服について、ひとりごと
私、バリではほとんどおしゃれをしません。Tシャツ10枚とパンツ10枚。それとときどき参加が必要なバリの伝統行事のときに着るクバヤとサロンが2枚ずつ。仕事柄、そんな手抜きは……。しかしここに長くいるうちに、次第にそうなりました。周りの女の子たちが質素だからかもしれません。バリにだってトレンドはあるし、おしゃれ好きな女の子もいっぱいいる。でも、基本的にはみんな着るものにお金をかけることはあまりしない。そういう環境に囲まれていると自分ひとりがおしゃれに気遣うことがだんだん異質に思えてきて。
昔フランスに2年くらいいたことがあります。その頃はちょうど日本のバブル期で。それで、あちらへ行ったらもっと皆おしゃれなのだろうと思い、目いっぱい背伸びしてブランド物の服やヴィンテージの古着をカバンにぎゅうぎゅう詰めて行った。そうしたらフランスでは誰もそんな服着ていないのです。上流階級やファッション関係者以外は。留学生の身の丈に合わない気張った服は逆に気が引けてしまって、せっかく持って行ったものの半分も着られませんでした。そして、思った。フランスって何てラクチンなところなんだろう、って。ときどきのフォーマルな場所へは頑張ったおしゃれがいいけれど、普段は数枚の服でいいなんて。
話を戻して今のバリ。マニスのスタッフを見ていると、たまに買った新しい服はていねいにアイロンをかけて大事に着ているみたい。新しい服は何かのときのために大切にするのです。私、日本にいるときはやっぱり、つい買ったばかりの服を次に日には(早いときには買ったそのときから)着てしまって、また2日後に着て、そうしてやっぱり1年か2年もすれば部屋着にまわることが多い。これ、バブル期感覚の名残りでしょうか? とにかくバリではその「部屋着並み」が定番なのです。もともとあまり服を大切に着る方ではないので、洗ったままとかが好きなのですが。でも、バリの質素さに慣れてから、気持ちの方はちょっと今までとは違っています。
少しでも長く着よう、と思うことで服との付き合い方が変わりました。いいものだから大切に、という感覚はそれまでもあったけれど、どんな服でも少しでも長く着ようと。自分ではやったことがなかった繕いものもするようになりましたし。ビーサンは犬に齧られて履けなくなるまで代わりを買わないし、穴のあいたTシャツや色あせたパンツはそのまましばらくは着る。
服をつくるという仕事をしているから、もちろんいろいろな服を試してみたいのです。ひとのつくった服を着ることで自分のつくっているものへの評価ができるし。でも、それは日本に戻ったときの楽しみのひとつ。日本にいるときはもっと毎日いろんな人と会うし、きょう何を着ようかなと一生懸命考えもする。ところが、日本へ戻ったばかりの数日はバリ感覚が抜けなくて、本当にみすぼらしいんです。それで出来たばかりのマニスの服を照れ臭く着ていると「やっぱりつくった人が一番似合うわね!」って言われて。恥ずかしいのと申し訳ないのとでいつもどぎまぎしてしまうのです。
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