プラナカンのまめたび 4
1日が毎日長すぎてごめんなさいな今回です。
そして、3日目もまた朝からシャキーン、とスタンバイしてしまう私。
同行者はついに「オレはきょうは行かない」、と言い始め、まぁまぁ、あと1日ですから、ってなぐさめる。(もちろんそれだけじゃ動いてくれないから、レッツゴーで布団をめくり上げる!)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そうだ、きょうは科学博物館があったからそこへ行ってから
リバー・クルージングのボートに乗るのはどう?
しぶしぶ靴を履く同行人。(笑)
ホテルを出て数分でマラッカの城塞跡周辺。
「あ~、きょうも早速直射日光がびしびしっとくるねぇ」
「オレ、途中で帰ってもいい?」
「うーん…」
オランダ統治時代の洋館がさまざまな博物館になって解放されています。
科学博物館らしきミュージアムは、肝心な科学室展示が閉まっていましたが
ジオラマとクラフト関係(マレー風凧の展示など)はお気に召したようです。
マラッカの町が低い丘陵地帯を利用して、それなりに軍事的要塞でもあったらしい史実も。
昔から町があるところって、それなりにいい場所なんですよね当然のことながら。
「今いるところは2番だね?」
「ん?10番かも?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今回、はじめてのマレーシア。
近いのに今まで来たことがありませんでしたから、その分とても新鮮です。
なかでも、マラッカでどのくらいインドネシア語が通じるのかが、ひとつの楽しみでもありました。
結果的に、相手の言うことは発音的にちょっとよくわからないことがあっても
こちらのインドネシア語は大体通じることが分かりました♪
漢字も読めるし、インドネシア語も通じるし。
私たちにとって、こんな楽ちんな旅先もほかにありません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
リバークルージングの波止場へ行くと、ちょうど遠足の子供たちに囲まれました。
マレーシアのたぶんインターナショナル系の学校の生徒たち。
いやもう。すっごいテンション高くて。(笑)
待ち時間から乗り込むまで、乗り込んでから降りるまで。
考えてみれば、思い当たりますよね。
少し前までは、この子供たちも親も、対岸で暮らすエキゾチックな存在だった。
それが、急な好景気で(たぶん?)いつの間にか観光客向けのボートがそのまま遠足コースに。
あちら側がこちら側に。
この逆転がどれほど興奮に値するかは、私たちにはわからないかもしれません。
日本にはあまりない歴史だけれど、長く支配されてきた国に残る「観光地」はあくまでも外人目線でつくられ、これまで長きにわたり同じ外国人に利用されてきた。
それが地元の子供たちに利用され始める時代を迎えることについて
私たちはある程度寛容に受け止めてあげられたらいいなと思う。
おもしろいなと思ったのは
ほぼマレーシア人の子供たちだけなのに英語でしゃべっている事。
聞いてみるとKL(クアラルンプール)ではなくどこか別の都市から来た遠足。
アジアのエリートが目指す教育は、それだね? 確かに、そうだ。(おおまかには。)
私たちのほか、外人はウエスタンの若いカップル二人だけ。ほかの40人くらいはにぎにぎしたマレー人。
それでも、ボートはいつものように(?)ゆったりと川を滑っていきます。風情ある川岸は、やがてモノレールと高層ビルとが相混じる。
なんだか20年くらい前の上海・浦東地区のようでもあります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
下船して、前日と同じ中華系のジョンカー通りに出ました。
お昼時、有名店は長蛇の列にてパス。
少し歩くと、まな板をどんどんどん、とたたく音。
見るからに昔懐かしくなるようなオープンキッチン。
こちらもハイナンチキンライスのお店でした。
プラナカンの建物は奥に中庭があり、奥行きが長い。
次世代にバトンタッチしそうな観光地ながら、ここにはまだまだ面影というか、気配があります。
この位置から何世代がこの光と影を見てきたのかな。
新世代マレーの子供たちから離れてこの空間に迷い込むのは、結構、ラビリンス。
で、きょうはご飯をボール状のおにぎりにしてある「チキンライスボール」を頼んでみました。
気の利くおばちゃんが、そのほかのお総菜をアレンジしてくれて、とても良心的な価格にて。観光地なのに。嬉しい心遣い。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、いよいよ本気でプラナカン探索です。
まずは、断面から。
手前のこじんまりとした出入り口と、その奥の長さとの退避。
屋根の起伏が3つあります。
途中のへこんだ部分が開口部で中庭なのですが、京都の町屋のダブル版というか、
プラナカン建築の場合、屋根3個分がこのお宅の1件分です。
昔の中国もこうしたつくりだったのでしょうか?
ちょっとそこまで分からないのですが、
この都市住宅の文化は私としては一生の憧れでもあります。
この物件はゲストハウスのようで、ちょっと泊まってみたい気分に駈られます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ジョンカー通りの路地裏と、そこに平行している小さな通り沿いを探索しました。
まずハマっちゃったのがこのお店。
「赤い工芸品店」という名前のお店。
中国のお正月などで使われるお年玉袋や、切り絵の装飾品、その他とにかく赤い紙の工芸品で統一されている。
店主に思わず、「すっごい、いい店ですね!」、と言ったら
とても喜んで。写真いっぱい撮らせてもらえました。
おめでたい時のいろいろな切り絵。
シアワセになりますように、と、大切に。
いとおしい、手仕事。干支のものは何枚もほしくなる!
間仕切りのようなこちらも切り絵です。
かわいい~~♡
もちろん買いました!
こちらの店主、なかなか、おもしろいお方。カメラ向けるとポーズもとってくれました。(左)
右のげんこつ握っているのは、花布の前掛けつけたマネキンさん。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以下はちょっと余談なのですが
少しして、
店主が何気なく古い写真を取り出してきて見せてくれました。
それは、今岡昌平の「女衒」という映画のマラッカ・ロケ中の写真。
映画の内容は分かりませんが、昔はこの界隈で実際にさまざまなドラマが繰り広げられていたのは確かなようです。
写真だけ見ても相当になまなましい。
何だろう、この差?
私は今こうして、静かな午後のひと時を迎えている。
店主は、映画の内容には触れず、「この映画撮影の頃は楽しかった」「子供の時の思い出なんだよ」、と。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ガルーダ・パゴダ!
カンカンの下駄のマグネットと赤い切り絵のポストカードを買ったら、
こんなラッピングでした。
何か、修学旅行で素敵なものを買った気分いっぱい。♪
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
インドネシアも日本統治時代がほんのちょっとありました。
それは分からないけれど、何となく、もう日本が思い出したくもない部分なのかもしれないけれど、毎年終戦記念日の2日あとに訪れる独立記念日。
この地域に今属している自分の立ち位置についてもう一度認識させられました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
午後は、同行人をまたカフェに置き去りにして
散策します。(笑)
「オレはここで待ってるよ」、と、おっしゃるので。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ジョンカー通りの裏道は、プラナカン・ストリート。
表通りと比べて静かながら、重要物件多し。
隣と仕切る壁に、まあるい窓。
ブルーの色彩が美しい。
こちらはプラナカン・ビーズのサンダル専門店。
とても細かいガラスビーズはすべて舶来のもの。
たまたまマイ・バースデーだったもので、ひとつ買っちゃいました。
ティースペースから二階に上がる階段は、上にもう一つ仕掛けがある。
夜になると下からは開けられないように蓋ができる。
旦那さんが遅い時間に帰ってきても入れない、という事らしく。(笑)
結婚前は一歩も外に出られなかったプラナカンの娘たち。
妻になりさえすれば強かったのかも。
このお家のすぐそばで、クバヤの専門店をじっくり見て、プラナカン風旧家の博物館も見ました。
大変おもしろく、魅了されたのですが、
その間の写真が全くありませんので(撮影禁止エリアでしたので)
明日、別途写真集からひも解いてしたためたいと思います。
シンガポールからいろいろ見てきたプラナカン文化ですが、
どうやら表から観光客がさくっと見るようなものではないのです。
じっくり時間をかけてそれぞれの名家に残る断片を丁寧に訪問しないとわからない
シークレットゾーンが多いように思います。
そのせいかな、今まであまり大きく話題にならないのは。
2,3日のバカンスでは到底行き着かない。
これはもう何度か通うべし。
とにかく、ものすごくお金持ちだったことは確かです。
そして、そのお金がどこから入ってきて何に使っていたかという部分が今のところまだちょっと謎。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
次回にすべてゆだねても良かったのだけど、
これはマスト。
ミュージアム見学の後に近所で食べました。
マレー風かき氷。バリにもありますが、エス・チェンドル。
ココナッツミルクと椰子砂糖のシロップ、甘く煮たお豆とサゴヤシのゼリー。
大きすぎて食べきれませんでした~。
なぜマストかというと、プラナカンの時代に冷蔵庫も無かったころから、暑い午後に食べられていたのだそう。
その気分だけでも味わいたいというわけで。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
三つの屋根が一軒です。
夕暮れ時にもう一度、プラナカンの断面図。
そしてこちらが表、ってわけで。(ちなみに二つの写真は違う家です。)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
でわでわ。
もう少し続きます。
| 固定リンク
コメント