インド行きました 2022.5 その1
今日はバリ島はクニンガン、送り盆の休日です。
滑走もひと段落して久しぶりのブログタイムです。
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5月の作品展から3週間経ちました。
今回もとっても充実した作品展になりました。
お買い上げくださった方々、お越しくださった方々、
フラスコの日野さん、運営部の皆さん、京都の皆さん
大変お世話になりました。
今回もLINEビデオからのリモート参加でしたが
ネットの具合が良好で会場のご試着をかなり拝見できました。
東京時代にずっとお世話になっていた加藤希久代さんが
お直しご相談係で来てくださったり、
懐かしく楽しく、あっという間の3日間でした。
次回秋も予定していますので、
またよろしくお願いいたします。
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マニス巡回展の方は、今週は大磯の布うさんで夏服展開催中です。
https://www.instagram.com/fuu.oiso/
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5月はコロナで引き籠っていた2年ののち
自分的にここまで出来るのかなと自信が持てないところもありましたが
予定通りに駆け抜けて
しっぺ返し的な体調不調も今のところなくて元気に次の予定に入っています。
4月下旬から準備を始め、
出発前日ギリギリまで作品展に送る服のチェックをして
不在中に作っておいてもらう服の指示を決めて。
2年ぶりのインドへ行ってきました。
今日から少しずつインドのレポートを書いていきますので
どうぞお付き合いください。
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今回のインドは、私が体質的な問題からコロナワクチンの接種が出来ていない事で
この時期に海外へ出れるのかが最初の難関でした。
私は19年前の出産を機に一切の薬を飲むのをやめたので
歯医者さんでの麻酔注射はじめさまざまな化学薬品にちょっと敏感体質になっています。
インドは不接種の人は2日以内のPCR陰性証明があれば入国できるとの事ですが
問題はインドネシアの再入国。
必要条件が政府の最新通達と利用航空会社とで異なりました。
結果からして、各国の入国条件がどんどんアップデートされているのに航空会社の方が間に合っていなくて
チェックインカウンターでの対応が「少し前のもうちょっと厳しい条件」の方に合わされいる為
私の場合は「5日間の隔離ホテルの予約バウチャー」とか「出発国の国立病院の診断書」とかが必要。
ところがこの診断書が現在医師の間でNGになっているようで、どこを聞いても断られる、というものでした。
ホテルも、今ではコロナ隔離なんてもう大昔。
フツーの観光客がPCR検査も無しでOK。
以前のように到着ビザで簡単に入国でき自由に行動できる現在のバリですから。
ですので、今月バリへ渡航予定の方は、航空会社の規定をよ~く確認してから飛んでください。
現在、航空会社のオペレーターさんたちもかなり混乱しており、
円安と燃油高もあるのでコロナ前の簡単で安い旅行ではなく
噛み合わない情報の中からグッドチョイスを見つけるような
宝探しみたいな感覚でしょうか。
で、
私の場合は
往路が以前の2倍の価格で復路が無料という掘り出し物が現る。
そんなのアリ??かと2日間アタマいっぱい迷って、よっしゃ、チャレンジ。
航空会社の直接サイトですが「復路0円」というチョイスがあるなんて、マジですか?
今まで見たこともなかったけれど。
結果は後日書きますので乞うご期待。(笑)
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話しは変わって。余談をひとつ。
下の写真は、私が戻った後の食卓テーブル。
毎日これ食べてたのか息子よ、冷凍庫のコロッケも全部なくなっておるよ、
ご飯を炊いた形跡は無し。
ゴハン代に置いていったお金は全部使ったという。
(笑)
因みに、インドネシア人はミー(麺)をすごく食べる。
小麦粉はウクライナかららしく、この先供給不足になる不安から
国産小麦のプランテーション計画も出ているとの事。
私はコメ派なのであまりピンとこないけれど
じわじわと食糧の不自由さが来るのかもしれない。
2か月ほど前はパーム油が全国的に品薄になりパニックが起きました。
一時は3倍近い価格になり、そののち政府が輸出規制をしたので現在は店頭にもまた出回っています。
コロナとバイバイすると同時に、また別のサバイバル感が増してきました。
以上、余談でした。
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……あれあれ、もう一つ余談。
こちらはUBUDのカフェ「KAFE」のインディアンプレートです。
先週ガルンガン休暇に入った初日に真っ先に行ってしまった。
本場インドでは外国人はほとんどまだ入ってきていなくて
インド人ばんざーい、って感じでしたが
移動が多かったせいかゆっくりインド料理を楽しむ時間が無くて
埋め合わせしました。
このヒトサラがコロナの間に何度助けてくれたことか。
インドから戻ってまたここにお世話になるとはこれ如何に。
(前置き長すぎで、すみません。)
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5月11日。
やっほー、2年ぶりのデリーに到着です。
搭乗者はそこそこいたけれど
外国人ほぼ皆無。
イミグレの列がすっからかんでラクラクの入国です。
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5月12日。
今回滞在のデリーのホテルは
コンノートプレイスという中心地から徒歩圏内にある静かな高級住宅地。
こんな場所があるなんて不思議です。
インドの5月は酷暑期。
今回は記録更新で49度まで上がりました。
デリーを徒歩って、素晴らしい。
SIMの購入が意外と押してお昼ゴハンは午後3時。
通りがかりとしては高級すぎるけどユナイテッドコーヒーハウス。
そうだった、そうだった。
こうしたレストランは何を注文しても2人前のボリューム。
焼きそばを頼んで半分をお持ち帰りして夜食に。
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5月13日。
ホテルの朝食はシンプル。
早朝出発のため早めに用意してもらう。
今回の旅は、まだ訪れたことがなかったインド北部、
ヒマーチャル・プラデーシュ州。
国内線も無くはないけど、NOワクチンだと航空会社によって面倒かもしれないと思い
デリーからの陸路で。
ドライバーさんと二人で5日間の旅になりました。
これでも最短、片道16時間だから行きに2日、帰りに2日なんです。
デリーから6時間くらいは整った高速道路、その傍らにたくさん現るは「ダバ」。
ハリヤナ州、パンジャブ州の言葉でレストランの意味らしいのだけど、
場所によっては広い駐車場に満杯の車。
5月の酷暑期に北部へ向かう国内観光客のラッシュでした。
8時出発、12時半。
お昼ご飯はその人気店の一つに。
インド人しかいない。
しかも、エーゴ通じない。
メニュー盛りだくさんながら文字だけで良く分からないので、
ミールス(いろいろ盛り合わせプレート)にすると
キタコレ。
この辺りはまだwifiが快調で、京都の清水さんと作品展準備の連絡を取り合いながら
片手でチャパティをちぎる。
チャパティのほかにライスも付いていて
明日まで食べ続けられそうな気がするも
チャパティのお代わりを聞きに来る給仕に
ことさら大きくNOと言う。(通じてヨカッタ。)
更に3時間ほど行き、もう一回休憩。
パンジャーブ州。
エアコンの店内には入らず、外の席でコーヒーを頼んだところ
なかなか、なかなか
出てこない。
時代がかったカウンターにコロナ的なバリアガラス。
やっと出てきたコーヒーの薄さに泣く。
ネスカフェであることは間違いないが、たぶんカビている。
それを微妙にカバーする砂糖入り。
もうこの先はコーヒーは諦めようと思う。
(実際はメニューにあれば諦めずに何度も頼んでは何度も泣く羽目に。)
ここを出たのが15時半、その後のグーグルマップで
この日の宿泊予定地まであと4時間。
ヒマーチャル州マンディには19時頃着いた。
けど、ホテルの場所が街から少し離れていて
結局20時近く。
途中からのゴツゴツした山道と、何度も上ったり下りたりする勾配とヘアピンカーブに
転がらないようにぎしっと掴まっていたせいで腕が痺れてしまう。
ホテルの部屋の静かさはバリの田舎並み、ココ本当にインド??
(通常は泊り客のドアの開閉やしゃべり声、テレビの音などに包まれます。)
おまけに前日までの豪雨でwifiダウン。
久しぶりの静寂と、
デリーの灼熱を忘るる涼しさなのに、頼んだビールが凍っていたよ。
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続きます。