ひと遡り 京都・朝の旅
京都から東京へ向かう当日。
何だかバリから続く仕事三昧にわれながら胸いっぱいになって(笑)、
朝から、さぼたーじゅ。
マジメに朝ごはん食べてお弁当作るの、やーめた! (おいおい…)
で、進々堂さんでモーニング。(東京行くっていうのにヨユウだねぇ)
寺町通りの進々堂は、本当に人気がありますね。両隣は中国人のお客さま。
10年以上前に京都の「モーニング」に目覚めたときは、まだ新聞広げながらコーヒー、というご近所さんも多かったように思います。
今はスマホ(自分も)。
ふわふわのクロックムッシュに満足しながらも……。
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……その後もまっすぐ仕事場へ行かないワタシです(笑)。
鴨川の桜でも見納めようと、東へ歩く。
そうなんです。鴨川に出てみたかった。(なぜに)
夷川通りの筋をひたすら行ってみました。(導かれるかのように・笑)
すると、突き当りにこんな場所が。何やら立派な邸宅の前にありました。
明治維新の木戸孝允(きどたかよし)=桂小五郎のお屋敷跡でした。
こちらがそのお屋敷。
こんな風に残されているのは、おそらくここが京都市の管理下だから。
敷地の中央には旅館かと思えるような「京都市職員厚生会・職員会館かもがわ」という施設がありました。
その「かもがわ」で、見学申請をして中を見せていただきました。
それにしてもこの鴨川に面する一等地、100mも下ったところにはリッツカールトンが出来たばかり。(リッツ、噂によるとオチャするだけで2000円くらいかかるんだそう!)
河原町通のホテルオークラも、その前進「京都ホテル」は、長州藩が所有していた土地らしい。
ということは、木戸氏の頃、維新の時代には長州藩がこの一等地をかなり広く所有していたのかもしれませんね?
このところ何かと目につく萩、長州藩。
まんまと導かれてしまいました(笑)!
そういえば、京都市役所もずいぶん立派な建物だけど、昔は何だったところだろう?
京都人の知り合いによれば、昔はお寺だったそう。
(ははぁ、本能寺と隣り合わせでお寺でしたか。)
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近所探訪にやおら満足し、鴨川縁の桜吹雪も満喫して
重役出勤の満足さといったら。
ははは、これで東京の一仕事もこなせるわ♪
何だか、きゅうにおばさんになったようで(いやいやとっくにですけれど!)、
ビミョウな春の朝でした。
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ちなみにひょうたん窓の庵ですが(上の写真)、
中は何とぎっしり
何で今ここでだるまさん???
ま、続きはまた次回探究することにします。
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でね、ほら、お昼ごろに出社して。じゃれおさんと、あたふた。
新幹線に乗ったの、結局夜~。
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「まめたび」、でした(笑)。
もひとつ、おまけです。
某日の出町商店街のなかの、サイケデリックな果物屋さん。
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