常滑 続き
ネットが不安定なのでワードで書いたものを貼り付けます。
(6月15日・相変わらず写真はいりませんが一部加筆)
常滑の苗族刺繍博物館。
オープンしてすでに数年以上。
私はかなり出遅れ訪問でしたから。
もしもこれから行かれる方がいらっしゃればのお節介、以下です。
すばらしいレポートと写真がおっ師匠のブログに既にありますから今後行かれる皆さまは是非そちらを参考にされてください。(実際に、この布茶ブログのナビがないとどこからどのように見たらいいのか分からないままです。)
予習するか否かは、超重大ポイントです。または、真っ白なまま見に行って感受性のアンテナでたっぷり吸収するという手もあります。(いずれにしても何度か行かないと全部見切れないのは確かです!)
そして民族調の好き嫌いを超えて、この空間に集められている圧倒的多数多様摩訶不思議な手仕事にどのように打ちのめされるかは、皆さんそれぞれのお楽しみだと思います♪
ルーペで覗き込む、手法が半端なくたくさんある、デザインの中に意味深なものが多数ある、などなど、いっぱしの美術館の絵画を見るのとわけが違います。慣れない人は10枚くらい見て酔います(たぶん)。私は30枚くらいでギブアップでした。瑞代さんのご主人は、日ごろ何度見ても飽きないコレクションがお酒のつまだそう(なんて素敵な飲み方なんだろう)。
平日の午後のみ、予約制、4名まで。…です。
うんと暑い時期とうんと寒い時期を避けてお出かけください。以上。
・・・・・・・・・・・・・・・
で、ここから先はちょっと脱線させていただきますよ。
少数民族の手仕事、思い出しついでにバック・トゥ・ザ・フューチャー。
ひゃっ、ひゃっ、ひゃっ。
久しぶりにたくさん書いちゃいます。
(以下長くなりますのでお時間のある時に。)
・・・・・・・・・・・・・・・
デザイナーの仕事からドロップアウトしてぼけ~っと過ごしていた25歳くらいの頃、私は、北タイの山岳民族を訪ねたことがあります。
いつの頃からか中国からタイ側に移り住んできた少数民族が定住しはじめ、集落ごとに異なったデザインのお揃いの服を着ているという写真集を、近所の図書館で見つけたのがきっかけ。驚きのあまり(若さの至りで!)いてもたってもいられずに、チェンマイからチェンライの山々を訪ねたのです。
ええと、自分の年齢から逆算するに大体25年以上前のこと。(笑)
最初に出会えたのは、大人の女たちは黒っぽい生地に鮮やかな配色のクロスステッチの刺繍の上着を着て、藍染のプリーツスカートをほぼ全員履いていました。苗族のグループでした。
マウンテンバイクでしか入れないような山の中で、驚くほど手の込んだ服を皆で着ていた人々。
競いあうように、人からどう見られるかをいつも気にして服を着ていたバブル後の日本でしたから、それはそれは衝撃的でした。
あの山の人たちの、まるでそんなことはどうでもよくて、どっしり手の込んだものをごく自然に着ているあのオーラは一体何???
当時はまだそれを観光客に売ろうとする人もいなくて、カメラを向けてもポーズをとる人もなく本当に無垢な世界でした。
私は、もうすっかりハマっちゃって。
チェンマイのゲストハウスで長期滞在していた欧米系フリーカメラマンたちと情報交換しながら、運転のうまいスタッフの男の子に頼んで連れて行ってもらいましたっけ。
(なつかしや~、ネットのない時代。)
何度か訪ねるうち、山のある集落で葬儀が行われていました。
儀式が始まると、それまでの暑い暑い日差しが急に消えて真上にいつの間にか雨雲が現れていました。今にも降りそうなくらい辺りは暗くなり心配になるのもつかの間、ご遺体が葬られるとまたギラギラとした日差し。あれっと思って空を見ると、雨雲が逃げるような勢いでどこかへ行ってしまったんです。
それ以来、神さまって本当にいることも分かったし(笑)、苗族の人たちの手仕事には何かが宿っているような気もして、日本のバブル経済&ファッション業界が心底バカバカしくなって。
はい、そして今があるわけです。(笑)
今回常滑の苗族刺繍博物館の佐藤瑞代さんとお話をしていて、思ったのは
信じられないくらい多様で精緻な手仕事の数々には、まず一旦引っ張られ揺さぶられてみるれてみること。コレ大事。
その後想像を膨らませてみる。
苗族をはじめ山岳民族、少数民族の人たちには何か特別なものが宿っている。それが何なのかをロジックで追及したところでグルグルするだけなので、あの人たちは宇宙から来た、とか、宇宙的だから、と考えたほうがずっとしっくりくるという事でした。(笑)
瑞代さんが無造作に広げてくださる布たちを触って覗き込むと、よくぞはるばる日本にこんなに集まってくれましたね、って嬉しさがこみあげてきて鳥肌が立ってきた。
うん、そういう、何ていうか、何かが宿っているようなもの。
「そうなのよ~、もう宇宙人としか思えない!」、って瑞代さんも何度も言っていましたし。(笑)
その辺の感覚が共有できたことがことさら嬉しかったりして(笑)。
岩立フォークテキスタイルミュージアムの岩立さんとお話をしている時、岩立さんはときどき急にシャキッとなって別人のように滔々と話し出すことがあります(皆さまもご存知の通り!)
その時に、同じものをいつも感じるんです。
布や手仕事を時間や対価ではなく、もっと幅広い時空の中で考えるときにとてもワクワクする瞬間があって、そこに帰着するともうキラキラしたものがとめどなく溢れてくる。
まず家族の為にこしらえるという目の前の目的がある、しかし、目にする刺繍はもっとずーっと超えている。永遠不滅で圧倒的で。
抽象的な話しですみません、とにかく布と手仕事の中には時折ミラクルな窓がぱっくりと開いているかのような、ものがたりのようなお話しです。
(少々加筆します。)
それから、数ある少数民族の中でもやはり苗族の人たちは、手仕事に抜きんでているかも知れません。
Tomoko TokrimaruさんのOne Needle, One Threadという写真解説集は貴州省の苗族の人たちの刺繍と手仕事の工程を細かく図解している本ですが、こちらを見ていると、面白いことがわかります。
大体20年くらい前の人たちが細かい刺繍をしている場所がすでにタイルの床だったり、普段に来ているものが量産のブラウスやTシャツだったりしています。
それでも針と糸での仕事の細かさは当時そう衰えずにさかんに行われていたようです。ポイントは見た目を重視して手を抜くという、今では当たり前のモノづくりにはまだ一歩も近づいていないように見えること。たった20年ほど前に、まだこの素晴らしいモノづくりは残っていたのですね。
何と素晴らしい、苗の女性たち。もう一度会いに行きたい!
・・・・・・・・・・・・・・・・
話しをまた昔に戻します。
今から20年ぐらい前に貴州省にも行きました。雲南省が許可なしで入れるようになったばかりの頃のことです。
香港から列車を乗り継いで大理までの旅でした。
そう、まだ何が何だか分からない頃はひたすら旅ばかりしていましたの。(笑)
確か、「地球の歩き方」を参考に。列車の駅からバスを乗り継いで、龍の背中のように山間を棚田で埋め尽くしている少数民族の集落を目指しました。千枚の棚田とも呼ばれ3世代以上かかって開拓したという場所でした。
貴州省は、佐藤さんご夫妻が通われた「刺繍」のメッカです。
バスを降りてからもかなり歩いて、心細くなるような山道を行きたどり着いたのは、やはり苗族の村でした。斜面に建てられた見事なロングハウスは、景観を計算した今風のリゾートよりはるかに美しかった。暮らしぶりはつつましく、筆談でやり取りしながら、突然の訪問に嫌な顔ひとつしない人たちから、かまどにくべられたお鍋のスープをいただきました。決して恵まれた豊かな自然ではない奥深い山間の集落です。その中で、どしりと安心できる大きなお家が建てられ、お鍋にはスープが暖められている。その時欲を出して、家族が作りかけのおんぶ布を一枚分けてもらいましたが、今でも宝物です。
あの人たちの安定感、満たされた感じが忘れられない。
刺繍の中に全部込められている。
複雑さと創意工夫を競い合って楽しんでいるのは間違いないかと思います。
苗族の人たちの際立っている部分があるとすれば、それがごく日常だという事。
難しいことをやって競い合うばかりだと疲弊してしまうでしょ、それが全然ないって事。
難しい手仕事をどれだけ細かくどれだけユニークに、って自分自身でまず楽しんでいる(たぶん)ことが素晴らしいのです。
久しぶりに原点に立ち戻ったかのような今回でした。
ローの手仕事って手芸とはもしかして全然違うもの、暮らしの中から湧いてくるひとつながりの現象です、かね?(手芸は手芸でまた大いなる発展をしていますから。)
これからも布のなかに息づく目に見えないもの、手仕事に込められているものたちをリスペクトし大切に考えていきたいと思います。…といっても、私たちの仕事ってそれを切って縫う事ですから、なかなか勇気が要るんですよいつも。(笑)
やはり写真を入れようとすると止まってしまうようなので一旦アップしてみます。
| 固定リンク
コメント