インドからの帰路、トランジット@シンガポール
インドからの帰り道、乗継便の待ち合わせ時間を利用して1日シンガポール。
でも。
何度も何度も行っているシンガポールで、
今回ははじめてMRTやバスに乗りました。
前は、ドロシーが必ず空港まで迎えに来てくれていましたが、
実はドロシーはシンガポールにもういません。
世界中のどこにもいません。
6月に亡くなったのです。
アトリエマニスの「マニス」という名前は、ドロシーのブランドからの“のれん分け”がきっかけ。MANISというブランドをやっていたドロシーの仕事に関わったことをきっかけに、今のマニスが生まれました。
諜報。それは、私が6月に帰国して間もないころでした。京都でクロマニョンさんの展覧会を開催している時のこと。知らせを受けてもただただ無念。
その翌日に下鴨神社へ行って、東京に移動でした。
あのころは、涙が止まらない1週間でした。
今回の旅で、シンガポールでせめてお参りをしたいと思っておりました。
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空港で荷物を預け、シンガポール流の練乳が入った甘いミルクコーヒーを飲みながらメールのチェックをして。
ドロシーが埋葬されている場所の情報がギリギリのタイミングでメールに入っていました。家族のように親しかった染織家の中川原さんと、ドロシーの異母兄弟のジェニーからの。
深夜のフライトであまり眠れていない子供は目がぱちぱち。
週末の朝8時です。
MRTは空いている。
シンガポールの住宅地を通り抜ける。
日本の郊外電車みたいだね、と子供。ゆるゆるとした平和な時間。何だろ。この時空。
グーグルで調べてMRTの最寄駅で降り、そこからはタクシーで。
でもふたつのメール情報から推測するに、来た場所は葬儀が行われた場所で。。埋葬されている場所はどうやら別の場所。近くの人に聞くと、そこからはまたずいぶん遠いとのこと。
再び広域地図を調べ、その埋葬場所の近くまでまたMRTで向かう。
途中の駅にあった食堂でシンガポールチキンライスを食べる。
子供はさすがに疲れておりすっかりおとなしく。申し訳なく。
バスにも乗る(バスの運転手はなぜか皆女性でした、偶々でしょうか?)。
今度はずっと北の方、シンガポール動物園などがある方面へ。
わぉ、まめたび。
「ついでにあのナイトサファリで有名なシンガポール動物園にも行こうよ!」
「うん…」
…そうだよね。そして、ともかく一緒に来てくれてありがと。一人だったらもっとつらかったかも。
MRT、バス、タクシーと乗り継いで向かったのは、マンションみたいな何階か建ての納骨所でした。たくさんの引き出しのようなのがあって、そこに故人の写真と名前がついていて。
ここのどこかに眠っているんだね。
団地の番地のような情報をもとにその場所を探したのだけど。
なぜか、出会えなかった。
まるで、「実はまだここにいないのよ」って言われているみたいに。
(そして理性の中で思った。土には埋めないのですね、シンガポール。)
何でだろう、ここまで来たのに、という気持ちもあったけれど、
自分の中にまだそれを認めたくないという気持ちが邪魔をしたのだろうか。
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文化服装学院の頃から、ほとんど唯一つながっていた親友でもあり。
ライターの仕事に脱線していたわたしを、服の仕事に呼び戻してくれたきっかけをつくってくれた人でもあり。
何度も喧嘩もしたし、何度も一緒にいろんな旅をしたし。
今はまだ混乱中。
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お読みくださった皆さま、きょうはちょっとセンシティブな内容にてごめんなさいです。
もう少し続きます。
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コメント
そうか、ドロシーは 6月に亡くなったんだね。
2010年10月に会ったとき、おいしいモノを
たくさん紹介してくれた 彼女を思い出す。
長いおつきあいだから
いろいろな 気持ちが交錯するでしょうね。
残された娘さんのこととか 考えちゃうわ。
投稿: ともこ | 2013年9月27日 (金) 01時58分