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2016年2月24日 (水)

プナタラン・サシのお祭り

このところ近所の歴史めぐりに没頭しています。

折しも、ペジェン中心地にある最大級のお寺プナタラン・サシ寺院は

今週から大きな祭事が始まりました。

何でも50年に1回のお祭りだとか。

人生の中で一度きり(運良くて2度あるかないか)という感じのサイクルです。

祭事が始まったのはバリの送り盆クニンガンの日。

クニンガン明けの2月22日に中でも最も重要な祭事があるというのでゴー。

最大級のお寺の最大のお祭りの最も重要な祭事!!

きょうも、ロ~~~~~ングで行きまっせ。

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あれ?

人や車でギシギシかと思いきや、お寺の前は空いている。

予定よりも数時間早く始まり、もう終わっちゃったらしい……

まぁ、とにかく様子を見せていただきます。

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ペンジョール(お祭りの時の竿飾り)も特別手が込んでいますね。

ヤシの白い葉の部分を使っていろいろな編み細工が施されている。

日本の七夕飾りに似ているけれど、素材の色だけのたわわにつり下がっている飾りは、とっても立派です。

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さて、入りますよ。
人はもう、まばら。
このところ毎日午後はザーザー降っていた雨もこの日は降りませぬ。


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広い境内は黄色と白の布で建物のあちこちが包まれている。
この黄色だけでつくられたメルー(五重塔のような祠)のミニチュアは、黄色い布をタックして屋根と壁は米粉をターメリックか何か黄色いもので飾り模様をつけています。
境内の一番奥の方にあったもの。


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メルーとは、ちなみにこんな建造物。↓
密教のディメンジョンを感じるような、天へ天へと高くそびえる祠です。
このメルーは寺院の入り口左側にありました。
ちなみに、イジュッという棕櫚の樹皮についているヒゲ(とっても硬い!)を束ねて屋根にしています。

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遺跡がたくさん出土するペジェンでは、紀元前の建造物らしき断片もいっぱい出てくる。
張り紙で「星の女王」と書かれているのだけど、このお寺の伝説に関係があるのかも。
パッと見はごろごろした石なのだけども。
その石たちも、最大級のお祭りとあって、黄色と白の衣装を着せられていました。
何だか、嬉しそう♪
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プナタラン・サシには紀元前3世紀のものと推定されている銅鼓があって、古代東南アジアの青銅器文化(ドンソン文化)のものと考えられてるそうです。
この銅鼓はおそらくその頃に持ち込まれ、そのまま何かの理由で地中に埋まってしまったのだと思われますが、
「ペジェンの月」という伝説があって、月から落っこちてきたもの、と、人々の間では信じられているらしい。
上の石ころも、もしかしたらその時代に星から落っこちて来たもの???
月と星は月日が経って土の中から発見され、このプナタラン・サシ寺院に奉納された、との事。
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境内の一番奥はひと際高い建造物があり、その足元にこれまた屋根がたくさん連なるメルーのミニチュアが。

神様は空高いところにいて、屋根をたくさん重ねれば存在に気が付いてくれるのかもしれない。……、という事なんでしょうか。

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境内に無数に立ち並ぶ供物も「上へ上へ」と背高のっぽ。

普段のお祭りでも
ガボガンと呼ばれる果物をいっぱい乗せた背の高い供え物を、女の人たちが頭の上に乗せてお寺詣でをしますが、
この形がガボガンの原型なのかもしれない。
お花がちりばめられた一番上に扇のような装飾が乗っていますが
私にはこれが神様の電波をキャッチするためのアンテナのように見えてしまって。
お花の下には米粉でつくったクッキーみたいなものが周囲をびっしり埋めているし(笑)。
神様が電波をキャッチしたら、そのままおやつに行きつく、ってわけ
(スミマセン、これ妄想ですから・笑)。
ヒンドゥだからカイラス山のイメージ、影響もありますよね。

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このトウモロコシみたいなのは、ひと際“電波塔”に見えるわけで(笑)。
とにかくこうして全体的に空に向かっているものばかりなのです。


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トーテムポールも同じような発想だったのでしょうか。
FBのお友達によれば、これとよく似た装飾を台湾で見たことがあるそうです。
日本でだったら何に当たるでしょうか?
上へ…、ということだと鯉のぼりだけど~。

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境内にはメインの行事の後にもお参りをする人が、後から、後から。
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女の人たちは主に白か黄色のレースのクバヤを着ています。

お寺の建造物や石に着せられたのと同じ色。

お祈りのための白いレースがまぶしい。
聖水でお清めをする人たちのたたずまいは、まさに聖域。

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黄色のクバヤの女性たちも。
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お揃いの3人組はお役目のある方々。

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お供え物に戻ります。

これ、ご存知ですか?
バリの獅子舞こと「バロン」です。
本殿の両側に置かれた天然素材のバロン。
顔は米粉、たてがみには籾わらが使われ
ラジャスターン州のミラーワークみたいに装飾部分には光るものが使われています。
このようなデザインをして実際に作る人の制作現場を一度見てみたい。
バリの場合、ひとつひとつの供物や装飾には教科書のようなものがないし、
お寺の供物の場合は終わったら焼却してしまうのでお手本も残らない。
一体どうやって50年に1回の行事の記憶を残していくのでしょう?
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“豚の脂身”のもありました。
白っぽいものが切り抜かれた部分は脂身だと思われます。
装飾は繊細だけど、どことなくブラックな感じ。
神様のタイプが異なるのでしょうか。
それにしてもこのお寺のミニチュアのような供物はひとつとして同じものがないのに
いつ見ても驚きとため息で。

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カラフルなタイプはシンコ細工のような米粉細工。
迫りくる装飾と色彩!

これが食べられなくてただ献上されているという食べ物なのだから
恐れ入ります。
本気です。(いや、無垢です。)

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果物をちりばめたウエディングケーキのようなのもありました。
共通の色彩とモティーフの中に、つくる人のセンスや工夫があちこちに輝いて。


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色彩でびっしりと埋められたインパクトある作品。
グリーンが鮮やか。

あぁ、この供物たちをインドからの観光客の人たちに是非見てもらいたい。
同じヒンドゥながら、どんなふうに感想を持つのでしょう。

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祠の中の黒っぽいのが「ペジェンの月」の銅鼓です。
大層大きなもの。
ベトナム辺りの青銅器文化から担がれてきたものなのか、
伝説のように空から落ちてきた「月」なのか。

ラマクという織物(巻物)のような長い装飾は、
天と地を結ぶ階段なんだと今になって気づきます。

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この先1か月間、毎夜のように繰り広げられるガムランとバロンとその他芸能。
バロンとランダのお面が鎮座する祠にもたくさんの供物が。

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供物のデパートのような西側の壁面。
びっしり積み重ねられた供物に圧倒されます。黄色と白がタマゴのようでいて、違いますね。これは神聖な色の組み合わせ。
オームの昔から、たぶんこの組み合わせ。

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いつもお世話になっているペジェン王室のチョックさん。
藍染バティック工房の主宰者です。
チョックさんの工房が染め献上したという手描きバティックが境内の手前、ワンティラン(集会所のロングハウス)の柱に巻かれていました。
いつもは服にしている布なので、感慨深い。

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境内にはまたさらに入り口の割れ門があるお寺がいくつか隣り合わせ。
その全部がお祝い中。

こちらは分家?
さまざまな供物の複雑さとパワーに見とれてしまう。


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天へ、天へ!
空高く傘を広げ伸ばしているのは、
通りを隔てて寺院の真正面にある夜市の為の広場。
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白い衣装を着せられた祠の手前には、
生贄の豚さんの顔と脂身の。

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切り込み、編む。この装飾のテオリーがバリ。

神様の為にこれをつくる時間と労力は、まさに祈り。

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白い祠が寺院の正面、北向きなら、こちらはその対岸の南側。
黄色い祠。装飾はなくただ色で包囲。

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お寺を正面に見て右側、西に当たる位置には黒い祠。そしてその対岸の東向きには赤。

神様たちはこの色のサインを見て、「お、あそこの寺に呼ばれてるから行かなくちゃ!」、と、いそいそ天から舞い下りて来るに違いない。

神様にちゃんと気づいてもらえるように

高~く、空に向かってそびえている。

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プナタラン・サシ寺院では、今週また大きな行事があるというので
追っかけまた見に行ってきます!

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遠くで雷鳴がとどろく夕方、お寺の周辺ではこの日雨は降りませんでした。

雨雲の隙間から青空が見えておりました。

 

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2016年2月16日 (火)

ペジェンの歴史巡り 2

続きがすっかり遅くなりました。

バリはすでにガルンガン(迎え盆)を過ぎて、今週末のクニンガン(お見送り)までしばし平素に戻っているところ。

1月の遺跡めぐりの続き投稿、雨続きのwifiの不具合やらいろいろあって、ついにバレンタインデーも過ぎてしまったじゃないですかー、と、ひとりごち。

昨晩一旦投稿をしたのですが、あれこれはしょって書いているうちに

かえって分かりにくくなったようなので、改めて加筆しました。

それで、余計に長くなったのです。(笑)

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先日の「サムアンティガ寺院」の次にワヤンさんに案内してもらったのは、

こちらのプリセンジャガット寺院ほか2物件です。

冒頭のプリセンジャカッド寺院は

バティックと藍染でお世話になっているペジェンの王室、チョックさんの敷地の隣にあって

以前から何のお寺だろうと思っていたものです。

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プリセンジャカッド寺院

入り口にはちょっと立派なスタジアムのようなものがあって、聞けば、闘鶏場なんだそうです。

何年か前に闘鶏そのものが禁止された頃がありましたが、その頃に「公式」で闘鶏が行える場所として遠方からもたくさんの人が集まったらしい。……、と記憶には刻まれていながら、写真撮ってなかった!

雨の多い季節、

草ぼうぼうの敷地前。

ご一緒の皆さま、熱心にワヤンさんの解説を聞いています。

ここはペジェンの中でも最も古いたぐいの(ということはバリの中でもかなり古い)石像が見つかった場所らしい。

その後11~13世紀ごろお寺として建立されて、出土した石像をおまつりするようになった、とのこと。

お寺はバリ・ヒンドゥの様式ながら中にはいろいろなものが。

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門を入ると、

草を刈ったばかりでした(笑)。

ゴルフ場のようにすがすがしい芝生。

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ちょいと目を引くのがこれ。

一番下は大地の亀。
ストゥーパのようでいて、どのくらい前の何のものなのか。
境内の北東向きに斜めに建てられ
ている。
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このお寺には
数々の不思議な言い伝えがあるそうです。
サムアンティガ寺院にあった石像は何となくミステリアスでもありましたが
こちらにはもっとたくさんいろいろな石像が残されていて
当時は一体どんな人たちがどんな風に信仰をしていたのか、想像が膨らみます。
比較的小さな石像は、無造作に祠の軒下に並べられている。
持っていかれたりするってことはないのだろうか、
いやいや、誰もそんなことする人がいないから無造作なんでしょう、きっと(笑)。
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でも、これなどは風化されるがままって感じなんですが。
いいんでしょうか?
もはや石ころにしか見えないけれど。
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プリセンジャカット寺院の界隈は
広々と田んぼがあるのみ。
ワヤンさんによれば、売ったり建てたりできない保留区のようになっている。
(あぁ、その土の中にはもっとたくさんの歴史が眠っているに違いない!!)


界隈には、紀元3世紀ごろのもの(11世紀という説もあるのけれど…)と言われている銅鼓(あるいは銅鑼なのかも、資料により異なる)が奉られているお寺もあり
これは、ベトナム辺りが発祥のドンソン文化(紀元前~紀元1世紀ごろに栄えた初期の青銅器文化)の影響ではないかと言う人がいます。
ヒンドゥも仏教もまだの時代に、マレーを経てジャワを経て、バリまで伝わった文化が?

土の中から出てきたものをバリの宗教が取り上げておまつりしているのは、神話が今の神社に結びついている日本の史跡と同じように、何かしらの必然を感じます。

ちなみに銅鼓(銅鑼?)はバリよりもさらに東の島々でも見つかっているそうです。
さて、

このまあるい物(コラム・マヤと言う)の中は、目では見えないけれども祭事の時には水で満たされて、その水は海までつながってペニダ島まで至るのだとか。
ペニダ島はバリの東にある小さな島で、あの世の場所というか、
「向こう側」の見えない領域の例えとして考えられているのですが
その信仰がこの古いお寺に廃れず残っている。
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実は数十年に一回と言われるこのお寺の大きな祭事が今月(2016年2月)にあるのですって。
境内はすでにその準備が着々と進められていました。
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お祭りの日にもう一度行って、またご報告が出来ればと思います。

うちから歩いて行けるくらい近い場所は、

深い深い歴史のスポットでした、そのことだけは今回にて納得。

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お次は、更なる秘境です。

こんな狭い道の両側は田んぼだけ。
遺跡周辺のペジェンの景色。
私たちの場所はすでに両隣ギシギシに建物が建っているけれど、
こんな場所の両側が手つかずであることに。
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きっとずっとこのままでありますように。
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ゴア・ガルバ
次なる物件(秘境)は、「神様の足跡」。
ゴア・ガルバ。
こちらは、巨人伝説とつながりがある。
昔むかし。クボ・イワというとても大きな肢体の、いわゆる巨人がここに暮らしていたという。
(クボ・イワについては、詳しい人から近いうちに話が聞けるかもしれないのでまた改めます。)

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渓谷に沿う斜面の一部に遺跡がある。
何ともプリミティブな。
岩の斜面にレリーフのように彫り込まれた祠のようなもの。
屋根の部分に何やら梵字のような象徴の模様が彫り込まれているけれど。
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遺跡に降りるための危なっかしい石の階段。
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登ってみると、かな~~りきわどい。
石の階段はどれも浸食がすすみまぁるくなって、ガタガタ。
門をくぐってさらに上ると、白い柵に囲われた石段がひとつ。
これが「神様の足跡」なんだそう。
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石段は、左右に補強されて。
そうね、このままだったら崩れ落ちるだけ。
一体どのくらい昔の石段でしょう。
クボ・イワの時代って一体どんなだったんだろう。
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この界隈には、近々、日本の星のやリゾートがオープンするそうです。
世界遺産にも登録されている地域ということで
ゴア・ガルバの手前には、その資金によって整備されたらしい(?)立派なお寺がありました。
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ゴア・ガルバ。
日本の史跡だったら、きっともっと詳しい解説が広められ、関心とともにたくさんの人が訪れそう。
でもここは、何日も誰も来ていないかのようなサンクチュアリ。
濃密な空気に一人飛び込んで、神さま伝説とのコンタクト。
ちょっとした隙間の偶然のような時間。
いやいや。

これも必然。

世の中、すべて必然ですから。
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ゴア・ガジャ
長くなりましたが、
こちらは昨年も一度ご紹介をした、ゴアガジャです。
今回初めて気が付いたのですが、パーキングエリアから寺院のある窪地へ降りる手前にあるこの木。
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瞑想の洞窟の真上に生えているのでした。
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そして瞑想の洞窟には、なんだかんだ言って今回初めて入りました。

リンガが祀られている場所は、思っていたよりずっと落ち着く空気。

インドではシヴァ神のエネルギーの象徴とのことだけど、
洞穴の中の、暗闇の中に、黒く光っているリンガは、
祈りの塊のようで。


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祈り。
ひたすら、祈り。
今の時代の目に見える大きな事変と目に見えないたくさんの小さなストレスに。
不変でパワフルで、絶対にぶれないシンボルは
これかな?
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うん。
長くなりましたので、この辺で。

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2016年2月 5日 (金)

ペジェンの歴史巡り 1

バリスタジオがあり私が暮らしているペジェンという地域は

バリの神話と深いつながりがあります。

この場所に定住してからかれこれ10年弱。

直感で決めた借地はプタヌ川という清らかな渓流に面していて傾斜地です。

ここを整地することから始めメインの建物を建てて、何だかんだと住み始められるまでに1年あまり。

その後はこの川の音を聞きながら過ごしてきた10年弱ともいえるでしょう。

 

最近やっと少し余裕が出来て

この土地、ペジェンについて視野を広げ始めています。

 

ペジェンには「発掘された」遺跡が多く、その中には仏教の系統のものも多々あることが最近分かってきました。

あれ?

バリはアニミズムとヒンドゥのミックスだとばかり思っていました。

いつ頃どんなふうに仏教???

というわけで、そこに疑問を感じてしまった以上自分で動いて調べないと気が済まないんです。

あー、はじまっちゃいましたー!

なぜならば、日本のように歴史的物件や神話が整理されていない。

なかなかあっちの話しとこっちの話しが照合しない。

自分で動いて聞きまわる方がずっと早いのです。

 

1月最後の日曜日。

京都から来ているヨコベ夫妻を引っ張り込んで

遺跡巡りのツアーに出かけました。

、と言っても、本当に。その気になれば徒歩でも行ける場所ばかり。

 ペジェン文化に詳しいアパ情報センターのワヤンさんにガイドしてもらう。

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まずはワヤンさんのレコメンドでサムアン・ティガ寺院へ。

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おお!

ここは確か20年くらい前に取材で来たことがあったかもしれない。

それにしても立派なお寺。

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11世紀、バリの中でずっと途絶えなかった宗教観の争いを調停するため

この場所で当時の仏教の高僧とバリのアニミズム系の代表者とがはじめて顔を合わせたそうです。

チャンディ・ブンタル(割れ門)から先は聖域。
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そしてバリ信仰の源流はどうもこの辺りにあることが垣間見える。

門の左手にある大きな木。

この木の下に祀られているのは豚、象などの偶像。

すごく大きなパワーがあるな、と思っていたら!
撮った写真にスペクタクルが映り込んでいました。

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ウェルカム、ってことなんでしょうか?

この木の下に立つと勢い大きな風が吹いて、たくさんの木の葉が落ちてきました。

そうして間もなく稲妻と雷雲が近づいてくる。
境内中央にもすばらしい木が。

こちらの木の向こう側には川と泉があり、奥の院というか更なる聖域のような場所でした。
それにしても見事な木!

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この木の傍らで子供の時から過ごしているという寺の守り主が言うに、
この木は昔からこのくらい大きかったらしい。
彼が60歳だとして、子供のころから今に至るまで「大きさ」に異変がないのは
この木がどれだけ昔から歴史を見おろしているか、ってことに至ります。

吸い込まれそうになる生命体。


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その傍らには、何やらお願い事がいっぱいです(笑)。
左は田んぼ&山の象徴。
真ん中はお金。
右は海。

右と左でカジ取りしながら、真ん中はお金~。
そうか、バリがインドネシアの中で別格に土地バブルなのはこのお寺のせいか~(笑)。
それにしても、仏教ゆえのお寺なのに目に入るものはバリヒンドゥそのもの。
1000年あまりの時間が経ていますからね。
バリの歴史を紐解くと、
ヒンドゥが渡来して開祖したのが8世紀。
その後11世紀に王族が競い合うかのようにして建立してきたヘリテージ。
このサムアンティガ寺院も11世紀のものなので、
どうやらそのころにバリで主だった信仰の基軸が出来上がった模様。
その中には仏教のマイノリティもまばらながらお手伝いをしている、という感じなのでしょうか?
ペジェン地域に残る神話と遺跡、また続きます~~~。

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