7月の日本 その4 しょうぶ学園2
本当に長くなります……。
しょうぶ学園、工房SHOBUのつづきです。
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お昼を挟んで、午後は布の工房。
「縫・織」部門です。
織、というのは、
当初は大島絣の機織りを導入することから始まったからだそう。
織は比較的軽度の障害者の方にしかできないことから、
針1本で縫い続ける行為に注目。そこから生まれてくる「思いがけない表現=アクションによるアートは、自分のスタイル(独自性)を持つことの本質を、そして障がいとは何かを根底から問いかけています」。これはSHOBUのパンフレットにある言葉。
余談ですが、
NUIプロジェクトの刺しゅう服のための
下地のシャツを、
10年くらい前に当時ご担当の土井さんからご注文をいただいて
マニスで作らせていただいたこともありました。
その時つくったシャツが、いつぞやの映像作品に収められていると聞きました。
本当にいい機会をいただきながら、その後継続させていただくことができず
申し訳なかったです。
さて、そのNUI部門は屋根に芝生(?)のこちらの建物の中。
NUIの皆さん、お昼から戻り
またせっせと針を進めていらっしゃいました。
直子さんは「こうしてつくられる刺しゅうも、実は商品化に追い付かずにいっぱいストックしているんですよ」って。
保管庫に積み上げられた名前別の引出の中に、いっぱい詰まっていました、宝物が。
作業テーブルは4人掛け。
静かなNUI工房の中で、ひと針ひと針の時間が流れます。
それぞれが全くといっていいほど異なる方向性の縫い物たち。
こちらのショートカットの女性の方は、大きい運針なのでどんどん出来てしまう。
手の動かし方も大振り、ダイナミックで早い。
写真撮って、とのアピールも。
こうして、つくりかけの作品を何気なく広げてくださる。
糸の端がぼそぼそと出たままが面白い表情です。
同じテーブルのこちらの方は、シャツに刺しゅう。
「この方は、もう3,4年このシャツを続けているんです。それでもう、刺しゅうというより糸のかたまりのようになっています」、って直子さん。
「毎日同じようにやり続けて、
何年かたった時、
ある日突然そのシャツ(に刺すのを)やめるんです。
そうしてまた新しいものを始めるのですが、
その前の日までつくっていたシャツのことは
忘れているんです」
何年もかかって刺しゅうしたシャツに、まるで執着がないんだそうです。
この感覚も利用者(知的障害者)の皆さんに共通していることらしい。
今なんですね。
過去でも未来でもなく、常に。
さて、
こちらの方は、
モケモケした糸の端がお好きなよう。
刺しては切り、また刺しては切り、という
作業のようです。
そしてこちらの方。
この方は、独立したお部屋の中で
もつれないようにまた手繰り、……
という作業をし、
それから布を細く切ったテープ状のものに
並み縫いして、
それをさらに数センチくらいの長さに切り
床にまき散らす、というものづくり。
「お正月など帰省するときにその手繰ったもの、
戻ってくるとまた何事もなかったかのように
同じ作業を1からやり始めるんですよ」、と、直子さん。
この方の場合、糸と縫いという行為は空間の造形(インスタレーション)なんだと思いました。
こうして、手繰った糸を部屋の両端のテーブルから何本も垂らしてあり、
それは空間をつかった織り機のようでもあり。
一見散らかっているようで、これはある秩序なんだとも思いました。
菖蒲学園の利用者の皆さんは特別なアーティスト肌の方ばかりのようにも思ってしまいますが、その辺りはどうなのでしょう。
もしかしたら、特別なことではなくて、人間みな生まれながらにこうした固有の表現力を持っているのかな、って。
とにかく、驚きの連続です。
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最後はこちら。
絵画・造形のアトリエです。
各工房で作業をしている利用者の中で絵画、造形のようなアート表現の可能性を持った人たちが参加しています。
オムニハウスと呼ばれる、大きな建物の横にあります。
オムニハウスは上階に一般市民がレンタル利用できるスペースがあり、この日もお料理教室があったもよう。
外壁、階段に描かれているモティーフは、
何年も何年も、このハスの断面のようなボツボツを描いていたのだけど、
今はこんな風なお家のようなタケノコのようなのを描いていらっしゃる。
「これもね、ある日突然、変わるんですよ。それで、特に何でもない風にその新しいモティーフをまた連続して描いていく。彼女の場合、墨を使うので色彩は黒だけというのは共通していますが」、と、担当の職員の方。
フリーハンドで、連続して同じモティーフを描く、そのモティーフで画面を全部埋める、という感覚は、
この方だけではなくほかの皆さんにもある程度共通しているように思いました。
翁長さんはミナペルホネン・デザイン大賞(装苑の?)を受賞された経歴もあるとのこと。
とにかく、同じパターンで
ふむふむ。
その次の方は、
定規も使わずにアルファベット、カタカナを紙にぎっしり描きつづけている。
この日は水性ペンを使っていたけれど、
その文字は写植見本のように
ものすごく均一で。
描いてある文字を見ると、
テレビ局、ラジオ局名と電波の波長数、電話番号のようなもの。
職員の人がリクエストして
和紙に墨で数字だけを描いてもらってみたのがこちら。
「これだと何か商品になるかとお願いしてみたんだけど、
ほら、何となく雑でしょ。
下の方は文字がだんだん大きくなっているし、かすれている。
やりたくないことやっている、というのが分かりますよね(笑)」、って。
この方は、デジタルですね。頭の中。
やはりデジタル風のこちらの方は、
文字やヒト型を描いて切り抜き、
それに合うように浮き出しのような側面をつけて立体にする作品。
現代アート界でも人気がある作家さんなのだそう。
側面との貼り合わせはセロテープ。
そうしてつくられた集合体は、
同じオムニハウスの展示室に。
やはり、最終的には埋め尽くすんですね。
すごいですね。
こんなにデジタルなのに手作りで、
このコツコツとした積み上げ方って。
人間って何ておもしろい個性を
持って生きているんでしょう。
そしてこちらは、この日は不在だった方のもの。
こういうアートあるにはある。一般的に。
でも、
この方のは想像ではなくて見えてますかね、もしかして
最初から?
この編み込まれたような立体の線画は。
「この方の場合、
忘備録のようなものが
書かれているんですよ」、と直子さん。
これもまた、インパクト、つよい。
几帳面な迫力。
脳みそに直撃、というか。
最後のこちらは
この後、職員の方がバッグに仕立てる。
商品の中でも人気者なんだそうです。
これは埋め尽していてもアナログで、ほっ。
それにしても。
少し前まで織物を無心にしていた頃の、細やかな刺しゅうのクロスを生涯で3枚しかつくれなかったようなその時代と。何てかぶることか。
無心さって、祈りのようなものだと思うのですが、
ヒトに共通の偉大な才能のひとつなんだと思います。
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福森さんから、出来たばかりという本をいただきました。
その帯にこんな言葉がありました。
「それは、複雑でなく単純、
理想ではなく現実、
飾るものより使うもの、
華美より質素、作為ではなく無心、
という知的に障がいを持つ方々の
自然な人間らしさは、野の花の
自然な美しさに似ている。」
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福森さん、直子さんほか
しょうぶ学園の皆さん。ありがとうございました。
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