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2021年3月21日 (日)

マニスの旅・2020年2月インド その5

2020年2月のインド・回想録的連投の続きは

カルナータカ州。

令和2年2月22日は、

初めての南インド、バンガロールの一日、

その翌日はメルコテという遺跡がある古い町で手つむぎのコットンを作っている

ヤナパダ・トラストをお訪ねしました。

・・・・・・・・・・・・・・・

2・22は土曜日。一般の布関係も営業しているので

何件かお訪ねしてみました。

ええと、そうですね、

何かその前にありました。

あ、そうそう。

この街、バンガロールは現在はベンガルールと言いますが、

これまで知り合ってきたインドとは何かが違います。

「コーヒーください」→「はい、マダム」→「ん? これ、チャイですか?」→「はい、マダム」→「コーヒーはありますか?」→「はい、マダム」

みたいな会話が多い。

何というか、要点に行きつくのにいろは坂を通るみたいに行っては戻り、直線で行けない。

また、

「明日行きますからね」→「はい、とても楽しみにしていました。しかし、私は明日いません」→「え、どうしてですか?」→「今ムンバイ行きの列車に乗っているからです」

1週間前にブッキングしていたというのに。

「明日9時に迎えに来てね。」→「了解です。では、明日9時に」→

この先、もうお分かりですよね。

9時に来てる確率は低い。けど、8時半にもう来ていたりする!!

しかし、インドのシリコンバレーと呼ばれる街でもあります。

(大丈夫なのか、それ?)

タミール系の人々が多い地域ですが、この性質はタミール的なのかどうか。

バリ島から来た私には比較的あるあるですが。w

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布関係を回って早めの夕方。Rain Treeというショッピングコンプレックスへ。

アノーキーなど大手ブランドのほか見たことないブランドのものも多数。

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中にカフェもあって、にぎわっていました。

あまり自分に向くものがなくてがっかりしかけたところ、

このガンジーアイコンな刺繍のブラウスを見つけて、即買いました。

見てみて、この可愛さ♡

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SALT WARKとNO TAX、SALT MARCHは

1930年代にマハトマガンジーが英国の塩の独占に対し非暴力で行った「塩の行進」のこと。

インドの心はいつもガンジーと共にある。

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赤い刺繍部分の裏には当て布があって、その間の三角部分は1枚仕立て。

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生地は縁が緑色のドーティ(男性用腰巻)を使っていて、

初期のアトリエマニスを思い出す雰囲気もあって、

運命の出会いのよう!

コロナ時代前、このブラウスが最後の買い物だったな~、なんて

大切な思い出の品となりました。

・・・・・・・・・・・・

その翌日は遠出です。

片道3~4時間のメルコテへ行くので早朝出発です。

冒頭にて触れましたが、

バリ島からメールで訪問日を再三伝えていたと思うのに、責任者不在という、アレです。w

代わりの人が迎えてくれ案内できると言うので予定通り行くことに。

朝7時に開くというホテルのカフェテリアがまだ開いていなかったりすることには

もう驚かない。

出発ギリギリまで粘ってこれだけの量を平らげるワタシって、どう?

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テーブルがタイルだった件が懐かしい。w

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カルナータカ州の土地は、メイソールと言うかつてインドの王国の中でかなり勢力を持っていた地域。

この土地では綿の栽培がおこなわれており、メイソールコットンと呼ばれています。

(原種綿かどうか正確には分かりませんでしたがそのようなお話しでした。)

サバンナ的な乾燥地帯をひた走り3時間。

メルコテは小高い丘の上の小さな古い町。

坂道の途中で長いおさげに花をつけた女性たちの群れ。礼拝の帰り道だったらしい。

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着きました!

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まずは「チャイorコーヒー?」→「コーヒーお願いします!」

コーヒー出てきました。パチパチパチ!

南インドコーヒー! ネスカフェじゃなくて!

けど、ミルクと砂糖はたっぷり。w

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ヤナパダ・セヴァ・トラストはガンジー思想に基づき60年前から引き継がれて来た社会的組織。

メルコテはインドの中でも古い聖地のひとつで、観光客も多数見かけましたが

決して全面的に観光に依存するような街ではなく、そのことがフロムバリの私には印象的でした。

……自立しているのです。

(ヤナパダのプロジェクトが貢献している部分は大きいのかもしれません。)

そのひとつは孤児の養子縁組です。

ここには孤児院があり、訪問した時には確か十数名の子供たちがいました。

生まれたばかりの赤ちゃんもいて、支援者からの寄付で良好な環境と施設の中で生活していました。

つい最近(当時)、一人の子供が海外の里親のところへ行ったばかりだと聞きました。

写真の門の中に孤児院と、そしてもう一つの社会事業のカディコットン生産で作られた布の在庫室があります。

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下の写真は、テキスタイル部の在庫室で買ったもの。

キッチンクロスのようなチェック柄。

あるだけ出してもらって品質を見て選ばせていただきました。

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館内の仕事場に掛けられていたマハトマガンジー。

亡くなった時に1枚のドーティとメガネと履物だけしかなかったという事から

カディコットンを扱う仕事場の多くでこの絵写真を見かけます。

西洋画のようでそうではない描き方にも惹かれます。

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縫製室。

織られた布でいろいろな商品を縫って販売しています。

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ミルクメーカーからの注文で、おじさんがつくったバッグなんだって。

フランスのクリームチーズ、「笑う赤い牛」のようなマークじゃありませんか?

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孤児院は写真不可だったのだったので載せられませんが、

LIONという映画(ご存知でしょうか?)の切なさを思い出して

インドの暗闇というか、見えないけれど実際にある断片を思うと

何か泣けてくるのでした。

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最初の、コーヒー頂いた場所に戻ってお昼をいただくことに。

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電線の向こうに見えるのがメルコテの遺跡。

写真の左側が孤児院&在庫室の敷地で右がその上の写真(扉の)建物です。

街の中心地ながらとてものんびりとした雰囲気の場所。

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お昼ごはん!

素朴でおいしかった!!

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午後は、そこから数キロ離れた布の工房を見学です。

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敷地は広くて、研修センターや宿泊施設も。

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経糸のセットをしていました。

生成のカディコットン。

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産地によってさまざまな巻き取り機。

作り方、使い方もさまざま。

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布のクオリティはこの仕事の質によってかなり決まってくる。

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使い込まれた道具たち。

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織機にセットされた図。

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茶綿を使っているものも。

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織姫が作業をしている。

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手紡ぎのせいか糸の不均一が味わいになって。

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糸巻、チャルカはガンジーさんの象徴でもあり、実際にインド各産地ではほぼ同じ形のものを見かける気がします。

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カーディの思想を忠実に受け継いでいるかのような、こんな無垢なコットンがサリーとして織られています。

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こちらは染場。染める前の糸と布。

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染められた糸。すべて天然染料によるもの。染料になる草木は敷地内でも栽培しているそう。

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案内いただいた後、

インスタにビデオを掲載するから何かしゃべってください、と唐突に言われて

口から出まかせでハッタリ英語でしゃべりましたが

あまりの恥ずかしさに自分でそのビデオを見ていません。

いや、ひどすぎて主宰者が消している可能性大。w

ただ、

ここにある布づくりの基本はかけがえが無い遺産だと思った事、

それをどのようなプロダクトに使うかを多くのデザイナーが知恵を絞っていくべき

未来につなげていけるようにと

しゃべった気がします。

旅の恥もかき捨てにできない、ネット時代の意外な落とし穴に遭遇。w

ちなみにこのヤナパダを主宰しているサントシュさんは、不在ながらも

リモートであれこれ手配してくれていて

ムンバイの行き帰りの列車から何度も連絡をくれて

ここで既にコロナ時代になっても全然大丈夫という予行練習が出来た気分でした。

「で、なぜにあなたは今ムンバイ?」→「娘がインド舞踏家でその舞台を見に行くので」→「はぁ?」→「すべてはスタッフに委任してあるから安心して来てください!」→「はぁ」→「あなたに会えなくて本当に残念!」

結果的に全部、サントシュさんの言葉通りでした。

経由地点はいろは坂でも、同じところに行きつく。

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次回もメルコテ続きます。

せっかくなので観光もしてみた編です。

 

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