おまつり。
少し前の事になりますが、
うちのスタジオがあるペジェン地区のもっと北の方にある
プグリンガン寺というお寺のお祭りに行きました。
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そうそう、一部で話題になりました171年ぶりのという名月を2日前に拝み、
バリの暦ではその日が満月という晩のこと。
日本の満月とバリの満月は1日ずれることはあっても2日ずれたのも珍しく。
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こちらのお寺は、あまり知られていないようですが(私も知らなかった!)世界遺産にも登録されているんです。
何でも、8世紀の遺跡が発見されたとか。
バリのヒンドゥの歴史は大きく分けて二つあると思われ、その古い方の時代には仏教も入ってきていたらしく
こちらには仏教とヒンドゥ両方の神様がまつられているのです。
世界遺産に登録された経緯を少し調べてみると、以下のような事のようです。
バリ島で初めて世界遺産となったのは、水利システム「スバック」に関連した5つの棚田地域です。
古来、棚田に農業用水を行き渡らせることは、バリの農家の人々にとっては死活問題。そこで、水の分配を平等に行うために「スバック」という水利システムが活用されたのだそうです。
そして、この「スバック」の根源にある思想というのが、バリヒンドゥーの哲学とされる「トリヒタカラナ」というものです。教理は、人間の平和と自由は三つの調和された関係を敬い実行する事によって得られる。
1、神々によって与えられた命が自然を創造した。
2、自然は生存に必要な食料や環境を人間に与える
3、人間は村の組織を作り、礼拝する寺院を造り、奉納儀式を行い、自然保護に努め、そして問題を討議し力を合わせて解決する義務を負う。
としていて、バリの人々が心柱とする神や自然との深い係わりというものが理解できます。
以上引用:http://balifan.jp/special/100004/
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こちらの5年に1回のオダランは、今まで見たことのない風変わりな供物と行列でした。
夜7時半過ぎ。
クリスマスツリーのようなもけもけとした飾りのお神輿がふたつ現れて、境内の空気が一気に変わりました。(一番上の写真。)
寺院の中心にまつられているストゥーパが暗がりから蘇ったかのよう。(3番目写真が出土したという仏教遺跡のストゥーパです。)
そして、すぐに気付いたのは
供物のデザインです。
仏教とヒンドゥの混合だからという事が関係するのかどうかは分かりませんが、
神輿をはじめ、幟のように行列の中で担がれた供物、神殿内の供物。
全体のモティーフはストゥーパです、たぶん。
場のエネルギーも独特だったのでしょうけれど、
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神さまに、お祭りするものをここまで自然素材だけで色とりどり、あでやかに、上品に飾るセンス。
「面倒くさい=簡単にしたい」という風潮が世界の手仕事を危うくしているのは確かな事なのです。
バリもこのところ印刷されたラマクとか、枯れないペンジョールだとかどんどんカンタンな方へ向かっています。
でも、こちらでは皆無でしたね。
お米や豚の脂身など自然素材で作られているだけで、エネルギーの受け方も変わります。
「あ、ちょっと昔は全部が確かにこれだったねー。」
素材と手仕事と美のセンスと。
バリのDNAは
ヒンドゥ的緻密さをよく受け継いで取り込んで文化に融合させている。
今更ながら圧巻です。
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カラフルなお人形がくっついているのは
お米の粉でつくられています。
よ~~~く見ましたけどプラスチックは使われておりません、
ガルーダの翼みたいなウチワがたくさん(笑)。
一体誰がデザインして作ったかな~。
一番最後の写真が
豚の脂身をつかったツリーみたいな飾り(供物)。
正面からだと炙られた黒焦げの頭部と手足が生々しいので(!)
横から撮ってみました。
マニュアルを書き残さない風習のバリだから、記憶の中にあるマニュアルを人々が共同作業で心を合わせて作り上げているのです。
忘れたら終わりです。
深い意味を感じます。
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ケータイも普及しピカピカの新車を乗り回す時代だけど、まだまだバリの人たちの精神世界が健在だと思い知らされました。
時代が変わっても心は変わらないってことかしら。(そうですか?)
だといいな!
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は、またもやロングな話題になってしもた。
お読みくださりありがとうございました!