ピンクの儀式
この前、ムチャル、浄化の儀式を終えた後に、スタッフのDedutが「そう言えば、ちひろは何歳? バリでは12歳と17歳のバリ暦の誕生日に儀式をやる事になってるんだけど?」、って。
早速実家に聞きに行くと、「あー、本当だ!(忘れてた)」^_^;
義妹がバリ暦のカレンダーを取り出し計算するに、
「次回の吉日は11月3日だな。マンクさんのところに儀式をお願いしに行くのは、えーと、10月25日」、と。
何てこっちゃ、帰国前の忙殺されている時期に、また儀式!
しかし、ま、やるしかありません。
体力に自信がない今だと言うのにダブルブッキング。
しかも。
10月後半からは、友人の整体師がバリに来ていて、片道2時間の島の南端まで3日おきに治療に通い始め。
トリプルになりまする。
まず、10月25日。
マンクさん宅に伺い、儀式のブッキングに。
待つ事1時間半。
供物一式を作っていただく事も含め、段取りが決まる。予定通り11月3日が儀式で、その前日に一部の供物を主人の実家のさらなる実家に供える事などなどスケジュールが組まれる。
思いのほか大掛かり!
さて。
帰国もあと数日と言う11月2日。
マンクさんのところで、前儀式の為の供物を受け取りに。
素材の一部がまだ揃わないからと待ち時間。
やっと呼び出され、供物の説明を受ける。当然のこれながら私は何が何だかなので、全部を義妹が引き継いでくれる。
その足で、実家の父の家系の山奥の家へ。
初めて行った実家の実家。
もう。本当に質素で。
供物を捧げる準備を待つ間、家のお嫁さんが室内から写真を剥がして見せてくれた。
主人と私の結婚式のときの写真で、2001年と打刻されている。15年間、この家にずっと貼られていた写真。
私もアルバムのどこかに同じ写真があるはずだけど、15年多分一度も見る事もなかった。
そうしているうちに、今度は一家のアルバムを出して来てくれる。
一見質素極まりない家にストックされた写真は、力強く、写真家でもなかなか撮れないようなカットが多数。
こんな人生もあるんだ。
家族の縁は、何て深いものなんだろう。
私のこれまでの出来事なんかまだまだ軽い。
このページは、一家のお父さんの葬儀の時のもの。
参りました。
さて、実家の実家の後は、住まいにて前儀式。
家の前にたくさんのチャナンを供え、翌日に向けてお祈りです。
この後、ちょっとしたハプニングあり。
(≧∇≦)
後日機会があればまたご報告いたします(笑)。
やれ、当日。
親族と友人と8名が集まり、儀式に向かう。
今回の儀式は必要な聖水が複雑な為、マンクさんの敷地での合同型。
うちの他に10人が一緒。
バリ各地の聖地16箇所から集めた聖水でお清めするのです。これを各家庭で用意するのは、確かにかなりハードルが高い。
供物もかなり複雑。
マンクさんのお宅の家寺にひしめくこの日の供物は、その場の時空がゆらぐ位みっしり隙間なく。
さて、やれ、うちの息子の禊の番が来ました。
素焼きの器に入れられた聖水は、もう、遠慮なくアタマからジャバジャバと!
ナゼか途中から、カゴを被せられる。(笑)
その後、敷地の台所で更に禊。
台所は火の神。
毎日必ずチャナンを置きお祈りをする場所でもあります。
この後まだまだ続く儀式。
続きはまたご報告いたします!
その前に、まめしんぶんが予定アップされます。
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