プラナカンのまめたび 5
こちらの投稿、昨日は資料不足で中途半端でしたので
書き直して再投稿です。
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プラナカンが何なのか、どういう人たちによるどういう歴史なのかがはっきりわかったのは、ババ・ニョニャミュージアムでした。
こちらのガイド付き見学がとっても面白かった!!
ガイドさんと別に自由に見ることもできるようですが、ユーモアたっぷりのおしゃべりで
暑さの中、たくさんの人たちと飽きることもなくたっぷり1時間の見学をしました。
ホームサイトの解説によると、
この三つのテラスハウスからなる博物館はチャン氏により 1861 年に建築された邸宅です。
16 世紀には、貿易を求め、中国やインド、アラビアの商人は海峡植民地(シンガポール、マラッカ、ペナン)にやってきました。
彼らの中で現地人と結婚した者とその子孫は 「Peranakan」 (プラナカン)、 或は 「Straits-born」 (海峡で生まれた人)と呼ばれています。中には、インド系プラナカンとジャウィ系 プラナカンもあります。
この街にある家は深さ 149 メートルで、広さ17メートルなっています。
土地はオランダ植民地時代に規定された土地です。
左右の壁には窓が付いていません。風通しと光は中庭にある四つの主なエアウェルから入ってきます。それに雨は 中庭に降り家を涼しくします。雨は 「好運」 と 「幸福」 (Ong オン) を招き、また水は 「富」 の象徴と言われています。
http://babanyonyamuseum.com/wp-content/uploads/Japanese.pdf
貼り付けちゃっていいのかな?
貼れちゃったので入れちゃいますよ?
何と150メートルもの奥行があるのです。町屋の2~3倍?
その間に開口部が2か所あり、間口は狭くとも中は自然光がたっぷり差し込むつくり。
このミュージアムのコレクションはどれも一家が大切にしてきたものを、子孫が守り抜いて来たたまものだと思います。
150年間というと何世代でしょうか?
ほんとうに素晴らしい遺産です。
ちなみにこのミュージアムがある界隈はユネスコの世界遺産にも登録されているそうです。
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見学を終えて、ふと思いました。
マラッカをはじめ、プラナカンの華やかな文化の資産のもとになったのは、たぶんゴム園。
シンガポールからバスで来るときに行けども行けども続いていたパーム椰子は、
昔は全部ゴムだったんじゃないかしら?
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さて、
旅の写真では具体的にご紹介が出来なかったので
ミュージアムで売られていたこの本を買ってきてみました。
表紙はバティック!
このバティックは、おそらくインドネシアのパカロンガンかパレンバンのもの。
プラナカン文化は、
贅沢なヨーロッパ風コロニアルを取り入れ、装飾には華僑風の精緻なデザインがあしらわれ、色彩はとかくカラフル(これはマレー風なのか華僑風なのか??)。
建築、インテリア、食器。身に着けるもの、使うもの、飾るもの。
当時手に入る思い切りの贅沢が、ここにぎゅうぅぅっと凝縮しているような感じです。
そしてニョニャと呼ばれる奥様や娘さんたちがまとっていたのがクバヤとサロンだったのです。
そのサロンはインドネシアのもの。
私はこれまでその下半身ともいうべきサロンの方ばかりを見てきたから、上半身のクバヤについてとても興味があったのです。
クバヤについてはインドネシアではどうも源流を感じません。
「産地」とか「タイプ」があまり明確じゃないせいからかも。
やっぱりクバヤというとプラナカンのような気がしていました。
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いきなりベタな写真になっちゃいますが(笑)
、という訳で、わけで今回のマラッカ、ホントのお目当てはこのクバヤでした。
さすがにた~くさんのお店があり、お仕立て用の半加工のものからざっくり仕立てて後から修正できるものもいろいろ。
廉価なものはスマトラ島でつくられているという話もありますが、デザイン&センスはやはりマラッカ、シンガポールのような気がします。
(同行人の息子をカフェに置いて、買いまくったのがこちらです。)
お値段も結構するので、短時間で買えたのはたった5枚。
(今週からバリショップに並べています。)
中国刺繍のアレンジ? レースのようなカットワークも入るクバヤの装飾。
カラフルな薄手のコットン地にカラフルな刺しゅうがお決まりのようです。
下の写真は博物館の展示ですが、こんな風に、刺しゅうの立体的なモティーフと
サロンのバティック・モティーフとを組み合わせ。これがプラナカン風。
クバヤはボタンやスナップのような留めがついていないので、
ケサロンと呼ばれるらしい、ちょっと大きめの3連チェーンでつながったブローチのような留め具をつかっています。
薄い生地のクバヤにつけるとかなり重たくて、不安定。本当はどういう風につかっていたのだろう?
極薄のスケスケ生地に精緻な刺しゅうが施されている、昔のクバヤ。
このブラウスはバリ・ヒンドゥの正装でもあるのですが、明らかにヨーロッパ・レース刺しゅうと中国刺しゅうからの影響。
オランダ統治時代に浸透したものだと思います。
その下に、サロン。バティックの腰巻。
ジャワ風、バリ風のそれと比べて、なんて洗練されているのでしょう。
色彩、センスが大分違います。
クバヤ刺しゅう。こうやってミシンで描いていくのですね。
数百年前にさかのぼるプラナカン文化がクバヤ発祥時代だとすると、逆に思うのは
どんどん大量生産素材に成り代わっているとはいえ
色彩、センスは地域で違いこそすれ
基本は大きく変わっていない。
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ビーズワークは今もプラナカン観光地のあちこちで見ることが出来ました。
昔は嫁入り前の娘は家から出ることが許されず、ビーズを刺しながら時間を送ったというプラナカンの娘たち。
今も、世界でもっとも細かいビーズワークと言われているそう。
カラフルで繊細なデザインであることはもちろんだけど、
纏足の文化を思い起こすわけです。このちいさな宇宙の瀟洒なセンスに。
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写真があんまり良くなくて。すみません((+_+))
プラナカンのお茶碗です。
当時は中国にこのような特注のカラフルなものをつくらせていたのだそうです。
中国のセンスにはもともとなかった、ということなのでしょうか。
とにかく美しさ、華やかさが競われていた事だけは伝わってきます。
バスケットにも、こんな装飾が。
竹製で、中にお供え物を入れて運んだもの。
ティンカット。昔のお弁当箱。
喪に服している時期限定で使われていたそう。
結婚などハレの時期と喪の時期と。
カーテンのような間仕切りもすべて模様替えをする。
そうそう。
ここには写真がないのですが、結婚式の衣装などは何世代もが着れるように
中に竹の繊維で編んだ下着を着て汗を吸わないように工夫されていたそうです。
洗うことなど到底できなさそうな手の込んだ装飾的な衣装。
京劇の衣装も同じようにして丈の下着が活躍していたそう。
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ほかにもたくさん興味深いものがありますが、
とても書ききれませんので
ここら辺でやめておきます。(笑)
プラナカン界隈には、骨董店もありましたがあいにく定休日(月・火曜日)のところが多くて見逃しました。
お土産風のレプリカの器などはいろいろ売られていたけれど、クバヤを選ぶだけでもう満足。
私としてはとても収穫(=買い物)が少ない旅になりましたけれども(笑)、知りたかったこと、見たかったものに十分触れることが出来て。とてもいい旅だったのです。
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ではでは、そういう訳で再投稿します♪
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