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2016年3月 6日 (日)

プナタラン・サシ寺院の妖精たち

次から次へと行事が重なる日々です。

バリヒンドゥの神様4原色の「傘」。

プナタラン・サシ寺院の一番奥に、ひと際高~~~い位置で。

なぜ傘なのかについては今のところ私には分かりませんけれども、

とにかく神様のお出ましの際には「傘」のようなんです。

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先日は行事のタイミングを逃しましたが、

お祭りが始まって4日目。そろそろクライマックス。

この日は比較的時間通りの行事を見ることが出来ました。

白いレースのクバヤと黒いサロンの妖精たち。

沖縄のおばあたちのような?

お寺の中を何度も回りながらゆる~く踊りがはじまりました。

モノトーンの皆さん、真剣な顔。

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10周も回って、まだも続く。


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そのうち境内の一角でワヤンクリも始まる。
お寺の前ではバリ流のお笑い芝居も始まっている。
ワヤンクリは夜にはスクリーン越しの影絵芝居なのだけど、
昼間だとスクリーンなし。
バナナの幹の丸太を舞台に、ラーマヤーナの神たちが次々と出てくる。
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ワヤンクリ舞台の後ろには、かなり古い様式と思われるガムラン(演奏隊)が。
奏者たちは若手ばかり。なかなかに楽しそうに奏でている。
役目だから仕方ない、なんて思っている気配は境内にごった返す大勢の人たちの中に微塵もない。
神様のためにたくさんの時間とお金をかけてお祭りをすることに、
皆さんむしろ、幸せそう。
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境内中央の「神様は今まさにここに来ている」と思われる場所(神様たちはたくさんの芸能を堪能しているに違いない・笑)には、
ロンタルにいろいろな切り込みを入れた細工のお供え。

こうした一連の細工。50年に1度のお祭りに際して、どうやって記憶されているのかが一番興味深いのだけど、たぶん、きっと、誰かしらがメモを残していますよね?としか、思えないのですが、しかしバリはガムランに楽譜がないように、お供え物にもきっとマニュアルはないんです。マントラはヤシの葉に書く習慣があるようですけれども。
……本当に不思議です。

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この米粉の細工なんかは、
柔らかいうちに円柱型のカーブに合わせて取り付けていると思う。
今の時代にもこれほどの手作業で神様をお迎えしているという、すばらしさ。
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さて、妖精たちの踊りはまだまだ続いている。

重たい荷物やお供え物をあたまに乗せる習慣があるだけに、女の人たちはみな
背中がまっすぐ。美しい。

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やがて、素材だけの(色彩のない)供物を持った一隊が列に加わる。
全員白です。男性が乗せているのは、豚の頭!
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白いクバヤが映えます。
境内中央ではマンク(司祭)さんたちの祈祷が始まりました。
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ここで一旦お祈りのための静寂。
沢山の人がお寺の外側で待っている。
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中もこの通りぎゅう詰めです。
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マンクさんに合わせて何百人もの人たちがお祈りをします。

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長い長いお祈りが済むと、もう終わったのかなお祭り?
たまたま居合わせたバリのお祭りに詳しいCHIEちゃんが、
「この後ぺんぺんするやつがあるはずだからもう少しいれば?」、って。

しかし、妖精たちの踊りだけで1時間、お祈りで1時間。すでに2時間経過です。
ちょっと飲み物でも買いに行くか~、って外へ出ようと思ったら
始まりました!

若い衆の「花いちもんめ」!笑!
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手をつなぎ境内をぐるぐる。皆、手が切れないように必死で走ります。
何度か回ると、今度は女性部が再登場。
その最後尾にいた黄色いクバヤのお母さんが、若い衆に包み込まれていく~~~。
踊りはいつも間に手のひらをヒラヒラさせるものになって、これは楽しそう!
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涼しい顔してたお母さん。若い衆がちょっと本気で近寄ってくると、だんだん、苦笑い。
それにしても、この踊りが
お母さんと若い衆によるところが、何ともいい感じ。
青年の部はエネルギー発散にちょうどよさそう(エネルギーほとばしっていました・笑)。

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さぁ、踊りがいったん終わりました。
境内で女性部がお祈りしている。
その上を徘徊する、リモコン空撮(笑)。
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お祈りの後は、ロンタルの葉を持ってフリーダンス。

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お次は青年部。
やや?? だんだん雲行きが怪しくなってきました。
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お祈りが済むと、やんちゃな青年部は
思いっきり暴れます。
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CHIEちゃんが言うぺんぺんはこれだね(笑)。
私が居た場所は報道陣の生垣じゃなくて人垣。皆さん、前へ前へとにじり寄るも
ぺんぺんされてまた引き下がる(笑)。
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最後まで雨は降りませんでしたが、終わって間もなくザーザー雨が来ました。
実はお祭りの時間は雨に当たらないように微妙に調整されているらしい。あるいは、雨の方がお祭りの時には降っちゃいけない、と、調整しているらしい(笑)。
とにかく、最中には降らないのが普通なんだそうです。
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いやいや、本当に素晴らしかった。
練習を重ねて難しい演技をして、豪華に着飾る芸能の踊りばかりを見てきていたので、
こんな風に上手い下手問わず皆白を着て、ナチュラルにお寺のまわりを楽しそうに踊るというピュアさ加減にすっかり引き込まれました。

50年に一度のお祭りのクライマックスは、自然素材と白い衣装だけの世界でした。

日本の神社や沖縄、朝鮮半島のアニミズム系の儀式も、こんな風に素材を染めずに使うものが中心という印象があるけれど(そうじゃないものもあるけれど)、

前回の本ブログのように、
バリのお祭りといえば、とにかくてんこ盛りの色彩と装飾ですから!

そのクライマックスが「素」で「無」ですから! 
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最後の写真は、
すべてのお祭りが終了し、すべての神様がお帰りになる日。
(つまり全部で3回行きました。)
また行列が見れるかと行ってみたのですが、この日は予定よりも早く終わってしまったらしく。
境内の一角には、すべてのお供え物を埋めるための大きな穴が掘られていました。
そして、最初は気が付かなかったけれど、こんな石像もここには埋まっていたんですね。
これはインドの古い時代のブッダ石像にも似ているように見える(顔の表情がやわらかい)、銅鼓よりは新しい時代のもの?
銅鼓が紀元前300年として、この石像はいつ頃のものなのか。
ペジェンの一連の遺跡は紀元8~14世紀にこの土地に栄えた王朝のもの、と地球の歩き方に書いてある。


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ジョグジャカルタのボロブドゥール遺跡は、
紀元8~9世紀に建てられた大乗仏教の寺。
それが密林の中から発見されたのは
あのラッフルズ(当時のジャワ総督)たちの調査から、だという。
ペジェンに残る古い仏教遺跡も土の中から出てくる。
誰もそこに埋まっていることなど記憶していない。
……となると、ジャワもバリも、仏教時代の遺跡は、
イスラム勢力がやってきて壊される前に皆埋められたという説が、
何となく妥当な気がしてきます。
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きょうもまた長くなりました。
お読みいただきありがとうございます♪

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