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2015年8月27日 (木)

まめしんぶん 2015 秋 ベーシック

9月上旬から京都toko manisと各委託のお店でごらんいただける
ベーシック系の新アイテムです。
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プリミティブリネンのハーフフレアスカート
秋は久しぶりにロングスカート。
ハイウエストで
ウエストをひもで縛ってサイズを合わせて着るタイプ。
かなり長め。
ハードリネンの素材感とはっきりしたデザインが映えます。
M/Lサイズがあります。

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ハードリネンクロスの黒いシュミゼ
定番のコートを表情が面白いプリミティブリネンの黒でつくりました。
(素材は上のスカートと同じです。)
フォルムと生地感がよく合っておしゃれな服になりました。
身頃はたっぷりしているのですが
袖が細くてこれまで着ていただけなかった方のために
今回は袖を少し太くしたLサイズが加わりました。
ぜひお試しください!
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ハードリネンクロスの黒いスカート
色目が違って見えますが、上のシュミゼと同じ黒リネンです。
丈長で後ろに大きなタックが入ったきれいなシルエットの定番スカート。
ボタン&ループが特徴の「ボタンループスカート」、
季節を問わず着れそうなベーシックです。
ボタン位置を切り替えてウエストサイズの調節ができます。
M/Lサイズがあります。
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ハードリネンクロスの黒いサブリナパンツ
マウンテンパンツと呼んでいる
8分丈の細身で履きやすいパンツです。
ウエストにゆるくゴムが入っています。
M/Lサイズがあります。
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コットンプリミシマのポム・ブラウス
インドネシアの高級バティックの染下として広く使われている
なめらかでしっかりしたコットン素材で
後ろ身頃に細いタックが入ったたっぷりしたワンサイズのブラウスをつくりました。
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ミドルワッシャーリネンのタイ・ロング
比較的お値段が手ごろでナチュラル感のあるリネン素材です。
全体にタックが入ってゆったりしたコート風チュニックは
季節を問わずいろいろ合わせやすいお出かけ着。
1サイズで黒と紺があります。
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ミドルワッシャーリネンの2WAYボトム
上のチュニックと同じ素材で
片足パンツ、片足スカートの面白ボトムを。
両足スカートで着ることもできます。
少しねじって履くとまたまた面白いかたちに。
M/Lサイズ、黒と紺があります。
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バグルーブロックプリントのタイ・ロング
こちらはコットンプリントでつくったタイ・ロング。
インディゴ&天然染料によるインドのブロックプリント。
素朴でおしゃれなスラジさんのプリントは、世界中にファンがいます。
1サイズです。
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以上の服は「アトリエマニス」のベーシック系服が中心です。
価格等はお問い合わせください。
天然素材系「カーディマニス」の服は
今期はアッサム地方から届いたエリシルク、カーディウールが中心。
着心地の良い大人の服を予定しています。
(9月下旬以降にご紹介する予定です。)
皆さま、機会を見つけてぜひご覧ください。

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2015年8月13日 (木)

サイトが新しくなりました!

【お知らせ】

昨日からアトリエマニスのWEBサイトが新しくなりました。

作業を一括引き受けてくださったUさんの計らいで、

スマートフォンからも見やすい画面になりました。

皆さま、ぜひご覧ください。

わがままをいっぱい聞いてくださった関係者の皆さま、

1年に渡る作業、ほんとうにありがとうございました。

また、何かお気づきの点がありましたらアトリエマニスまでお知らせください。

info@hotmail.com

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プラナカンのまめたび 最後の日

連日に渡り、書き書きしてきました。

読み読みしてくださった皆さま、お付き合いいただきまして

ありがとうございました。

プラナカンのまめたび。

最終日は、

ただの移動でした。(笑)

早朝だと同行人が心配だったので、飛行機の時間にかなりジャストな時間帯でマラッカを出発。

しかし、私はこれまた暗いうちにウェイクア~~~ップ。

なぜにそんなに。(笑)

荷造りは出来ているし、ほかにやることもないので。二度寝。

ちなみにバリと時差が無いけれどかなり西なので日の出も遅いマラッカ。

暗いうちから起きてしまうのは自然な事だったのかもしれませぬ。

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ホテルからタクシーで10分。マラッカの結構ちゃんとしたバスターミナルでは

ちゃんとした朝ごはんにありつけました。

インドネシア語がどこまでも通じるありがたさ。

これは辛くない?出来立て?、と、いちいち確認して選ぶお惣菜。

ほら、この、コーヒー。

もう、すでに懐かしさでいっぱいの練乳入り!

Img_6113同行人は、「オレはお腹すいてないからここで待ってる」、って、バス乗り場前のベンチに。(笑)

パン買っていってあげたら予想外のスマイル。(笑)

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パーム椰子のプランテーション。これです。

はるか向こう側まで民家も見えない。

単調な景色ながら見飽きない。

なぜか懐かしくさえある。

マレーシアは世界で最も使われている食用油、パーム油の世界一の産地です。

「あまり草が茫々生えていないね?」

「きっと地面がカタいんだよ」

「あ、なるほど!」

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「あぁ、なんか、帰りたくないかも~。((+_+))」

「また来ようね」

帰りは2階建てコーチバス。

行きのシンガポール発のバス代と帰りのシンガポール行きのバス代が、

3倍くらい違う。ん?何かの間違い?

帰りの方が断然快適だったので、さらに驚きました!

Img_6118

国境イミグレもスイスイ、時間通りで。

これがもし渋滞にはまるとか、何かがあったら、冷や汗ものです。

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シンガポールの街中からまたMRTに乗って空港へ直行。

マレーシアで食べ損ねたラクサをチャンギ空港で。

セットのコーヒーは砂糖・練乳なしでした!

シンプルなお昼を、ほっとしたひと時にいただけて。ありがたさが染み渡る。

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町なかよりなぜかエコノミー価格の空港内ファーストフード。セットで5.3ドル。

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本当にすべてが時間通り!

、って、思ってエアアジアの搭乗ゲートに入ったら、あらっ?

機体がいない。(笑!)

知り合いの情報によると、「エアアジアは到着してから10分かそこらで乗れる」、らしく。

楽しみにして待っていたら、

本当に。

10分遅れ位でゲートインしてきた飛行機に、20分後くらいには乗り込むことが出来て

(ってことは、機内清掃はナシだな!)。

乗客の速やかさも、バスや電車並み。

Img_6124

久しぶりに夕暮れ時の窓際。

珍しく、ほとんど揺れる事もなく快適な2時間半。

Img_6127_2日没前、一番星の下に、鳥が飛んでいるみたいな雲が。
Img_6129・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ただいまー、バリ。

空港から帰宅途中に、もう一回ごはん。

今度はいつもの!

辛くない、肉じゃないのを選んで。80円。

これがいちばん満足だったりする。
Img_6130

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お家に着いたら、お花が飾ってありました。

お誕生日を祝ってくれていたのでした。♪

Img_6131同行人もお留守番してくれる人もいて、急に思い立って旅ができる自由さもあって。

ありがとう、ありがとう、ありがとう。

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8月ももうすっかり中旬に差し掛かってます。

新たな気持ちで、秋の服つくりはじめています。

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2015年8月12日 (水)

プラナカンのまめたび 5

こちらの投稿、昨日は資料不足で中途半端でしたので

書き直して再投稿です。

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プラナカンが何なのか、どういう人たちによるどういう歴史なのかがはっきりわかったのは、ババ・ニョニャミュージアムでした。

こちらのガイド付き見学がとっても面白かった!!

ガイドさんと別に自由に見ることもできるようですが、ユーモアたっぷりのおしゃべりで

暑さの中、たくさんの人たちと飽きることもなくたっぷり1時間の見学をしました。

ホームサイトの解説によると、

この三つのテラスハウスからなる博物館はチャン氏により 1861 年に建築された邸宅です。

16 世紀には、貿易を求め、中国やインド、アラビアの商人は海峡植民地(シンガポール、マラッカ、ペナン)にやってきました。

彼らの中で現地人と結婚した者とその子孫は 「Peranakan」 (プラナカン)、 或は 「Straits-born」 (海峡で生まれた人)と呼ばれています。中には、インド系プラナカンとジャウィ系 プラナカンもあります。

この街にある家は深さ 149 メートルで、広さ17メートルなっています。

土地はオランダ植民地時代に規定された土地です。

左右の壁には窓が付いていません。風通しと光は中庭にある四つの主なエアウェルから入ってきます。それに雨は 中庭に降り家を涼しくします。雨は 「好運」 と 「幸福」 (Ong オン) を招き、また水は 「富」 の象徴と言われています。

http://babanyonyamuseum.com/wp-content/uploads/Japanese.pdf 

http://babanyonyamuseum.com/

貼り付けちゃっていいのかな?

貼れちゃったので入れちゃいますよ?

  • No. 48 & 50 Jalan Tun Tan Cheng Lock 


    75200 Melaka, Malaysia
    Tel: +606-283 1273

    Mail: admin@babanyonyamuseum.com

  • Daily Tour Times:
    10am - 1:00pm (last morning tour 12noon)
    2pm - 5:00pm  (last evening tour 4pm)

    Extended Hour on Weekends:

    Fri, Sat, Sun (last evening tour 5:00pm)

  •  

何と150メートルもの奥行があるのです。町屋の2~3倍?

その間に開口部が2か所あり、間口は狭くとも中は自然光がたっぷり差し込むつくり。

このミュージアムのコレクションはどれも一家が大切にしてきたものを、子孫が守り抜いて来たたまものだと思います。

150年間というと何世代でしょうか?

ほんとうに素晴らしい遺産です。

ちなみにこのミュージアムがある界隈はユネスコの世界遺産にも登録されているそうです。

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見学を終えて、ふと思いました。

マラッカをはじめ、プラナカンの華やかな文化の資産のもとになったのは、たぶんゴム園。

シンガポールからバスで来るときに行けども行けども続いていたパーム椰子は、

昔は全部ゴムだったんじゃないかしら?

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さて、

旅の写真では具体的にご紹介が出来なかったので

ミュージアムで売られていたこの本を買ってきてみました。

表紙はバティック!

Img_6157_2

このバティックは、おそらくインドネシアのパカロンガンかパレンバンのもの。

プラナカン文化は、

贅沢なヨーロッパ風コロニアルを取り入れ、装飾には華僑風の精緻なデザインがあしらわれ、色彩はとかくカラフル(これはマレー風なのか華僑風なのか??)。

建築、インテリア、食器。身に着けるもの、使うもの、飾るもの。

当時手に入る思い切りの贅沢が、ここにぎゅうぅぅっと凝縮しているような感じです。

そしてニョニャと呼ばれる奥様や娘さんたちがまとっていたのがクバヤとサロンだったのです。

そのサロンはインドネシアのもの。

私はこれまでその下半身ともいうべきサロンの方ばかりを見てきたから、上半身のクバヤについてとても興味があったのです。

クバヤについてはインドネシアではどうも源流を感じません。

「産地」とか「タイプ」があまり明確じゃないせいからかも。

やっぱりクバヤというとプラナカンのような気がしていました。

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いきなりベタな写真になっちゃいますが(笑)

、という訳で、わけで今回のマラッカ、ホントのお目当てはこのクバヤでした。

さすがにた~くさんのお店があり、お仕立て用の半加工のものからざっくり仕立てて後から修正できるものもいろいろ。

廉価なものはスマトラ島でつくられているという話もありますが、デザイン&センスはやはりマラッカ、シンガポールのような気がします。

(同行人の息子をカフェに置いて、買いまくったのがこちらです。)

Img_6135

お値段も結構するので、短時間で買えたのはたった5枚。

(今週からバリショップに並べています。)

中国刺繍のアレンジ? レースのようなカットワークも入るクバヤの装飾。

カラフルな薄手のコットン地にカラフルな刺しゅうがお決まりのようです。

下の写真は博物館の展示ですが、こんな風に、刺しゅうの立体的なモティーフと

サロンのバティック・モティーフとを組み合わせ。これがプラナカン風。

クバヤはボタンやスナップのような留めがついていないので、

ケサロンと呼ばれるらしい、ちょっと大きめの3連チェーンでつながったブローチのような留め具をつかっています。

薄い生地のクバヤにつけるとかなり重たくて、不安定。本当はどういう風につかっていたのだろう?

Img_6046
ここから下は購入した本のページです。

極薄のスケスケ生地に精緻な刺しゅうが施されている、昔のクバヤ。

このブラウスはバリ・ヒンドゥの正装でもあるのですが、明らかにヨーロッパ・レース刺しゅうと中国刺しゅうからの影響。

オランダ統治時代に浸透したものだと思います。

その下に、サロン。バティックの腰巻。

ジャワ風、バリ風のそれと比べて、なんて洗練されているのでしょう。

Img_6158ジャワ&バリのものは私には資料になる写真がありませんが、

色彩、センスが大分違います。

クバヤ刺しゅう。こうやってミシンで描いていくのですね。

数百年前にさかのぼるプラナカン文化がクバヤ発祥時代だとすると、逆に思うのは

どんどん大量生産素材に成り代わっているとはいえ

色彩、センスは地域で違いこそすれ

基本は大きく変わっていない。

Img_6159もっともっと、クバヤについて知りたくなります。

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ビーズワークは今もプラナカン観光地のあちこちで見ることが出来ました。

昔は嫁入り前の娘は家から出ることが許されず、ビーズを刺しながら時間を送ったというプラナカンの娘たち。

今も、世界でもっとも細かいビーズワークと言われているそう。

カラフルで繊細なデザインであることはもちろんだけど、

纏足の文化を思い起こすわけです。このちいさな宇宙の瀟洒なセンスに。

Img_6164
私の眼ではもうムリ! 1ミリ前後の細かいビーズにため息。

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写真があんまり良くなくて。すみません((+_+))

プラナカンのお茶碗です。

当時は中国にこのような特注のカラフルなものをつくらせていたのだそうです。

中国のセンスにはもともとなかった、ということなのでしょうか。

とにかく美しさ、華やかさが競われていた事だけは伝わってきます。

Img_6160

バスケットにも、こんな装飾が。

竹製で、中にお供え物を入れて運んだもの。

Img_6161
ティンカット。昔のお弁当箱。

Img_6163染付の器は、プラナカンにおいては

喪に服している時期限定で使われていたそう。

結婚などハレの時期と喪の時期と。

カーテンのような間仕切りもすべて模様替えをする。

Img_6162

そうそう。

ここには写真がないのですが、結婚式の衣装などは何世代もが着れるように

中に竹の繊維で編んだ下着を着て汗を吸わないように工夫されていたそうです。

洗うことなど到底できなさそうな手の込んだ装飾的な衣装。

京劇の衣装も同じようにして丈の下着が活躍していたそう。

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ほかにもたくさん興味深いものがありますが、

とても書ききれませんので

ここら辺でやめておきます。(笑)

プラナカン界隈には、骨董店もありましたがあいにく定休日(月・火曜日)のところが多くて見逃しました。

お土産風のレプリカの器などはいろいろ売られていたけれど、クバヤを選ぶだけでもう満足。

私としてはとても収穫(=買い物)が少ない旅になりましたけれども(笑)、知りたかったこと、見たかったものに十分触れることが出来て。とてもいい旅だったのです。

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ではでは、そういう訳で再投稿します♪

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2015年8月11日 (火)

プラナカンのまめたび 4

1日が毎日長すぎてごめんなさいな今回です。

そして、3日目もまた朝からシャキーン、とスタンバイしてしまう私。

同行者はついに「オレはきょうは行かない」、と言い始め、まぁまぁ、あと1日ですから、ってなぐさめる。(もちろんそれだけじゃ動いてくれないから、レッツゴーで布団をめくり上げる!)

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そうだ、きょうは科学博物館があったからそこへ行ってから

リバー・クルージングのボートに乗るのはどう?

しぶしぶ靴を履く同行人。(笑)

Img_6048_3

ホテルを出て数分でマラッカの城塞跡周辺。

「あ~、きょうも早速直射日光がびしびしっとくるねぇ」

「オレ、途中で帰ってもいい?」

「うーん…」

オランダ統治時代の洋館がさまざまな博物館になって解放されています。

Img_6047_2科学博物館らしきミュージアムは、肝心な科学室展示が閉まっていましたが

ジオラマとクラフト関係(マレー風凧の展示など)はお気に召したようです。

マラッカの町が低い丘陵地帯を利用して、それなりに軍事的要塞でもあったらしい史実も。

昔から町があるところって、それなりにいい場所なんですよね当然のことながら。

「今いるところは2番だね?」

「ん?10番かも?」

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今回、はじめてのマレーシア。

近いのに今まで来たことがありませんでしたから、その分とても新鮮です。

なかでも、マラッカでどのくらいインドネシア語が通じるのかが、ひとつの楽しみでもありました。

結果的に、相手の言うことは発音的にちょっとよくわからないことがあっても

こちらのインドネシア語は大体通じることが分かりました♪

漢字も読めるし、インドネシア語も通じるし。

私たちにとって、こんな楽ちんな旅先もほかにありません。

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リバークルージングの波止場へ行くと、ちょうど遠足の子供たちに囲まれました。

マレーシアのたぶんインターナショナル系の学校の生徒たち。

いやもう。すっごいテンション高くて。(笑)

待ち時間から乗り込むまで、乗り込んでから降りるまで。

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考えてみれば、思い当たりますよね。

少し前までは、この子供たちも親も、対岸で暮らすエキゾチックな存在だった。

それが、急な好景気で(たぶん?)いつの間にか観光客向けのボートがそのまま遠足コースに。

あちら側がこちら側に。

この逆転がどれほど興奮に値するかは、私たちにはわからないかもしれません。

日本にはあまりない歴史だけれど、長く支配されてきた国に残る「観光地」はあくまでも外人目線でつくられ、これまで長きにわたり同じ外国人に利用されてきた。

それが地元の子供たちに利用され始める時代を迎えることについて

私たちはある程度寛容に受け止めてあげられたらいいなと思う。

おもしろいなと思ったのは

ほぼマレーシア人の子供たちだけなのに英語でしゃべっている事。

聞いてみるとKL(クアラルンプール)ではなくどこか別の都市から来た遠足。

アジアのエリートが目指す教育は、それだね? 確かに、そうだ。(おおまかには。)

Img_6061私たちのほか、外人はウエスタンの若いカップル二人だけ。ほかの40人くらいはにぎにぎしたマレー人。

それでも、ボートはいつものように(?)ゆったりと川を滑っていきます。
Img_6066風情ある川岸は、やがてモノレールと高層ビルとが相混じる。

なんだか20年くらい前の上海・浦東地区のようでもあります。

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下船して、前日と同じ中華系のジョンカー通りに出ました。

お昼時、有名店は長蛇の列にてパス。

少し歩くと、まな板をどんどんどん、とたたく音。

見るからに昔懐かしくなるようなオープンキッチン。

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こちらもハイナンチキンライスのお店でした。

プラナカンの建物は奥に中庭があり、奥行きが長い。

次世代にバトンタッチしそうな観光地ながら、ここにはまだまだ面影というか、気配があります。

この位置から何世代がこの光と影を見てきたのかな。

新世代マレーの子供たちから離れてこの空間に迷い込むのは、結構、ラビリンス。

Img_6078

で、きょうはご飯をボール状のおにぎりにしてある「チキンライスボール」を頼んでみました。

Img_6076気の利くおばちゃんが、そのほかのお総菜をアレンジしてくれて、とても良心的な価格にて。観光地なのに。嬉しい心遣い。

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さて、いよいよ本気でプラナカン探索です。

まずは、断面から。

手前のこじんまりとした出入り口と、その奥の長さとの退避。

屋根の起伏が3つあります。

途中のへこんだ部分が開口部で中庭なのですが、京都の町屋のダブル版というか、

プラナカン建築の場合、屋根3個分がこのお宅の1件分です。

昔の中国もこうしたつくりだったのでしょうか?

ちょっとそこまで分からないのですが、

この都市住宅の文化は私としては一生の憧れでもあります。

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この物件はゲストハウスのようで、ちょっと泊まってみたい気分に駈られます。

Img_6053_2
中がどんな風になっているのか。見てみたい!

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ジョンカー通りの路地裏と、そこに平行している小さな通り沿いを探索しました。

まずハマっちゃったのがこのお店。

「赤い工芸品店」という名前のお店。

中国のお正月などで使われるお年玉袋や、切り絵の装飾品、その他とにかく赤い紙の工芸品で統一されている。

店主に思わず、「すっごい、いい店ですね!」、と言ったら

とても喜んで。写真いっぱい撮らせてもらえました。

Img_6090日本人にもこれは共通する懐かしさはあるかも。

おめでたい時のいろいろな切り絵。

シアワセになりますように、と、大切に。

いとおしい、手仕事。

Img_6093干支のものは何枚もほしくなる!
Img_6083間仕切りのようなこちらも切り絵です。

Img_6094天井から吊るされたカンカンに、下駄型のマグネット。

かわいい~~♡

もちろん買いました!

Img_6087

こちらの店主、なかなか、おもしろいお方。カメラ向けるとポーズもとってくれました。(左)

右のげんこつ握っているのは、花布の前掛けつけたマネキンさん。

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以下はちょっと余談なのですが

少しして、

店主が何気なく古い写真を取り出してきて見せてくれました。

それは、今岡昌平の「女衒」という映画のマラッカ・ロケ中の写真。

映画の内容は分かりませんが、昔はこの界隈で実際にさまざまなドラマが繰り広げられていたのは確かなようです。

写真だけ見ても相当になまなましい。

何だろう、この差?

私は今こうして、静かな午後のひと時を迎えている。

店主は、映画の内容には触れず、「この映画撮影の頃は楽しかった」「子供の時の思い出なんだよ」、と。

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ガルーダ・パゴダ!

Img_6111

カンカンの下駄のマグネットと赤い切り絵のポストカードを買ったら、

こんなラッピングでした。

何か、修学旅行で素敵なものを買った気分いっぱい。♪

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インドネシアも日本統治時代がほんのちょっとありました。

それは分からないけれど、何となく、もう日本が思い出したくもない部分なのかもしれないけれど、毎年終戦記念日の2日あとに訪れる独立記念日。

この地域に今属している自分の立ち位置についてもう一度認識させられました。

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午後は、同行人をまたカフェに置き去りにして

散策します。(笑)

「オレはここで待ってるよ」、と、おっしゃるので。

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ジョンカー通りの裏道は、プラナカン・ストリート。

表通りと比べて静かながら、重要物件多し。

隣と仕切る壁に、まあるい窓。

ブルーの色彩が美しい。

Img_6099_2装飾もなかなか凝っています。
Img_6101

こちらはプラナカン・ビーズのサンダル専門店。

とても細かいガラスビーズはすべて舶来のもの。

たまたまマイ・バースデーだったもので、ひとつ買っちゃいました。

Img_6098_2
プラナカン風のお屋敷の展示を開放しているらしきお宅。

中庭の開口部の光がこんな風に。
Img_6102

ティースペースから二階に上がる階段は、上にもう一つ仕掛けがある。

夜になると下からは開けられないように蓋ができる。

旦那さんが遅い時間に帰ってきても入れない、という事らしく。(笑)

結婚前は一歩も外に出られなかったプラナカンの娘たち。

妻になりさえすれば強かったのかも。

Img_6103このお家のすぐそばで、クバヤの専門店をじっくり見て、プラナカン風旧家の博物館も見ました。

大変おもしろく、魅了されたのですが、

その間の写真が全くありませんので(撮影禁止エリアでしたので)

明日、別途写真集からひも解いてしたためたいと思います。

シンガポールからいろいろ見てきたプラナカン文化ですが、

どうやら表から観光客がさくっと見るようなものではないのです。

じっくり時間をかけてそれぞれの名家に残る断片を丁寧に訪問しないとわからない

シークレットゾーンが多いように思います。

そのせいかな、今まであまり大きく話題にならないのは。

2,3日のバカンスでは到底行き着かない。

これはもう何度か通うべし。

とにかく、ものすごくお金持ちだったことは確かです。

そして、そのお金がどこから入ってきて何に使っていたかという部分が今のところまだちょっと謎。

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次回にすべてゆだねても良かったのだけど、

これはマスト。

ミュージアム見学の後に近所で食べました。

マレー風かき氷。バリにもありますが、エス・チェンドル。

ココナッツミルクと椰子砂糖のシロップ、甘く煮たお豆とサゴヤシのゼリー。

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大きすぎて食べきれませんでした~。

なぜマストかというと、プラナカンの時代に冷蔵庫も無かったころから、暑い午後に食べられていたのだそう。

その気分だけでも味わいたいというわけで。

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三つの屋根が一軒です。

夕暮れ時にもう一度、プラナカンの断面図。

Img_6108

そしてこちらが表、ってわけで。(ちなみに二つの写真は違う家です。)

Img_6110
お菓子の家の見納め~。

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でわでわ。

もう少し続きます。



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2015年8月 9日 (日)

プラナカンのまめたび 3

インターネットで楽々予約したものの、乗り場がきわめて分かりにくかったのです。

国境越えの長距離バス。

きょうももちろん、夜明け前からおはようさん。

荷造りもほぼオッケーだし、できるだけ早めに出てバス乗り場を探すことに。

息子もきょうは早く起きてくれて助かります。(…というか、叩き起こしまして。)(笑!)

大きな商業施設の界隈を朝のラッシュアワーに30分くらいさまよって

ようやくたどり着きました、バス乗り場。

よっしゃ、きょうはマレーシア!

きょうの書き込みは長いですよ!

一日が長かったから。(笑)

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シンガポールの国境で出国し、橋を渡る。

背後はコンクリートジャングル。

向こう側は、あら! 本物のジャングル?

川をはさんで対岸、マレーシアは緑がいっぱい!

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橋を渡りきると、今度はマレーシアの入国手続き。

週明けの国境は、反対車線が大渋滞です。

バスはカラオケもローカルなBGMもなくて静かです。これは助かります!

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マレーシアに入ってしばらくすると、行けども行けどもパーム椰子なんです。

民家もほとんどなくて。

写真がここではありませんけれど帰り道に撮ったのを後日ご覧くださいね。

ほんとうに、パーム、パーム。パーム。

1時間くらいして、サービスエリアで30分の休憩です。

豪華コーチ型バスなんだけど、結構ネンキものなので。揺れがすでに体に乗り移る域にて、休憩助かる~。

サービスエリアは、フードコート&お土産中心のスーパーもなかなかコンビニエンス。

あっ、だけど。お金がない!

お土産売り場で聞いてみたら、奥の事務所で両替できるとのことで(そうだよね!)。

やっとありつく朝のコーヒー、2.5リンギット、約80円。

やはり、練乳入りでスプーンが刺さっている!(笑)

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バスに乗り込んでから4時間。着きました。マラッカ。午後1時。

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さっそくホテルからタクシー乗ってまずはお昼ごはん。

ネットで調べてまずはここに行こうと決めていた

ハイナンチキンライスの食堂へ。

いろいろ食べて、二人で600円くらい。

バスで4時間。何か、違う国に来た感いっぱい♡

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チキンをゆでたスープで炊いた(と思われる)ごはんと、やわらかーいチキン。

シンガポールチキンライスとも呼ばれるこのセットごはんは、マラッカにその専門店多し。

ふわふわしたほんのり味付けされたごはんは、お代わり必須。

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食堂の場所から町の中心へ向かって歩いていく。

シンガポールよりまた更に暑いかも!!

緯度的にマラッカ辺りは緯度的に真夏期。

がらんとした商店街の軒下。

定休日なのか、シャッター街なのか。閉まっているお店ばかり。

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しばらく行くと、インド人街。

私としてはある意味見慣れた光景です。

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キオスクの雑誌もね♪
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香辛料、乾物。インドの香りが漂う界隈がおもしろい。

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そのすぐ隣の通りは中国系。

旧漢字なので分かりやすい♪
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そのまた更に隣の通りは、ジャワ系界隈でした。

そこは何となく朽ちた建物が多くて、何が何だかわからなかったので

小さな川にかかっていた橋を渡って旧市街の中心へ向かうと、

再び中国でした。

紙芝居を見ているような、パッチワークのような街。マラッカ。

夢の中に出てきそうな類のパラレルワールド。

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とてもとても静かな通り。昼下がり。

こんな床屋さんが。
Img_6002金物屋さん。

Img_6008

刃物屋さんの隣に、あれ?!

Img_6011_3通りの静けさと同調したカフェが一軒。

ちょうどコーヒー飲みたかった。

めくるめく文化が小さな通り越しに存在しています。

そしてとにかく静かなのです。

当然眠気も来ます。

若い店主のこのカフェでは、スプーンは刺さってこなかったし、アメリカーノに練乳は入っていませんでした。

向かいの閉まっている商店の二階のベランダには、惜しげもなくいろんな下着が干してある。

この場所、空気、時間。すべてがこのまま止まってほしいと思いました。

朽ちないで、何となく昔からの空気がそのまんまの。

夢に迷い込んだかのような場所でした。

いやいや、写真もあるんだからホントだよね? って、自問自答するくらい。

あぁ、そうそう。この感覚は懐かしい。

昔は定住生活が出来なくて、いつもさまよっていたから。

ノスタルジー。

時間は止まっていたのかもしれません。

どうぞ、どうぞ、そのままで。って願わずにいられませんでした。

レモネードを飲み干し、スマホでゲームにも飽きた息子が

軒下で伸びていた猫をなでなでしていて、

「そろそろ行くか!」

「うん!」

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長いです。一日。

まだ日は高い。

何時だ?

午後4時。

川沿いの中国エリアの船着き場前。

「雑貨商出入口」、という看板が、分かりやすい。

外国だけどそれが何なのか分かるのは、楽しい。

Img_6017
こちらは、マレー語でしょうか。

しかし、マレー語はインドネシア語ととても似ているのでこれまた楽しい。

「カンプン・パンタイ」は、「海辺の集落」。

海が近い、って分かる。

Img_6020_2

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もう一度橋を渡ってもと来た方へ。

レンガ色の建物が見え始めました。

Img_6021_3

レンガ色地区。オランダ入植時代の名残だそうです。

教会の前に小さな公園とミュージアムが。

「見よう♪」

「え~~、もう疲れたよ~」

「閉館時間まで1時間あるし!」

Img_6025

ミュージアムは、マラッカの歴史博物館。

ここにマラッカの最初の拠点が築かれた。内部は貴族の洋館そのもの。

展示は当時を解説する絵画が多い。」

昔のカフェは

こんな風だったのですね。

またも引きこまれそう~~~!


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展示物のベチャに、落書きがいっぱい!
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閉館5時。

まだまだ歩くよ♪

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ジョンカー通りという旧市街のメインストリートは、思っていたよりもずっといい感じの通りでした。

今ではほとんどが観光客向けのお土産屋ばかりだけど、

たたずまいはこんな感じ。

プラナカン風?

Img_6033間口は狭いけれど、中に入ると細長く広い店。
Img_6034コロニアルでいてホンキの中国がたくさん。
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かまぼこ型の窓が多い。
Img_6041さすがにばてばての同行人。スイカジュースを一気に飲み干し。

「もう帰ろうよ~~。」
Img_6043はい、はい。

そんなわけで、まだまだ見るところいっぱいの旧市街から、

ホテルに帰りました。

自分一人だけだったら、どうなっていただろう。

まだ明日もあるから、あわてない、あわてない!

しばらくくつろいでから時計を見ると、午後7時半。

バルコニーに出てみると、まだ明るい。

バリでは6時すぎに暗くなるから、時差はないけど1時間分、西に来たって感じです。

Img_6044
「あ、夜ご飯、まだじゃない?」

「もうきょうはバテバテだし。食べなくていいよね?」

「え~~~! 食べたい!食べたい!」

9時ごろになってふたたび近所にそぞろ歩き、中華風火鍋のお店でさくっとごはん。

空芯菜炒め、なんておいしいのだろう。

これでスモールサイズ、150円。

さっそく帰りたくなくなる感じが、じわじわ。
Img_6045
バリでもしょっちゅう食べてるけど、

皮付きにんにくがごろごろ入っている空芯菜炒めに

ノックアウト、されました。

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続きます。

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2015年8月 8日 (土)

プラナカンのまめたび 2

旅行の時はパワーが2倍になると言われているタカハシです。

今回もすべてが怖いほどぎりぎりセーフにて出発して来ましたから、

何かおっきな忘れ物(持ち物だけではなくて…)が無かったか、という心配もあれこれ。

まぁ、そんなわけで、夜明け前から起きてますよ、2日目。(笑)

旅行の時はいつもの2倍寝る息子も一緒ですから、

まぁ、全体的に行動時間は中和されます。(笑)

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おはよう、シンガポール。

Img_5923

クラーク・キーと呼ばれているらしいこの川沿いエリアは

都会のなかである意味すばらしい環境だと思います。

たまたまネットで予約したホテルだけど、すごくいい場所で驚きました。

プロムナードだけしかないから車が入ってこない。

ゆるゆると曲線的に連なるバー&レストランは

遅くまで営業していたようだけど、

朝もちゃんといいカフェが営業中。

混雑するでもなく閑散とするでもない、バランスが心地よい。

但し値段はそれなりですね。今や日本円は1シンガポールドル92円。

(数年前は82円くらいだったかな?)

物価も相当上がっているので、

ブリオッシュとポーチドエッグのプレートとカプチーノで1400円。

Img_5927
ちなみに、夜ご飯をオーチャード地区のモール内イタリアンで妥協したら、

前菜2つとビール1つだけで5000円でした!! 

そういう物価なんですね。ミッドタウンの場合。

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2日目のまめたび、まずは、

MRT(地下鉄)に乗って、バスに乗って、ジュロン地区にあるバード・パークへ。

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もう写真撮らせてくれなくなりましたね、だって、もうじき中一。……なので背中。

……、の、同行人さま。

はいはい。

最近買ってもらってしまったスマホで鳥たちの写真撮りまくり、フェースブックにアップするので忙しいらしい。

バリのバードパークと比べてさすがに規模も大きく人工的なネイチャーがうまく出来上がっています(バリの場合はネイチャーな場所にバードパークw)。

そして母の写真も撮ってくれませんから、ジドリっ

Img_5936

ここに何時間いたかしら、うーんと、3時間ぐらいでしたか、

それですっかり一日分堪能したような気分の息子を、これまたジュロンとは別方向のカトン地区へ連れ出す。

トリの写真は私も撮りましたが、ここでは本題に関係が無いので(笑)、割愛します。

あ、それで、

「すいませーん、まだきょうはまだいっぱい残ってますヨ」。(←意味は深い。)

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とはいうものの。息子、本気でギブアップ。

実際とても暑い熱帯シンガポール。途中でスコールがあって、さらに蒸し暑く。

バリとの気温差もあるし、だらだら家に寝そべっていた夏休みから

急に外歩きはきついかな。

そんな時に、

お芝居のワンシーンのように、実にいいタイミングで、ちょうどいいカフェが!

私はコーヒーを一息で飲み干して

息子とスマホとミルクティーを置いて、周辺散策です。 

Img_5949
プラナカン地区のこちらのカフェ。

ブラックコーヒーは、ブラックではなくて

練乳入りでスプーンが突き刺さって、たっぷりソーサーにこぼれてご愛嬌。

朝のカプチーノは本格的、5ドル。

こちらは愛らしい1.1ドル。

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わーお。

バリにもこの手の色彩はあります。

デコレーションケーキとか。うん。お菓子系に。

ですから、パッと見るにお菓子の家のよう。

Img_5950
プラナカン文化探索、スタートです。

マレー風で華僑風。そしてコロニアル風。

いろんな情報がありますが、総じて思うに

かつてマレー半島が潤沢な資源に恵まれていた頃に入ってきた華僑の人たちが、マレー風とオランダなどのコロニアル風を自由に混ぜて楽しんだ時代のスタイル。

いろいろ調べてみると、この様式はババニョニャとも呼ばれているようす。

私は、20年くらい前にはじめてラオスへ行ったときに、フランス領土時代が長かったラオスの民家がとても感じのいいコロニアル様式ですっかり好きになりました。

ラオスの首都ヴィエンチャン郊外には、ごく静かな田舎道にカステラ色、ミントブルー、サーモンピンクの家々がかわいく並んでいましたっけ。

そして、アジアのコロニアル様式のなかでひときわ奥が深そうなプラナカン文化は、シンガポールのこのカトン地区が有名らしいのです。

上の写真は「ショップハウス」と呼ばれる建築で、インドネシアにもたくさんあります。

1階が店舗で2階が住居。

でも、装飾のセンスがぜーんぜん違う。

ジャカルタの旧バタビア地区中心地や華僑エリアへも行ったことがりますが、こんな色彩&装飾感覚の町並みは見たことがありませんでした。

Img_5951
外壁に何気なくあしらわれているタイルの模様が美しい。

ラオスの場合は高床式で1階は空けたまま、2階が住居でしたが

色彩感覚はちょっと似ているかも。

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よく見ると、外壁のペンキが柱の真ん中で塗り分けられている。

Img_5953
路地裏の住宅地に入ってみると……。
Img_5957うわ、こんなにパキっと??

Img_5959

分譲住宅なんでしょうか?

それにしても。

京都のたたずまいを次第に見慣れつつある私にとっては、こりゃ、町屋だろう、って

思いたくなる部分もすこ~しはあるのですが、違いますね明らかに。

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再び表通り。

お店が連なる軒下のこの歩道のことを何と呼ぶのでしょうか?

細長く、均一。

それにしても狭い細い。一方通行だな、これは。

Img_5963

ほぉ~~~。

こんな感じのケーキ、バリにありましたね♡

ウエディング・ケーキ。

こちらはプラナカン風クバヤも売っている趣味のお店。

Img_5966

通りを隔ててみると、屋根がまた。一工夫ありますね。Img_5969
きょうはここまでに。

この先ずいぶん長くなる予定なので。(笑)

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同行人の息子もお疲れさま。

しかし、この後オーチャード通り界隈のデパートなどをさんざんそぞろ歩きました。

靴が欲しいとおっしゃるので。(笑)

(結局いいのが見つからず。ほとんど何も買いませんでした。)

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小さい国の中に何ていろんな世界があるのだろう、シンガポール。

今回はかすめる事もなかったけれどインド・エリアもありますし。

翌日はマレーシアへ入国します。

プラナカン文化の中心地、マラッカへ、国境越えのバスの旅です。





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2015年8月 6日 (木)

プラナカンのまめたび 1

4週間と長かった帰国の後、バリに戻った7月中旬は

バリのお盆休み&ムスリムの人たちのラマダン明け休暇が重なって

長い、長~い連休が。

あんまりにも長いので(私はちゃーんと仕事していましたが)(笑)

その連休の最後の方に引っかけて、急きょ「まめたび」に。

夏休みべったり家にいてだらだらとしていた息子を連れ出さなければ!って。

「どこいく?」

「シンガポールのバードパークがいい!」

その希望と、

私の行ってみたかったプラナカン文化圏を巡る旅という素晴らしい組み合わせ。(笑)

主人は珍しく犬たちとのお留守番を快諾。(なんでかな?)(笑)

ヒコーキの手配から現地バスの予約などを大急ぎで。3日後に出発!

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バリのお盆明けの儀式を早朝に済ませ、

お浄めの米粒が顔やら首やらに張り付いたまま。

7月2度目のデンパサール空港。

エアアジアの乗り方も大分慣れてきました。

Img_5901_2じゃ、いってきまーーーす!(送迎&撮影もパパ)(がんばれ~!)

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バリからのフライトは2時間半。

ハロー、シンガポール。

前は何度来てもドロシーが車で全部案内をしてくれていたので、

全然土地勘がアタマに入っていません。

地図を開いて、空港から地下鉄で。ホテルまで。

地上20階からの眺め、こういうの久しぶりです。

Img_5902_2
バリと時差の無いシンガポール、

まだ明るいので早速地図持ってお外へゴー!
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リトル・チャイナです。

Img_5904

ホテル界隈はおしゃれな川沿いだったけれど、

10分くらい歩いたところの通りを隔てて、いきなり空気が変わりました。

Img_5909_2にぎにぎしているおっちゃんたち!

週末だから?

マージャンか何か?

凄いところに入り込んでしまった。

シンガポールにもこんな下町風情があったなんて。知らなかったよオーバーフィフティーズ。

Img_5908ジグザグに連なるイルミネーションは、もちろん、コレですね。ボンボリ。(笑)

これ見てたら何かお酒とかやはり飲みたくなるし~。(飲みましたけれども、もちろん。)

Img_5912食べ物屋さんは行列だし。熱気にフラフラしてくる。

シンガポールのリトルチャイナは、ほかの都市の観光客向けのチャイナタウンとはちょっとおもむきが違う。ここに長く住んでいる人たちの世界。

昔、中国から来た人たちは何世代か前になると思うけれど、何だかその当時の感じが。

本土ではもうどんどん薄れてきている気がする、って、知らないけれども、懐かしさがいっぱいの場所なのです。

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今回のタビは、私の中でかなり久しぶりのもの。

これまで目的地には必ず「買い物」があって、それは布でした。

ちょっとその目的をいったん外してニュートラルに。

さて、いったいどんなタビになるのでしょうか。

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つづく。

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2015年8月 4日 (火)

京都の巻巻。 3

ネットの不調で下書きを保存したままになっていた~~~。

もう8月になってしまって今更気がつきました。

(@_@)(@_@)(@_@)

以下、まきまきの続きです。

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今回は4週間の帰国にて、日本の話題でのブログがずら~~~~。

もうちょっと飽きちゃった方もいらっしゃるかもですね。

今日で一応しめくくりますヨ。

お目にかかれた皆さまも、お目にかかれなかった皆さまも。

台風一過、梅雨明け、真夏。ですね♪

どうぞ良い夏をお過ごしくださいますように。

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でわでわ。

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日本最後の2日目の事。

バリ在住のカナダ人(カナダ系アメリカ人?)ジョセフさんと京都で合流の日。

YDSギャラリーでの器展へ。

Img_5851今回も花入れがお見事。

左手の花器の下の細長い板は、昔型染めに使われていたものだそう。

祇園さんも間もなくの蒸し暑ーい日。

正座が上手なジョセフさんを前に、早速砕け散る(笑)。子供の頃は1~2時間持ちこたえたはずが、今では5分で降参~!

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ランチした後、お茶人のジョセフさんにマストなこちらは、

好日居さん!

私にとっても、ほぼ1年ぶりの。

カウンターの席に落ち着いた頃、やってきたのがこちらのお方。

中国でプーアール茶をご自分でつくっている、という。

何やら茶器もお持込みで、早速お茶会がはじまりました。

Img_5855茶卓がステキ! 

ジョセフさんも大喜び。

Img_5857

どんどん出てくる、お茶道具。

Img_5861晴美さんが、そのプーアールを入れてくれました。

「風の谷」という名前が付けられた茶葉は、樹齢600年とか。

風の強い場所で育つので茶葉は酸素をいっぱい吸い上げて育っている。

爽やかな初夏の風が、すうぅうっと、カラダを通り過ぎて行きました。

深みと青みがしみじみとおいしいお茶でした。

あぁ、ここに来るたび、ミラクルが起きます。

ありがとうございます。

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いただきもの。

夏ミカンをくりぬいた寒天。

京都で何度か目にしました。

Img_5865
京都事務所のアルバイトのじゃれおさんが、急きょ訳あって辞められることに。

とっても残念ですが、先々のご発展をお祈りしています。

で、この夏ミカンをバリに戻る前日に彼女からいただいたのですが、ワタシが食べる隙はなくスーツケースに入れてバリへ持ってきた。

でもって、息子が大層喜んで平らげました。(笑)

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風の谷の話を中途半端に聞いたまま

風の季節のバリに着地。

子どものお手製の凧は、今年はますますグレードアップしています。

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さて。

7月下旬にはまたもやマメタビしてきましたので

少しずつ書いていきます。

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