の時から過ごしているという寺の守り主が言うに、
この木は昔からこのくらい大きかったらしい。
彼が60歳だとして、子供のころから今に至るまで「大きさ」に異変がないのは
この木がどれだけ昔から歴史を見おろしているか、ってことに至ります。

吸い込まれそうになる生命体。


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その傍らには、何やらお願い事がいっぱいです(笑)。
左は田んぼ&山の象徴。
真ん中はお金。
右は海。

右と左でカジ取りしながら、真ん中はお金~。
そうか、バリがインドネシアの中で別格に土地バブルなのはこのお寺のせいか~(笑)。
それにしても、仏教ゆえのお寺なのに目に入るものはバリヒンドゥそのもの。
1000年あまりの時間が経ていますからね。
バリの歴史を紐解くと、
ヒンドゥが渡来して開祖したのが8世紀。
その後11世紀に王族が競い合うかのようにして建立してきたヘリテージ。
このサムアンティガ寺院も11世紀のものなので、
どうやらそのころにバリで主だった信仰の基軸が出来上がった模様。
その中には仏教のマイノリティもまばらながらお手伝いをしている、という感じなのでしょうか?
ペジェン地域に残る神話と遺跡、また続きます~~~。

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2011年3月 4日 (金)

オゴオゴだー。

実は、きょう今少し雨が降っているんですが、バリ中(きっと)の集落の角々でオゴオゴが担がれはじめています。花火がバンバン鳴っております。今からオゴオゴたちは暴れまわって、そうして深夜12時までには火をくべられるんでしょう。

あー、またバリの1年が過ぎたのだな。

しかし。わたしは今こんな時間にブログに書く時間ができる。なぜかな。あ、スタッフもきょうは早く帰ったし、子供は実家へ行っているからだ。わたしは今回は帰国も近いし(きょうになってやっとパスポートが戻ってきたので)、明日もこもるからいっぱい書けそうだー。

2月は、コーヒーカジタさんがバリへ遊びに来てくださいました。

「行こうと思ってます!」とメールをいただいていたけど、本当にいらっしゃるとは。だって、ご夫婦ふたりだけでお店での喫茶と販売、地方配送、ときどきマニスみたいな特別注文もあるし(!)、出張喫茶も毎月のようにされている。想像するだけで目が回っちゃうわたし。

でも、ともみさんは相当行動派。名古屋からガルーダで2泊3日のバリを実行です。

……と、書いたところで、子供が帰ってきちゃった。「オゴオゴいっぱいいるよー」って。でも晩ご飯もまだみたいだし、また出かけるみたいだし、一旦ここまで。

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2008年2月15日 (金)

腕くらいの長~いモノ

Photo 昨日からバリはすごい悪天候。こんな折、昨夜の便で日本へ発った人、 ふたり。悪運強し。ひとりは「天気に強い」と自称するエイコさんです。←はぁ、しかし前回いらしたときも空港への道はザンザン降りでしたよ? 2週間バリで避寒しかし雨ばかりでごめん。もうひとりはバリで日ごろお世話になっている鋭いお方、整体師のTさん。しかしまぁ、あんな雷でみなさんよくご無事でした。

きょう昼間は雨はなく、しかしぬかるみ滑る山道を降りてベジへ。スンバヤンのお供はマニススタッフのマルティンです。お供は毎回交代でほぼ全員が参加しています、私の独断で今も続行しているベジ詣。

曇り空の下、静かな瞑想&お祈りを終えた後。さぁ、帰って仕事だ~、と立ち上がると、ベジの水をひいて村人の浴場になっているプールに何と大蛇が!!! 

「マルティ~~ン!」彼女も水を見下ろして、「うわっちゃ~!」。ふたりして全身鳥肌でゼイゼイしながら帰って来ました。いや、大蛇じゃなくて確かあれは魚。でも長―い。ありゃ一体何だ?

見晴らしの利くベランダに上がって、畑の方にいたデワさん(うちの用務員のおっちゃん)を大声で呼んだ。

「あの魚か?こんくらいの(片腕を上げて見せる)?誰かがあそこで飼いはじめたんだよ。本物だから安心しな」あーよかった、私とマルティンが見たものは神様の化身とかではなく誰かさんのペット…。場所が場所だけに(地域では知られたホーリースポットです)、ちょっとびっくりしました。 Sk

デワさんによれば、「黒くて長いのだった? 飼い主は白いのも飼ってたことがあって、それをタオルみたいにつかって背中を洗ったりするのも見たことあるよ」はぁ? 背中をごしごしする為に飼ってらっしゃる?

何だか想像に難いお話しです。そしてこれの写真がなくて、ごめんなさい(私においてはよくあるケースで悪しからずご理解下さい)。

さてさて、長いもののことは一旦忘れていただいて、写真をご覧下さい。作品がもう間近。皆さまのお手手元にはもうご案内のハガキが届きSk3ましたでしょうか? 

ハガキのお花たちをアップリケした“Tシャツ”を今週から作品展前にサイト上で発売しておりますが、来週は“ハギレセット”が登場します。MASAKO石鹸のまさこさんがつくってくれたシサシサ(リサイクル)のかわいいおまけつきですよ~。

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