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2006年10月28日 (土)

バティックのトラから

Photo_12 このトラの柄は何年も前にバングラデシュで“ノクシカタ”という刺し子刺しゅうをつくってもらったときのもの。ノクシカタはマニスではもうお馴染みになりましたが、今つくっているのは刺し子のステッチそのものが柄になっているタイプ。その1回目を注文したときには刺し子用の糸は生地と同色で全面にびっしり、さらに部分的に刺しゅうを加えてもらっていたのです。……というのは、それがもともとのノクシカタの手法だったので。だから、今注文しているノクシカタは、正しくは「ノクシカタの土台だけ」と言った方が正しいかも。

図案はジャワ・バティックの模様でときどき見かける動物模様からアレンジして、マニス日本部でパタンナーのきくよさんが描いてくれたもの。当初はカエルやヤモリや馬などいろんな柄がありました。でもこのトラ柄だけその後も一回白いブラウスに白糸刺しゅうでリピートしたことがありました。そして何年も経って最近また思い出して。今度は堅いアーミー風の生地に目立つ色の糸で。

私、このトラがどうも好きです。

バティックの図案って比較的定番的なものが多い。いろいろな色や配置で何度も使われているだけあって「あっこれ、いただき!」、ということが結構あったりする。花柄、花鳥柄もいいけれど、動物や人のようなキャラクターもの(?)が個人的にとくに面白なと思います。顔があっち向いているのにからだはこっち向いてる、みたいな描き方とか。このトラは、きっと中国辺りから猛々しい虎図みたいなので伝わって、でもジャワで何度も描かれているうちにこんな表情になってしまったのではないかと推測します。原画(見本のバティック)では顔が黒くて確かにちょっと勇ましい表情。それを、線だけをなぞって新たに描きなおしてもらったらずいぶんとかわいい感じになっちゃった。そうなるとイメージはどこか「ちびくろさんぼの回るトラ」、ということになって、一周ぐるっとまわっているような配置が浮かんでしまって。

今、このトラ刺しゅうをスカートに入れているところです。スカートだから少し太い線にしようとチェーンステッチで。写真のは少しカーキがかったグレーに赤ですが、黒地に生成の刺しゅうとの2種類を予定しています。試作がまる1日がかりだったので、6匹の回るトラが入る予定のスカートは6日かかる計算? うーむ、次の作品展までに何点つくれるか……。ともあれ、お楽しみに!

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2006年10月25日 (水)

ボタンについてひとりごと

Photo_11 このところつくっている服はキブン的に、何色の生地でも白いボタンをつけてしまうことが多い。少し前までは「ボタンは生地の色になるべく近い色のものを選ぶ」みたいな思い込みがあったんだけど。マニスの服はどっちかというと濃い色の生地をよく選んでいるから、注文するボタンも黒っぽいのが多かった。

それよりもさらに前は、くるみボタンをつくるのが自分のなかで流行っていたので平べったい既成ボタンは服の内側やパンツのウエスト部分くらいにしか使わなかった。……7年もやっているうちにボタンについての認識も変わるものです。

それにしても。世の中にはたーくさんの種類のボタンが売られているのに“平べったい系”のものではダントツ貝ボタン。マニス以外でも自分で買うよその服についているのはたいてい(たまたま?)“貝”だったりする。不思議といえば不思議です。貝ボタンって割れやすいし、かなり個性的な光沢があるから生地によっては異質な感じもする。それでわたしはときどき裏面を表につかいます。裏面は模様や色にかなりばらつきがあるので、1着の服にまんべんなく似たようなものが並ぶように数百個くらいのなかから選ぶのです。「黒蝶」と呼ばれる黒っぽい貝ボタンがとくにそうで、ごつごつした岩っぽい表情のやら、つるっと茶色っぽいものやら、月が雲に隠れたみたいな半透明な光を放つものやら。そうしたなかから着分ごとにセットをつくる。だから服づくりの仕上げにつけるボタンが1着ずつ違って、出来た服たちは1着ごとに違った感じになる。……というところも貝ボタンの面白さかも。あとは滑りの良さ? 分かりませんが、とにかく飽きないしずっと好きなのです。

この前、子供に初めてパジャマを買った。それまでは悪くなった長袖やジャージーパンツでどうでもいい格好で寝せていたのだけど。大きめのチェック地で中がガーゼの二重織のもの。着始めてから「へぇ」と思ったのは、ボタンの大きさです。子供用にしては大きすぎるなぁ、と思って見ていたら、まもなく本人が「自分でできる」って。ボタンをはめるなんて難しいだろうと思っていたら、わりと上手にできるのです。そうかー。そのために大きいのがつけてあるのかーって。こういうボタンのつけ方、誰が考えたのでしょう、素敵です。あと、これも知らなかったのですが、脇に小さなボタンがついていて、これでパンツをとめてお腹が出ないようにするのですね。自分がいつごろからボタン締めを手さぐりでできるようになったのかも記憶にないけれど、ずっと昔から服のなかで同じようなものが同じように使われている。いろいろな配慮も加えられて。

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2006年10月21日 (土)

白いペンキ

Photo_7 ずっと前から白いペンキを重宝しています。

マニスをはじめる少し前。段ボール箱やプラスチックの空き瓶、拾ってきたものたちを同じペンキで塗りつぶすことに没頭しました。塗れば「高原レタス」も「○○の事務機器」がまっさらになって形だけが残る。この方法がすごく気に入って、あげく布にもペンキ。半端なサイズのシーチングを地の目に沿って割いてから、糊を抜くのにお湯で洗って、干したままのでこぼこの表面に白ペンキを塗る。それをキャンバス代わりにどうでもいい絵を描く。……これがしかし、かれこれ10年もたった今でも飽きずに身の回りに残っているのです。写真の絵は以前六本木の事務所兼住まいでキッチンの小窓の目隠しというかカーテン代わりにしていたもの。お料理をする目の前にかかっているものだからと思いつきの訓示を書き込んだけれど、飽きずにいるのはその材質感。落書きではあれ汚れたらまた洗って使えてしまうし! 折りたたんで仕舞い込んであったのを先日バリへ持ってきて殺風景なキッチンの壁に。何もないより少しはいいですね?

この前の日曜日に、久しぶりにまた塗りました。今回塗ったのは今のバリの家で数えきれないほどありそうなアタ製のバスケット。ラタンよりも細く強いアタはひと頃すごく流行って、バリではランドリーかご、ティッシュケースからはがきホルダー、事務用ケース、どんな形でも出回っていた。私にとってはバリで無印良品の代わりの存在でした。ところが新しい家に越してからはどうも色褪せて見えて(実際に日に焼けて褪せる)……。そうだ、そうだ、これにペンキを塗ったらどうかしら? 初日に塗ったの8個。今のところ、アタには薄く伸ばす塗り方よりしっかり白く塗ったほうがいいように思います。

チークの家具にもこれがいいかも。前の住まいのとき必要に迫られてオーダーメイドしたチーク家具も今のインテリアには材質感が合わないから。でも家具に取りかかったら、塗るのが大仕事というだけじゃなく、塗ったあと、そこにまた何を落書きするかで悩みそう(そしてきっと徹夜でやってしまうたくなる……)。我ながらコワイです、白ペンキの存在は。

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2006年10月17日 (火)

手織のデニム

Photo ブログの修復作業でしばしお休みをいただいていました。きょうからまた復帰です。

さて。きょうはデニムのお話です。夏ごろから、いつ出来上がるものやらそわそわしていたttt(長谷さん)の手織のデニム。先日ようやく届きました。ラオスの北部でつくっているそうなので、このブルーの色はきっと藍かな。手織のデニムなんて、聞いただけでもう興味深々。

これが届いてから、いえ、届く前から悩んでいたこと。デニムという生地はどうしたって“ジーンズ”なわけで、そこからどのくらい違う服をつくるかなのです。あまりかけ離れたデザインの服もちょっと違うような気がするし、かといってGパンやGジャンのアレンジでは……。

でもデニムってどうしてこれほど固まった存在なのでしょう?? 服にも布にもある程度流行があるのに、ジーンズだけは不動の地位。多少の浮き沈みはあるものの(カラーデニムやデニムもどきは淘汰されることもあるけれど)、デニム、ジーンズといったら私が生まれたときから今までずっとどこにでもあるんですもの。

私は小学生のとき(70年代です)ハマって毎日同じGジャンばかりを着ていて叱られたことがあります。背中に大きくインディアンの刺しゅうが入っていて。あまりに毎日着るものだから2着目も買ってもらったような気がする。なぜそんなに好きだったのかは全然思い出せないのですが……。その後大きく(?)なってからは、黒と赤の501を長く履いています。というか、流行がない上ナカナカ悪くならないし、悪くなって履いていても叱られないから、もう10年、20年越し。これほど普遍的なアイテム、他にありません。

数年前にインドへ行ったとき、それまで女の人はサリー以外着ないと思わせられていたけれど、私の目から見たところ急に「ジーンズ」なことになっていた。これは変化だ、と思ったらその後は地下鉄が出来てコンピューターが普及して。いまやインドと言えば好景気でもっとも期待される国。経済が上向きだとジーンズなキブンになるのでしょうか?

あ、また話しが反れました。そうそう。しかし、手織のデニムの方もどうにか出来つつあります。ずいぶん迷った結果、ポケットが片方だけについたジャケットと裾のかたちにちょっと特徴があるパンツを。生地巾が小さくて6着しかできませんでしたけれど。不規則で立体感のある織地がやっぱり独特。もっといろいろつくってみたくなってきてしまいました。また入荷するといいのだけれど。

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2006年10月11日 (水)

断食についてひとりごと

2週間ほど前からラマダンことムスリムのひとたちの断食が始まっています。バリはバリヒンドゥーの人がほとんどですが、ジャワ島からの移民やその人たちと結婚して改宗する人もいて、全体の2~3割はムスリム。UBUDの界隈にはあまりありませんが、クタやサヌールなど海に近い地域にはムスクがいくつもあります。

私は宗教にはあまり明るくありませんが、バリで結婚する前にバリヒンドゥへの改宗が義務づけられていて「歯削りの儀式」をやりました。かなり熱の入った儀式で、バリでは人の一生のなかでは葬式の次に重要なんだって。その前後に“しなければならない”“してはいけない”ことの数々。例えば、儀式の前夜は魔物に付かれやすいから兄弟姉妹と一室に寝るとか、家の敷地から3日間は出てはいけないとか。しかも人によって言うことが違う。本当の決まりと言い伝えがごっちゃになっていると思われる。え~、そんなこと急に言われても~。泣きましたねぇ。

話しが反れましたが、そうそう。だから、日ごろ宗教とともに生きる人たちは、さまざまな規則に沿って暮らしているということなのです(当たり前か)。

中でもラマダンはすごいと思う。毎年だいたい一番暑さが厳しい時期に当たり、3週間から4週間くらいのあいだ日が昇っている間は水も飲まない(らしい)。特別な修行者だけがするのではなくて、全員に課せられるというのが厳しい。「昼間はごろごろして夜中に活動するんだ」というお気楽なジャワ人もいるけれど、そんなマイペースが通用しない場合だって多い。

マニスのスタッフにもひとりだけムスリムの子がいます。朝から夕方までまわりの子と同じく仕事をして、他の子全員がお昼を食べている間やり過ごす。イスラムの国でもこの時期この苦行が相当辛いと思うけれど、ひとりだけで実行するっていったいどんな気持ちなのだろう。心配なので「仕事の時間を短縮したら?」とか、聞いてみるんだけれど本人は自信もあってか「大丈夫」だって。

日本でデトックスのための断食をした人の体験談が雑誌に出ていたけれど、私は1食抜いただけで血糖値が下がりふらついてしまう方なのでとても想像がつきません。ムスリムの断食も、それをやり遂げた後の爽快感や充実感ってきっとすごいだろうなぁ。リスペクト。

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2006年10月 8日 (日)

ベジのこと

Photo_11_1前にもいちどお話ししていたかも知れませんが、家(バリの)は谷川に向かって建っていてその谷底に泉があります。“泉”のことはベジと呼ばれています。湧き水というよりもっと規模が大きくてゴアガジャやティルタウンプルといったバリの遺跡にあるような水浴場なのです。

昼間は洗濯、夕方は水浴びに村の人たちが集まるところ。ときどきハイキングの観光客も。そこにはお寺があって魚もいればナマズいるそうで。……というのも、わたしは上から見下ろしたことはあるけれど谷底までは行ったことがない。うちの子供は毎日のようにバケツやタオルを持って「ママ、ベジに行ってもいい?」と聞きにくる。そこで泳いだり魚を掬ったりして遊んでいるらしい。家事のお手伝いの子に付いていってもらって。

戻ってくるといつもはメダカみたいな小さい魚がバケツに入っている。「取れたよー」と見せに来る。ときどきオタマジャクシやカエルもいる。家の水槽に移して数を数える。ところが、きょうは違うものが入っていた。
「ママ、これ取ったの」、と見せに来る前にバケツからピヨピヨと声が聞こえてきて、何??? 黒いひよこ。子供によればそれがベジの水のところで泳いでいたんだって。何でひよこが一羽だけで水浴場で泳いでいたりするんだろ? ……全然解せない。本当にこれ、ニワトリのひよこ? セキュリティーのおじさんがそうだ、と大きくうなずく。
うちの3匹の犬たちもみな黒い子たちで加わったひよこも黒ちゃんで。黒が好きな訳ではないのだけれどたまたま集まってくるのは黒いもの。ベジっていったいどういうことになっているのだろう、わたしも今度行ってみなければ。

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2006年10月 5日 (木)

おしゃれな船に乗りました

Photo_10_1東京からバリへ移動して数日経ちました。まだまだ片付けものも終わらないし次の仕事にもぜんぜん手がついていません(汗!)。でもきょうは作品展後の日曜日に行った山下公園のことを書きますよ。

東横線が「元町中華街」へ特急で乗り入れるようになって以来何て便利になったんでしょう。神奈川で暮らしていた子供の頃、元町と中華街は片道2時間以上。遠かった。大人になってからはお世話になっている占いの先生が元町にいるし、母が一時ポンパドゥールの裏のマンションを借りていたりして遠いと思いつつ(都心からもやっぱり2時間弱)よく行ったものです。京浜東北線の駅に降り立つといつも空気も違うように感じて。今は1時間もかからない。便利になった途端、あまり行くことがなくなっちゃったというのも因果なことです。はい。

Photo_5さて。今回久しぶりにそこへ行ったのは他でもない、バリ育ちのうちの子供が船に乗りたいというので。わたしたち、すっかり観光客、オノボリサンです。東京水上バスや屋形船でもよかったんだけど、せっかくだから大きいのに乗ろうって。山下公園から出ているマリーンルージュというクルーザーに乗りました。氷川丸のすぐそばから出ていて、横浜港を1時間くらい周遊するシンプルな船。中にかなりちゃんとしたレストランがあって、売店や自販機が無いというのがたいへん好もしい。乗っているお客さんも手ぶらの人が多く、若いカップルよりカジュアルでいいものを身につけた山の手の大人みたいなひとが結構いて。ヨーロッパのいいところにちょっと似てて、すてきー。

Photo_6_0東京湾埋め立て地区は無理やりつくった海岸なんかが白々しいが、横浜はさすが歴史。停泊している船の種類も楽しいし、自然とそうなった色彩や造型が美しい。

半分ガイジンのうちの子供はカルチャーショック。デッキの手すりにしがみつき船というものにいたく感激していたもよう(降りてからもう一回乗りたい!!!と大変だった)。日本育ちの私だって、これは何度でもいいなぁって。でもお腹も空いたし中華街へも行かなくっちゃ。エビがおいしい飲茶のお店へ。中華街では、10年くらい前に台湾で大流行していたブラックタピオカのミルクティーがたくさん売られていた。もうご存知ですよね。太いストローでタピオカゼリーをずるっと吸い込むのがおもしろい飲みもの。このストローと、パンダの専門店と、エビの蒸餃子にそれぞれハマった子供はやっと船にもう一回乗るのを諦めてくれまして。私は前は大好きだった食材屋さんは今回は滞在期間も短いからってパスして、それから元町のチャーミングセールをちょっと見ました。

子供の足で歩きまわれるこの三角地帯は、本当に昔からあまり変わることなく。流行ったり廃れたりせず、ずっと同じものが同じところにある。懐かしくて嬉しくて安心させられます。それに、いつ行っても楽しいの。すごいことです。

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