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2011年4月27日 (水)

4月の東京にて その2

毎日あたたかな東京で、午前中から出ずっぱり。

今週末にはまたバリへ発つのでポカポカ陽気をいいことに。

tokoの翌日からさっそく出かけたのはアースデーです。

アースデーのアースガーデン。毎回機会を逃していて初めて行きました。

場所はNHK前のけやき通りと中心とする代々木公園の一角です。

行くとさっそく、知った顔がたくさん。

えみおわすさん、プエンテさん。昔からの知り合いでカンホアの塩をつくっているたけしさん。面識はないのだけどそのほか知っているお店がたくさん。皆さんテントを借りての出展者さん。小倉さんというタイ北部で織物や服をつくっている方にも初めてお目にかかって、こんにちは。SORAのたみさんについて行ったので、これまで知らなかったオーガニック系の出展者の方々や来場者の方々にもお目にかかりました。P1080249

中央のステージでC.W.ニコルさんと田中優さんの講演会。

C.W.ニコルさんは

「今こうした大きなことが起きたのは、今が(ある意味)チャンス。今から新しい日本をつくろうよ!」

「静かに心を決めてみんなで政府に訴えかけましょう、no more anythig」

田中優さんは、P1080251

「電気の使用量は夏の31度を超える日の午後2時から3時までがピーク。その電気量に合わせて国内の発電は行われています。……だから、原発がないと電気が足りないというのはうそなんです」

「電気使用量のうち一般家庭で使われるのは9%、企業が91%です。しかし、電気代の仕組みは企業の場合使えば使うほど安くなる。だから企業が節電しないのが問題。企業が使うほど高くなるような仕組みにすれば、一番の省エネになります。節電ができれば原発がなくても大丈夫」

「一番効果的なのは海洋王国である日本の場合、海上での風力発電。原発に比べたらはるかにたくさんの人を雇用できるメリットもあります。波力発電もとても効果的です」

と、コメント。これは“エネルギーシフトパレード”に向けての言葉でした。P1080252

エネルギーシフトパレードとは、デモとは少し様子が違っていて「未来のために」ポジティブな意見を、という雰囲気が感じられます。デモは「反対意見」だけど拒絶ではなく意見を発信するためのパレードという印象。

通称エネパレ。

賛同者はすでに坂本龍一さん、加藤登紀子さん、飯田哲也さん、湯川れい子さんほか。

パレードは、放射能を吸収し土壌を浄化するはたらきがあるといわれている菜の花を一輪ずつ持って歩くグループ、プラカードを持って歩きたい人たちのグループ、楽器を鳴らしながら歩きたいグループなどそれぞれの趣向でグループ分けされて午後2時半頃からNHP1080258K前をスタート。

その後、公園通りを下って渋谷交差点へ。明治通りを左折して神宮前交差点。そこからまた代々木公園へぐるっと戻るというコース。

たくさんの警察官が「隊列を乱さないように進んでください!」とメガフォンで叫んでいましたが、中には楽しそうに見守っているお巡りさんもいて。

わたしもたみさんたちと一緒のグループ「楽器を鳴らしながら歩きたいグループ」に混ざって、隊列に混ざって歩きました。P1080263

気持ちのいい日曜日の午後のシブヤをこんな風に歩くことが出来ておもしろかった! このイベントを知らなかったら沿道で「いいなぁ!」と思って拍手を送る側だったと思うけど。たくさんの人たちが写真を取ったり手を振ってくれていて、この活動がこの先どんどん盛んになるといいなぁ!

ちなみにエネパレは5月10日に田中優さんとの勉強会、5月15日に2回目のパレードを開催する予定だそうです。

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月曜、火曜もそのまんま出ずっぱり。

火曜日は文化村の「フェルメールとオランダフランドル絵画展」へ。

フェルメールはポスターにある「地理学者」という絵1点だけみたいだったけど、250年位前のフランドル絵画というのはかなり久しぶりに見たので印象深かったです。

フェルメールは43歳まで生きなかったし作品点数が30数点しかないそうで、そのうちの1点が東京に来ただけでも話題なのかも。

ともかく、その当時の絵は驚くほど緻密で(再確認)、中でもピーテルステーフェンスという画家の「修道院のある森の風景」はどこに修道院があるんだか分からなかった。だって葉書よりも小さい古いゲームカードの裏に描いたというもの。森の絵の一角にぱっきりと光が当たっているのだけど、ルーペがないと修道院らしきものは見えないくらいに。

250年前の絵って写真やデータを取ることも出来なかったと思うのに、驚くほど細かいタッチで光がすごく繊細で、描かれたものも静物画や肖像画だけではなく俗っぽかったり、街や村の市政のさまざまな風景で、見ていると少し前のバリの西洋版みたいにも思えます。電気がまだなかった頃の暮らしでは、暗がりや森の中にやっぱり妖精みたいなものとかが潜んでいそうな雰囲気で。

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そろそろ荷造りを始めつつ、ゆるゆると春を楽しんでいます。

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2011年4月25日 (月)

4月の東京にて

toko manis終了いたしました。

土曜日は雨と風とで厳しいお天気の中来て下さった皆さま、大変ありがとうございました。

2日間、開場時間の前から過ぎまで途切れることなくお越しいただけてとっても楽しい催しとなりました。

古いものと今のものをクロスオーバーさせる試みのtokoでしたが、私自身いろいろ発見が多いイベントになりました。私自身が古いものへの知識が浅く、ご出展いただいた方々からもいろいろ伝習いただいたり、お客様に教えていただくことが多々。こんな風に自分たちからのものと私たちが大好きなものをコラボさせていただけて本当に感謝の気持ちでいっぱいです!

次回は6月の作品展でまだお目にかかります。

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きょうはtoko開催前日のお散歩日記を少々、です。Photo

toko前日は世田谷美術館で開催中の白洲正子展とヒナタノオト、本間さんの新しいお店へ。

白洲正子展は、先月行きたかったのですが震災後のバタバタで逃していましたから今回は早々に。

用賀駅から砧公園へ至る新緑の遊歩道を徒歩20分弱。

背の高い大きな木々は本当に、黄緑色の新しい葉っぱをたっぷり抱えていました。

こんな気持ちのいい緑は久しぶりです。

用賀の駅から世田谷美術館への道のりはとても分かりやすい表示が出ています。Photo_2

こんな風な看板の矢印に従って行けば、バスに乗らなくても迷わず辿り着けます。

美術館の中はさすがに人気の展覧会だけに込み合っていましたが、イントロダクションのところにある那智の滝に白洲正子さんがピンと来た言葉と風景とがダイナミックに構成されていました。

私は以前、白洲正子さんについて「おしゃれでインテリでちょっと生意気に思われていたふしもあるアバンギャルドな文筆家」みたく思っていたけど、展示を見てそれはまったく外側の正子さんのことであると気づきました。内側の正子さんは、研究熱心で当時までまだ誰も気づいていないことを掘り下げる洞察力と、日本人の誰もが知りたかった心のふるさとみたいなものにピントを合わせていたこと。

おおよそ正反対の性質ながらどちらもとてもビビっとくる正子さんの性質が、今の日本の状況と自分の中での出来事にピッタリといい刺激を与えてくれて、驚きでした。

看板やポスターの絵を見ると上野の博物館っぽいイメージですが、世田谷美術館の展示は映像や当時の原稿を分かりやすく配置していて現代的です。

まだの方、是非。確か5月3日まで。

その後、田園都市線から半蔵門線で乗り換えなしで三越前まで。Photo_3

ヒナタノオトさんへ。

水色が目印です。

本間さんの新しいお店はまるでパリのギャラリーみたい。明るくて暖かな大好きなものたちに囲まれた場所でした。本間さん、らふとの頃から大変お世話になっています。

新しいお店はこれまた他にはないオンリーワンな空間です。

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昨日はアースデーへ。

またご報告します!

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2011年4月22日 (金)

manis antique marcket

きょうはtoko1日目。P1080236

午後1時のオープン前から、続々とお客様が。

3月の作品展初日での震災。

その後、ご家族と連絡が取れなくなってタクシーで夜遅くに帰宅された方。

最寄り駅へ歩かれたけれど電車が止まっていることからさらに一駅、一駅と歩かれて、結局池袋芸術劇場で一夜を明かされた方。

2時間近く待ってバスに乗ったものの渋滞に巻き込まれてしまわれた方。P1080237

ひと月前の地震の日のマニス展に来てくださった方々が、「こうして無事に帰りました!」と話しに来てくださいました。

たまたま、かも知れませんが、やはり私が選んで決めた日程であり場所であり、そのことに深く反省しながらも、こんな風にきょう「無事に帰りました!」と、報告に来てくださった皆さま。本当に頭が下がります。

メールでは「もし一人だったら心細かったかもしれないけれどマニスさんの会場で皆さんと一緒だったことがとても心強かったです」、とお寄せくださった方もいてかえって励ましていただいたり。

皆さまのお心遣い、本当に言葉にならないくらいありがたく受け止めております。P1080239

バリで暮らしている私が日本のお客様からこんな風に励ましていただくなんて、これからはさらに自分に出来ることをどんなに小さなことでもいいからやっていきたいな、と、思いました。

皆さま、本当にありがとうございました。


toko manis specialの会場は、こんな風にスタート。

暖かさでいっぱいでした。P1080240

京都のギャラリー啓さんからはお電話で「私たちはみんな糸つながりですから、友情出演のつもりで応援してますよー」って励まされ。

ぽかぽか陽気のなか、わいわい楽しい一日がゆったりと過ぎました。

内心やっぱり「もしまた大きな地震があったら」という心配が離れませんでしたが、昨夜も揺れ、今夜も揺れたけれど、大丈夫だったことにも地球さんにも感謝、感謝。

会場には、「これはどこのものでいつのものだろう???」的なレイアウトがいっぱいです。P1080242

古いものと新しいものが混ざっておりますが、どれも新鮮でわくわくします。

昨日私はたまたま時間があったので世田谷美術館で開催中の白洲正子展を見てきましたが、白洲正子さんがたいせつにずっと追い続けてきたものが「日本人って何だろう?」「日本人の神様ってどこにいるんだろう?」みたいなことだったかもしれないな、と、思いました。

今回集まっている啓さんのアンティーク布、それと同じようにいとおしくなる谷さんの布の共通点は、山里で名もない人たちが生活の為につくったもの、ということになるかも知れません。…ってことはこの前も書きましたが、暮らしの中で、心の中で、自然を愛で毎日に感謝したり悩んだりしながら作られてきた必要品の素の美しさは今とっても響きます。 P1080244

白洲正子さんの展覧会は木像や曼荼羅や掛け軸の絵だったりするのだけど、今ここで私たちがお預かりしている布たちのような小さな断片にもあるかもしれないな、と思います。暮らしの為に、たんたんと作られてきたものの美しさ、です。そういうたぐいの祈りがある暮らしの断片かな?って。

ヨーロッパ、アジア、アフリカと世界の織物を集めてひとつひとつ異なるデザインのバッグをつくっていらっしゃるアンタイディーさんのお仕事も加わって、布たちがひとつの空間の中で楽しそうにおしゃべりしあっているような気もして、楽しいです。

明日は雨の予報ですので是非お気をつけていらしてください。

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2011年4月20日 (水)

まめしんぶんtoko manis

雨だったり、暖かな陽だまりだったり。

忙しかったり、眠かったり。

何かと移ろう春ですね。

今週開催のtoko manis specialについて

きょうはフロム・マニスの内容も少しご紹介しましょう。

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皆さまのお手元にお届けしているハガキの写真のうち、ギャラリー啓さんのとアンタイディーさんのくるくるっと巻いた布。これを使って、今回のマニス服をつくりました。

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Photo一番上の写真のパンツの生地は比較的濃い色の生成リネン生地を選んで、ポケットだけシマシマ。 

シマシマは啓さんのお店で選ばせていただいた幅12センチほどのお布団の縁取りを解いたものです。壱岐対馬の手生みの大麻と手紡ぎ木綿。90年位前のものだと思う、と啓さん。

生地幅をそのまま使って単純なポケットとして使わせていただきました。

ルーペで見れば、確かに、木綿も入っていることが分かる

素朴だけど、繊細な縞。Photo_3

2番目の写真のポケットも啓さんのもの。奴さん(昔の消防隊)の服に使われていたものとか。

ペンシルストライプみたいな均一な縞柄は柿渋染めのような色です。ヘンプ100%の紺色の生地で元気なハーフ丈のパンツに。はっきりした縞が映えます。

こうして服の部分につくと、これが昔の手作りの布だなんてちょっとやそっとじゃ分からないかも、という印象。

なぜだかとてもしっくり来てしまう。今のキブンに。Photo_2

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3番目。

アンタイディーさんでお分けいただいたタイ少数民族の衣装(スカート?)を解いたものらしい手織のユーズドのヘンプ布。

着尺くらいの幅があり、これだけでも1着の服がつくれそうですが電卓片手に3着分に分割。

こちらをパンツの部分(下側)につかってトライバルなふんいきのパンツをつくりました。生地は紺色のヘンプ生地を選んで、100%ヘンプ。

こちらは今回のおススメです。


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Photo_4DMのマニス服は、

マニスの生地ストックから選んだインディゴ染めのエリ蚕とえみおわすさんからいただいたタイの手織をMIXしたコハゼ使いのミニジャケットです。

格子っぽい折柄の部分がえみおわすさんの生地。

これに、今回使ったインディゴ染めの花柄をトッピング。Photo_5

インディゴ染めの花柄は数年前にちょっとまとめて購入したジャイプールブロックプリントです

洗うたびに色落ちするし日焼けで退色もすると思いますが、今回のラインナップには実にピッタリ来るプリントなのです。

こんな風に、布同士が出会って響きあうのって本当におもしろいことだなぁ! 

日本の昔のはぎれとタイの少数民族の手織と、インディゴのブロックプリント。時代も産地も異なるけれど、なぜかどこか同調しているような気がするのです。

花柄のは、スカートほか、新型のブラウス、ロングチュニックをつくっています。

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昨年12月に視察した京都の昔ながらの染工所さんにお願いしていた、草木染による「製品染め」の服が出来上がりました。

今回はざくろで染めたダークなオリーブ色とメキシコ産のロッグウッドという染料のチャコールグレー。

京都で小野小町の昔から、もっともいい水源の水が流れていたことで染物屋さんが軒を連ねていた通りに、たった1軒残っているという染工所さんです。

320rimg0589当時は川が流れていたところには道が敷かれ平安の頃の面影はありませんが、「いい水が染め上げる色」にこだわって天然染めに力を入れていらっしゃるのです。

初回はマニス定番のフラットリネンクロスとインドネシア産プリミシマで40点あまりの服が染め上がってきました。若干のムラはあるものの、服を縫い上げてから染めるという方法でとってもおもむきある仕上がりです。

実は、このような工程はマニスでも初めてで、バリのスタジオからは染める色を想定して芯地とミシン糸を選び縫いました。

染める前は白生地に色つきの芯地が透けて見えるし、色糸の縫い目が際立つし、とても心配でした。

染め上がりは?320rimg0594

できれば是非直接ご覧いただきたいのですが、見事に調和していて、実のところちょっとした驚きなのです。

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このほか、竹墨染めによるリネンクロスの服もおすすめです。

こちらは染め上がった布を縫ってから洗うことで着慣れたふんいきに仕上げてみました。竹炭って墨汁みたいなものなのでしょうか、洗っている間に手が真っ黒になりました。力をかけるために足でもふみふみして洗いました。

お陰さまで(!)ワイルドな仕上がり。

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今回は2日間だけのtoko manisですが、

皆さまにステキなお気に入りが見つかりますように!

楽しみにお待ちしております。

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2011年4月13日 (水)

toko manisちょっぴりたっぷり

あれから1ヶ月しかたたないのになんて長いのでしょう。

なんと今になって地震が毎日のように起きていますね。

桜便りも伝わってきて、こんなふうに不安な中でも桜はちゃんといつものようにしっかりと咲くのだなぁ、なんて思って励まされています。

私は帰国まであと4日です。

さてきょうは、来週末に開催する予定のtoko manis specialについてご紹介します。

あぁ、楽しみですtoko manis!

今回は京都のギャラリー「啓」さん、ラオスで布作りをされている谷由起子さん、アンティークのアンタイディーさんほかにご参加をいただけることに。

マニスでは基本的に古いもの(アンティーク布)にはあまりはさみを入れないことにしているので、これまでアンティークを取り上げたことがなかったのですが、昨年“布茶”さんこと浅井さんと京都へ行ったときにご紹介いただいたGallery啓さんの布に出会ったことがちょっとしたきっかけになりました。

啓さんのコレクションはBOROと呼ばれる。日本の庶民生活のなかで使われてきた布は、もともと自生する麻や綿をつかい天然染めされたものばかり。集められた空間はとてもパワフルで新鮮で。野良着としてさんざんぼろになるまで繰り返しリフォームされてきた布ってなんて迫力があるのだろう。啓さんはその中に込められた創意工夫あふれる当時の仕事をルーペでのぞき込みながら教えてくれました。しかも、啓さんってとってもチャーミング(伊藤まさこさんの本デでも紹介されています!)。この方を通してこの布を見たからすべてがインパクトにつながったなぁ、って。

そしてその後インドで古いブレードに出会ってはまってしまったことから、今私の中にはアンティークの風がかなり吹いてしまっています。

バティックやイカットの古いのはもちろん切らないけど、庶民生活の布はすでに使われてきたものを解体して部分ごとに売られていたりすることも、私にはよい取っかかりになりました。

前置き長すぎ…。

とにかく、マニスのお客様にもぜひご紹介したなぁと思った次第です。

それでは。

以下。

啓さんの布

啓さんからは、ご紹介のメールが届きましたのでほぼ原文のまま入れます。Photo

「日本で『麻』と言われているものは、縄文時代からある大麻や苧麻のことです。リネンはもともと日本にはなく明治時代に外国から入ってきました。右の写真は大麻と苧麻の着物を解いたものです。大体は明治から昭和初期頃のものです。糸の太い紺色のものは東北地方のもの。ごく細い糸のものは越後上布か近江上布です。大麻や苧麻は草なので、糸に出来るまでの工程はとても大変なものでした。一本ずつ裂いて繋げていかなければなりません。この作業を『積む』といいます。」


「下の写真は明治から昭和初期の布団地です。木綿が日本に普及したのは江戸後期です。柔らかくて暖かい木綿は急速に広がりました。これらは農村部の女の人たちが綿を栽培して手紡ぎで糸にして織り上げたものです。」Photo_2

「いつも思うのですが、アートディレクターやデザイナーが存在しなかったはずなのに、なぜこのようにセンスのいい布が織り上がるのか?」

「上の写真の麻の反物も同じですがそれらは情報やデザインの知識など無く、自然や日常の現象をヒントに日々の生活の中から生まれたものです。」

「日本の庶民生活の中ではぐくまれた染織のすばらしさを知っていただきたいです。」

プラスチックや家電がまだ普及してなかった頃の暮らしって、そうと狙っていないのにまことに美しくバランスが取れていたのですね。その布の断片ひとつでも独特の深さが感じられてすごいです。啓さん、楽しみにしています!

谷さんの布

谷さんの布は皆さんご存じのとおりアンティークではありません。2

でも、啓さんの布を見ていると谷さんの布が思い浮かびます。ラオスでは私たちにはすでに遠く昔の事となってしまっている「美しき暮らし」が続けられ今も変わらず作られているものだから「似ている」と思うのかもしれませんね。

谷さんからもご挨拶が届きました。

Rimg0533拝見したら、今思って書いたこと、谷さんも同じ思いでいらっしゃるみたいで嬉しいです。

「H.P.Eの布は 現在 日々作っている布です。新しい布です。

でも 布の出来上がるまでの過程は 古代的です。

綿も絹も素材を作るところから皆ができる 少し時代を遡れば 世界中で普通に営まれていた自家製の布作りです。

例えば 藍染めには 石灰が必要ですが、石灰になる石を山で探し 運び 窯をつくり 石を焼いて 石灰を作ります。

絹の糸を吐く蚕も 卵作りから始まります。

自家製の布作りであれば 卵から育てるのは当たり前のことですが 日本では自由に蚕の卵を作ることは法律で禁止されていることを 最近耳にしました。

自然の恵みから 人が 知恵を絞り 身体と手を使って 生み出した布。

ラオスの村人の手仕事の力強さを 感じていただければ 幸いです」

谷さんからは布小物を中心に出品いただく予定です。

アンタイディーさんの布とバッグ

Rimg0138アンタイディーさんは福岡のアンティーク屋さんですが、2002年に表参道にもお店を出され、昨年はそれが西荻へ移転。表参道のときはラスチカスの手前のマンションの中にあって、けろちゃんに教わって伺いました。

その時買ったウエストポーチ、今も冬になれば毎日つかっています。

一見ヨーロッパの生活雑貨のお店という印象があるのですが、はい、やはり、私たちマニスが気になるだけあって、布がすごいのです。ヨーロッパなすてきな雑貨の中に混ざって「タイの少数民族の布やチェンマイ産のヘンプを扱っていらっしゃる。買い付けはそういうわけでヨーロッパだけではなくアジアでもされているのです。

Rimg0139ね、いいでしょ。

今回はアンタイディー東京の店主柏原さんにお願いしてバッグと布をお借りします。

サイトを拝見すると、バッグは「オランダの民族衣装のスカート生地」、「タイの少数民族の刺繍パーツ」や「タイのヘンプの織物」、「アフリカのヨルバ族の布地」、「パキスタンのキルト」、「日本の帯地」などなどとてもノマド! ちなみに私のウエストポーチは軍モノの毛布です。こんなふうに自在に布を取り入れながら1点1点バッグを作っているアンタイディーさんには要注目なのです。http://untidy.main.jp/

どんなバッグが届くのか楽しみですね!

ちなみに柏原さんは現在オランダ買い付け旅行中。ブログもおすすめです。http://muntkidy.exblog.jp

寝間着も来ます

このほか、フランスを中心に1920~40年代手織のリネンでつくられた寝間着を手配中。

実はこれを出展いただける方をずいぶん探したのですが国内では見つからず、現在空を飛んでいる(!)最中です。

手縫いだったり、手刺繍だったりする1点ずつ異なる寝間着は、当時嫁入り道具として各家庭でつくって持たされたもの。それがのみの市などに流れてきてしばし私たちにも購入できるチャンスがありましたが、最近はかなり入手が難しくなっているそうで今回はドイツ在住の方が協力してくださって送っていただけることになりました。

はい。

もう、とっても楽しみです。

toko manisは中目黒の会場で22金、23土の2日間のみの開催です!

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2011年4月 5日 (火)

ウルワツでのお祈り

Photo 先週の土曜日、バリの最南端にあるウルワツの崖の上にバリ中からたくさんのマンクさんたちが集まり、日本へ、お祈りを捧げました。

私も、その他大勢として陰ながら参加させていただきました。

長い挨拶などは一切なく、マントラを唱えてスンバヤン(お祈りとお清め)をして、それだけでした。

真実はシンプルというけれど、何かそれに近いような、つつましくて美しい時間でした。

こんな風にマンクさんたちが祈ろうと集まったのは、アチェの津波と今回だけのことだそうです。

私たちをUBUDから連れて行ってくださった光森史孝さんのメルマガをご本人から許可をいただいて貼り付けさせていただきました。

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【ウブド村暮らし通信】(11.04.03)Photo_2
 外国の災害の鎮魂のために祈る、バリ島で初めてのバリ・ヒンズーの儀式が昨夕、行われました。
 場所は、バリ島最南端、海に向かって建つ、島内でも霊気が強いウワツ寺院。東日本大震災に大きな衝撃を受けたバリの人たちが、日ごろから絆の強い日本のたちのために、祈りを捧げようと行った儀式です。
 発案したのは文化交流などで日本と行き来のある、マニクマス財団とマンク・パス
ティカ・バリ州知事。財団はマス村に住むスディアナさんと浩美さんの夫婦を中心に運営されている交流や文化、教育振興などに取り組んでいます。マンク知事はバのテロ事件以降、治安維持、観光経済の回復に尽力した人です。その際、日本の人たちの多くの協力を得たことなどから、今回の儀式開催を先頭に立って進められたそうす。
 インドネシア国内のスマトラ島アチェの大災害の際、同じように島をあげて鎮魂の祈りを捧げたことはあるが、外国の災害では、全く初めての開催となました。
 午後5時から始まった祈りの儀式には、マンク知事はじめ、ギャナール県、バドゥン県、デンパサール県などの知事、宗教省など官庁の幹部、そして、バリ・ヒンズーの最高位の僧侶プダンダ60人、一般の僧侶100人、近在の村の人たちも加えて、総勢500人の人たちが寺院の内外の庭に集まりました。
 バリ島在住の日本の人たちは、城田実・在デンパサール総領事館の総領事、イスカンダル万亀子・バリ日本人会会長はじめ、私たちウブドの仲間10人余りとヌサドアやサヌール在住の人たち合わせて20人ほどの参加でした。Photo_3
 祈りの儀式には、バリ滞在中で、財団と交流のある真言宗高野山の住職も袈裟衣で参列、最奥の内庭に設けられた祭壇で、2人のプダンダと並んで祈りを捧げる姿が見られました。祈りの後、マンク知事が「亡くなられた方たちの魂が安らかに、そして被災された方たちが一日も早く元気に、日本全体が、めげずに元気を回復され、ますますインドネシア、とりわけバリと絆を強くされるよう祈ります」と挨拶され、大きな拍手を受けました。
 私たちも、この祈りの儀式で、感謝、大きな感動と「気」をもらって帰ってきました。日本でも、多くの方が、同じ時刻に祈りを共有して下さったと思います。被災地の皆さんの「自立」に何が共有できるのか、一緒に考え、行動したいと思っています。
 この祈りの儀式、バリでは、4月5日、デンパサールで、改めて、「LOVE and FRIENDSHIP for JAPAN」という祭事と式典、催しが、バリ州観光協会(BTB)主催で、レノンのバジュラサンディで予定されています。

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今月はまた日本へ行きますよ!

そろそろtoko manisの服もできあがりつつあります。

次回お伝えしますね!

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