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2016年6月16日 (木)

鞍馬寺のこと

ネットご機嫌ななめ、
スマホから駄目押し(ダメ元?)投稿してみます。

今回の帰国は、初めて子供を留守番させての事もありちょっとはしょりまして
6月7日にもうバリへ戻りました。
toko manisの2日間は、雨、もう梅雨入り?
昨年と比べいろいろ変化がありますね。
今回もたくさんの皆さまにお目にかかれて
楽しいひと時を送る事ができました。
いつもこうして仕事をしていける事にこころから感謝をしております。
皆さま、本当にありがとうございます。

さて、日本滞在中に入れそびれた京都、鞍馬寺の清々しい写真を(写真技術は相変わらずベタ、下手ですが)忘れないうちにアップさせて下さい。

このところのお寺、神社巡り。
服作りとちょっと反れているかもしれませんが、
自分の中ではナカナカ深くコミットしています。

帰国して2日目だった5月22日は、疲れも溜まる頃だからとスケジュールを入れない日だったんですが、何だかヤル気満々で(笑)、何と、お昼頃から思い立ち登ってしまいました! 鞍馬の山。
途中まで様子見に、ってつもりが、フルコースで登って下って。

いやいや、素晴らしかった!



昼から行く人も結構いました。
朝からだと叡山電車も混むし、丁度いい時間帯でした。



鞍馬山は、山腹の鞍馬寺へ登って行く途中に小さな滝や神社がいろいろありました。



たまたま、年一回のウエサク祭と言う祭りの翌日でした。
5月の満月の日に天界からたくさんのエネルギーが降り注ぐらしい。
まあ、それにしても光が素晴らしかったのです。
こちらは由岐神社と言うところの凄い急勾配に真っ直ぐ伸びる杉の木。



横からが更に美しい。




たくさんの神さまたち。



光が緑が、全て美しい。
だけどかなりのハードコース。ゆっくりしか進めない。



本殿金堂にやっと到着。
中ではお経があげられていて祈る人たちがたくさん。
心を洗い流す時間。

そこから更に上へ、
奥の院参道、木の根道。



一番奥の魔王殿と言うところ、空気がまた違う。

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ウエサク祭の翌日だったから?
こんなに素敵な山登りは久しぶりでした。
新緑のみずみずしさを全身で吸収して帰りました。



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2016年6月14日 (火)

常滑 続き

ネットが不安定なのでワードで書いたものを貼り付けます。

(6月15日・相変わらず写真はいりませんが一部加筆)

 

常滑の苗族刺繍博物館。

オープンしてすでに数年以上。

私はかなり出遅れ訪問でしたから。

もしもこれから行かれる方がいらっしゃればのお節介、以下です。

すばらしいレポートと写真がおっ師匠のブログに既にありますから今後行かれる皆さまは是非そちらを参考にされてください。(実際に、この布茶ブログのナビがないとどこからどのように見たらいいのか分からないままです。)

予習するか否かは、超重大ポイントです。または、真っ白なまま見に行って感受性のアンテナでたっぷり吸収するという手もあります。(いずれにしても何度か行かないと全部見切れないのは確かです!)

そして民族調の好き嫌いを超えて、この空間に集められている圧倒的多数多様摩訶不思議な手仕事にどのように打ちのめされるかは、皆さんそれぞれのお楽しみだと思います♪


ルーペで覗き込む、手法が半端なくたくさんある、デザインの中に意味深なものが多数ある、などなど、いっぱしの美術館の絵画を見るのとわけが違います。慣れない人は10枚くらい見て酔います(たぶん)。私は30枚くらいでギブアップでした。瑞代さんのご主人は、日ごろ何度見ても飽きないコレクションがお酒のつまだそう(なんて素敵な飲み方なんだろう)。

平日の午後のみ、予約制、4名まで。…です。

うんと暑い時期とうんと寒い時期を避けてお出かけください。以上。

・・・・・・・・・・・・・・・

 

で、ここから先はちょっと脱線させていただきますよ。

少数民族の手仕事、思い出しついでにバック・トゥ・ザ・フューチャー。

ひゃっ、ひゃっ、ひゃっ。

 

久しぶりにたくさん書いちゃいます。

(以下長くなりますのでお時間のある時に。)

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

デザイナーの仕事からドロップアウトしてぼけ~っと過ごしていた25歳くらいの頃、私は、北タイの山岳民族を訪ねたことがあります。

いつの頃からか中国からタイ側に移り住んできた少数民族が定住しはじめ、集落ごとに異なったデザインのお揃いの服を着ているという写真集を、近所の図書館で見つけたのがきっかけ。驚きのあまり(若さの至りで!)いてもたってもいられずに、チェンマイからチェンライの山々を訪ねたのです。

 

ええと、自分の年齢から逆算するに大体25年以上前のこと。(笑)

 

最初に出会えたのは、大人の女たちは黒っぽい生地に鮮やかな配色のクロスステッチの刺繍の上着を着て、藍染のプリーツスカートをほぼ全員履いていました。苗族のグループでした。

マウンテンバイクでしか入れないような山の中で、驚くほど手の込んだ服を皆で着ていた人々。

競いあうように、人からどう見られるかをいつも気にして服を着ていたバブル後の日本でしたから、それはそれは衝撃的でした。

あの山の人たちの、まるでそんなことはどうでもよくて、どっしり手の込んだものをごく自然に着ているあのオーラは一体何???

当時はまだそれを観光客に売ろうとする人もいなくて、カメラを向けてもポーズをとる人もなく本当に無垢な世界でした。

私は、もうすっかりハマっちゃって。

チェンマイのゲストハウスで長期滞在していた欧米系フリーカメラマンたちと情報交換しながら、運転のうまいスタッフの男の子に頼んで連れて行ってもらいましたっけ。

(なつかしや~、ネットのない時代。)

 

何度か訪ねるうち、山のある集落で葬儀が行われていました。

儀式が始まると、それまでの暑い暑い日差しが急に消えて真上にいつの間にか雨雲が現れていました。今にも降りそうなくらい辺りは暗くなり心配になるのもつかの間、ご遺体が葬られるとまたギラギラとした日差し。あれっと思って空を見ると、雨雲が逃げるような勢いでどこかへ行ってしまったんです。

 

それ以来、神さまって本当にいることも分かったし(笑)、苗族の人たちの手仕事には何かが宿っているような気もして、日本のバブル経済&ファッション業界が心底バカバカしくなって。

はい、そして今があるわけです。(笑)

 

今回常滑の苗族刺繍博物館の佐藤瑞代さんとお話をしていて、思ったのは

信じられないくらい多様で精緻な手仕事の数々には、まず一旦引っ張られ揺さぶられてみるれてみること。コレ大事。

その後想像を膨らませてみる。

苗族をはじめ山岳民族、少数民族の人たちには何か特別なものが宿っている。それが何なのかをロジックで追及したところでグルグルするだけなので、あの人たちは宇宙から来た、とか、宇宙的だから、と考えたほうがずっとしっくりくるという事でした。(笑)

 

瑞代さんが無造作に広げてくださる布たちを触って覗き込むと、よくぞはるばる日本にこんなに集まってくれましたね、って嬉しさがこみあげてきて鳥肌が立ってきた。

うん、そういう、何ていうか、何かが宿っているようなもの。

「そうなのよ~、もう宇宙人としか思えない!」、って瑞代さんも何度も言っていましたし。(笑)

その辺の感覚が共有できたことがことさら嬉しかったりして(笑)。

 

岩立フォークテキスタイルミュージアムの岩立さんとお話をしている時、岩立さんはときどき急にシャキッとなって別人のように滔々と話し出すことがあります(皆さまもご存知の通り!)

その時に、同じものをいつも感じるんです。

布や手仕事を時間や対価ではなく、もっと幅広い時空の中で考えるときにとてもワクワクする瞬間があって、そこに帰着するともうキラキラしたものがとめどなく溢れてくる。

まず家族の為にこしらえるという目の前の目的がある、しかし、目にする刺繍はもっとずーっと超えている。永遠不滅で圧倒的で。

抽象的な話しですみません、とにかく布と手仕事の中には時折ミラクルな窓がぱっくりと開いているかのような、ものがたりのようなお話しです。

(少々加筆します。)

それから、数ある少数民族の中でもやはり苗族の人たちは、手仕事に抜きんでているかも知れません。

Tomoko TokrimaruさんのOne Needle, One Threadという写真解説集は貴州省の苗族の人たちの刺繍と手仕事の工程を細かく図解している本ですが、こちらを見ていると、面白いことがわかります。

大体20年くらい前の人たちが細かい刺繍をしている場所がすでにタイルの床だったり、普段に来ているものが量産のブラウスやTシャツだったりしています。

それでも針と糸での仕事の細かさは当時そう衰えずにさかんに行われていたようです。ポイントは見た目を重視して手を抜くという、今では当たり前のモノづくりにはまだ一歩も近づいていないように見えること。たった20年ほど前に、まだこの素晴らしいモノづくりは残っていたのですね。

何と素晴らしい、苗の女性たち。もう一度会いに行きたい!

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

話しをまた昔に戻します。

今から20年ぐらい前に貴州省にも行きました。雲南省が許可なしで入れるようになったばかりの頃のことです。

香港から列車を乗り継いで大理までの旅でした。

そう、まだ何が何だか分からない頃はひたすら旅ばかりしていましたの。(笑)

 

確か、「地球の歩き方」を参考に。列車の駅からバスを乗り継いで、龍の背中のように山間を棚田で埋め尽くしている少数民族の集落を目指しました。千枚の棚田とも呼ばれ3世代以上かかって開拓したという場所でした。

貴州省は、佐藤さんご夫妻が通われた「刺繍」のメッカです。

バスを降りてからもかなり歩いて、心細くなるような山道を行きたどり着いたのは、やはり苗族の村でした。斜面に建てられた見事なロングハウスは、景観を計算した今風のリゾートよりはるかに美しかった。暮らしぶりはつつましく、筆談でやり取りしながら、突然の訪問に嫌な顔ひとつしない人たちから、かまどにくべられたお鍋のスープをいただきました。決して恵まれた豊かな自然ではない奥深い山間の集落です。その中で、どしりと安心できる大きなお家が建てられ、お鍋にはスープが暖められている。その時欲を出して、家族が作りかけのおんぶ布を一枚分けてもらいましたが、今でも宝物です。

あの人たちの安定感、満たされた感じが忘れられない。

刺繍の中に全部込められている。

 

複雑さと創意工夫を競い合って楽しんでいるのは間違いないかと思います。

苗族の人たちの際立っている部分があるとすれば、それがごく日常だという事。

難しいことをやって競い合うばかりだと疲弊してしまうでしょ、それが全然ないって事。

難しい手仕事をどれだけ細かくどれだけユニークに、って自分自身でまず楽しんでいる(たぶん)ことが素晴らしいのです。

 

久しぶりに原点に立ち戻ったかのような今回でした。

ローの手仕事って手芸とはもしかして全然違うもの、暮らしの中から湧いてくるひとつながりの現象です、かね?(手芸は手芸でまた大いなる発展をしていますから。)

これからも布のなかに息づく目に見えないもの、手仕事に込められているものたちをリスペクトし大切に考えていきたいと思います。…といっても、私たちの仕事ってそれを切って縫う事ですから、なかなか勇気が要るんですよいつも。(笑)

やはり写真を入れようとすると止まってしまうようなので一旦アップしてみます。

 

 

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2016年6月12日 (日)

やっと行きました、常滑!

柚木ミサトさんとのまめたび、日本じゃなかなかお見掛けしない

ちっこいジムニーに乗っけてもらって
電車とバスだけじゃなかなか回れないところを案内してもらっています。
久しぶりにソーカイ・ユカイな珍道中。
バックパック旅時代が懐かしい(笑)。
土岐市で小兵窯を見せていただいたあと
最後は、岐阜から高速に乗って2時間弱(普通の車なら1時間ちょっと?)、
伊勢志摩サミットでかまびすしかったセントレア空港方面へまっしぐら。
はい、それって、常滑です。
どうしてこれまで機会が生まれなかったのか。
「苗族刺繍博物館」、やっとお訪ねしました。
そもそも、3月に一度トライするも土日お休みにて仕切り直しだったのです。
Img_8317
服がハンガーにかけられていますが、もちろん売り物ではありません。
旧家の天井下にしつらえられた博物館です。
どれからどう見たらいいものやら、迷っていると
Img_8342
棚に積まれていた一山を、主宰者の佐藤瑞代さんが「これなんかどうかしら?」、って
窓際の小さな机にどさっと。
パッパとルーペも用意してくださる。
、というか、そういうナビでもなければこの宝庫を数時間で見るのはムリっ!
ルーペを覗き込んだ瞬間から、えらいこっちゃ、
分かったつもりでいた少数民族の刺繍の奥深さにドーンとのめり込み。これまで何も分かっていなかったことを思い知りました。
やばーい!
なんじゃ、この細かさ加減は!
Img_8319
こちらはミリ単位の物差しを置いてルーペで見ているところを撮ってみました。
ちなみに10の目盛りのところまでで1センチですのよ。
下は一見ブレードのように見える部分。
布を折ってプリーツにしたりステッチしたり。ナンちゅう細かさ!
Img_8321
ほかにも写真撮りましたが残念ながらネットエラーばかり、UP出来ませぬ。
直接見に来てください、って事ですね?
とにかく、このレベル。
ルーペ越しじゃないと理解できないくらい細かい手仕事。
しかも、みっちり埋め尽くされている。
この価値観が里山の少数民族に宿るという不思議。
技法も地域ごとに多岐に渡り
ひたすら酔いしれます。
佐藤さんによるとこうした細かい仕事は早くて6歳くらいからはじめ、せいぜい
20歳くらいまで。そこから先はここまでの細部を見るには視力が追い付かないらしい。
20年前前後に集めたこれらの刺繍、今ではほとんど作られなくなっているそうです。
その急速な変化にもう一度息をのむ。
今じゃ、里山でもスマホの時代かな、って。だとしても、この精緻な手仕事からいきなりTシャツでスマホってどうなんでしょう。
こちらは、小さな布端を四つ折りしたものを重ねて重ねて縫い付けたもの。
三角が基調なのは、四角の角を斜めに重ねているからです。
余白と言っては何ですが、フレンチナッツステッチがお魚の赤い口の先に花火のようにはじけている。この発想は深い。
Img_8344
ネットが切れ切れ、写真がなかなか思うように入りませんので端折ります。
下は、太陽系&惑星または核の構造のようなパターンの一連です。

ネンネコにおんぶ布に、こうした模様を多用しているのはほぼ魔除け。
岩立さんのミュージアムで展示中のアジアの子供服を見せていただいた折り、キュレーターの廣田さんがアフガニスタンやトルクメニスタンの子供服について、「脇を縫わないのは脇の縫い目に邪気が入るから」、という説があるとの事。
脇はフラしで肩で着るような形です。
苗族の子供服にも似たようなものが多数。ともかく、共通するのは「邪悪なものからいのちを守る」ための様々な手仕事なのです。
Img_8325
ミクロのみならずマクロも見ごたえありあり。
図案の妙技もまた別の視点からいろいろ示唆があります。
これは曼荼羅というか宇宙ですね。
佐藤さんは半ば本気で苗族の人たちは宇宙人だとおっしゃっていましたが。
地べたに普通に暮らしていて、この図案ですから。
Img_8337
ネットの調子が回復したら写真を入れなおし再投稿します。

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2016年6月 9日 (木)

岐阜へ 5



この菊花模様の器は、ぎやまん陶というシリーズで、ディオール社も取り扱っているそう。ガラスのような漆のような光沢のある独特の釉薬を使っているそうです。

再び土岐市に移動して小兵窯という量産の陶磁器の窯元を柚木ミサトさんに案内して貰っております。
神社の御神酒などに使われる磁器から始まり、先代は徳利。三代目の現主人はまたも違うタイプのものづくり。日本の量産焼き物で多分いちばん忙しい窯元さんです。



工場はとてもきれいに整備されライン式に。
成形は下請け別会社から上がって来る。
先ずは素焼き。
巨大なオーブンが開き、扇風機で熱を払っている。






量産と言っても釉薬を塗るのは一つずつの手作業。
この作業と焼成はどれだけ効率化しても数に限りがあり、注文品は現在2カ月待ちなんだそうです。

流行でも景気のいい時代でもなくとも、日本の産地の中にはこんな忙しいところも中にはあるんですね。
小兵窯さんは問屋さんだけに頼らず、ユーザーである日本全国の主婦からの意見や提案をもとに、ぎやまん陶以外にもいくつかのシリーズを展開しているそうですが
どれも今のキッチンとダイニングに合いそうな手頃なもの。

ショールームは昔からの建物で歴史を感じます。



焼成は24時間フル稼動。
窯に入れ込み焼きあがると1割ほど縮むそう。

焼き物の世界の量産は、服作りと同じく手作業がいっぱいの世界。着る事も食べる事も、基本は手仕事であると分かりました。

経済効果ばかりを追っかけて100均が増え、いつの間にか物価も安いまま推移した日本。
物価の面ではインドネシアももうじき追いつくかも知れない域ですが、こうした独自の製造業がある限り世界の中ではまだずっとパワフルな存在だと思います。

頑張っていきましょう〜。

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2016年6月 6日 (月)

岐阜へ 4

スマホからの投稿、細切れで恐縮です。

多治見のビジネスホテルに泊まり、翌日はまた土岐市方面に。
前日とは打って変わって素晴らしいお天気。



まずは前日傘を忘れたももぐさに立ち寄り。
途中に修道院があるというので、
寄ってみました。


カテドラルは風格のある建築。



中は撮影禁止との事だったけど、ウッカリ撮ってしまいました。
何とパイプオルガンが。



敷地内は独特の空気に包まれている。
修道院という波長、静かで優しい風。



研修センターは泊まる事も出来るらしく。
ロッジ式の建物がブドウ畑を背景に建っています。
修道院の地下にはワイン醸造所があるそうです。
売店に売っているとの噂でしたが、ありませんでした。



裏手には日本庭園があり、洞窟のマリア像もありました。
最近、イサヤ(イエスキリスト)は実は生き延びて日本に来ていたという説が浮上していて、ユダヤと日本の繋がりが調査されていますが、それは一体どういう事なんだろうと想像が膨らみます。


この木だったら、いろいろな事知っているでしょうか?
神社だったらご神木にされそうな立派な木。

岐阜の旅、まだ続きます。

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2016年6月 5日 (日)

岐阜へ 3

2軒目は「.やぶれがさ」。



カウンター席にビッシリ並ぶおばんざいと食材。
目の前には織部の大鉢がドーン。
器の世界では、このお店のコレクションはまた凄いんだって。沢山あるから、目が泳いじゃって。
(酔っ払っているしw)



こちらの料理も美味しいのだけど、
もう飲み物しか入らない(笑)。





コアな地元の大人たちが集まっている。
知らない同士が繋がっていく、
サロンのような居酒屋さんでした。


友人、柚木ミサトが案内してくれています。

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岐阜へ 2

土岐市の心温まる工房を見た後、隣町の
多治見の駅前へ移動。
美濃焼の器を集め使っている料理屋さんに案内して貰いました。
浪花というお店。



友人曰く30年振りに来た、って。
代替わりして今の大将は息子さん。



確かに器の使い方にこだわりを感じます。


今の流行りとは違いますが、
日本の美のひとつ。
色で料理を引き立てる。
割烹の世界の美しさか久しぶりにグッと迫ってきてワクワク。



地元の肉屋さん特製のローストビーフ。
おいしいものしか出てきません。



カウンターにはおばんざいが並ぶらしい、
但しこの日は休業日ながらたまたま予約者にて開店との事でおばんざいは無し。



箸置きで埋め尽くし。
サスガ、焼き物の町。



これ、鳴徳利。
お酒を注ぐと上にとまっているハトがピューと鳴く。
ついでにお猪口も同じ原理、飲むとオカリナのようにピューと鳴く。ハトじゃなくてウグイスだという説あり。

ネットで拾った動画です。
https://m.youtube.com/watch?v=Rvc41Wq30fg

焼き物のメッカだけありますな。

こちらを出た後に
もう一軒多治見の名所を案内して貰いました。

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2016年6月 3日 (金)

岐阜へ

作品展が終わった翌日、
名古屋で新幹線を降りて岐阜の友人を訪ねながら
一緒にまめたび。


まずは、こちら。



ももぐさ。



カフェのこの子は、前川さんの?
ずっと前にCOMOさんで見たような。

その後、
土岐市の友人のおうちへ。



友人の仕事場と寝床は、自宅の外。
野営です。アジトです。
この場所で既に6カ月あまり暮らしている。
仕事はイラストレーター。
パソコンひとつでどこでもお仕事ができるタイプ。



友人のおうちは陶磁器の絵付けをしている。
土岐市と多治見市は全国の陶磁器の大半を生産しているそうです。
お父さんの仕事場に入らせて貰いました。



以前は京都の料理屋からのみやびなタイプの注文が多かったそう。
絵柄はお父さんが考える。お任せなんです。



スケッチが残されていました。
もっといいのがたくさんあったのに、捨ててしまったらしい、と友人が残念がる。



町の大半の人が器を作っている町。
仕事場に漂う深いもの。


布も服も器も。
作っている場所の持つ気配は同じです。


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